第三話


 夜には静まり返る村も、日光の下では店の呼び込みや通行人達で賑わう。師匠との静かな二人暮らしとはかなり異なる明るい喧噪が、牡丹は少し苦手だった。


 通りを歩いていると、時折村人がひそひそ囁き合う内容が聞こえてくる。


「提灯作って火をつけるだけで食っていけるなんて、羨ましいもんだよ」

「薄汚い身なりのくせに、俺達より悠々と村の外で遊んで暮らしてやがる」

「やだねえ、赤憑きなんて不気味ったらありゃしないよ……ひっ!」


 基本的に何を言われても気にしないが、無月のことまで悪く言われるのは見逃せない。赤い瞳に敵意をもって睨まれ、女が悲鳴を上げる。そそくさと立ち去る人々をしり目に、少女は淡々と足を動かし続ける。まだ日がさんさんと天に浮かぶ中、肩に背負った新品の提灯を背負った牡丹は端日家の屋敷へと到着した。


 端日家は村で唯一、火灯しと代々取引を続けてきた家系だ。限られた数の提灯を牛耳り、外部との僅かな交流も手掛けている。そのため村一番の権力者であり、金持ちでもあった。


 母屋へ通され、座して迎えたのは現当主の喜一郎であった。弟である弦次郎より一回り年上の、厳格そうな男に見える。対面で正座をした牡丹はお辞儀をし、師匠から言われたように慣れない敬語で話す。


「師の代理で参りました。牡丹と申します」

「……ほう」


 喜一郎はじろりと小柄な姿をねめつける。今までここに訪れるのは師匠である無月の役目であったから、怪しんでいるのだろう。ずけずけと物申しそうになるのを堪え、いつものですとただ献上品を差し出した。師匠からあまり反論しないようにと言い含められていたからだ。


 新品の提灯を数点確認した喜一郎は頷き、引き換えに金子を渡してくる。師の代わりを無事務め終えて、牡丹は小さく息を吐いた。


「牡丹、と言ったか」


 退室しようとして呼び止められる。気難しげな眼差しは、牡丹を探るように見つめていた。


「何故此度は、弟子が寄こされた?」

「知りません」


 問いに正直に答える。牡丹は私の代わりを果たしてくれないかと頼まれたので、頷いただけだ。師匠の頼みだからと、深く気に留めなかったのだ。


 歯に物着せぬ答えに、喜一郎は面食らったようだった。簡潔過ぎる分、その言葉に裏はないと判断したのだろう。


「まあいい。余計な真似はせず、とっとと去れ」


 下がっていいと言われ、今度こそ退室した。


 屋敷は周囲をぐるりと塀で覆われている。裕福なだけあって、かなり広い。母屋だけでも、牡丹の家の数倍は大きいし、庭は隅まで手入れが行き届いている。池の中には、鮮やかな鱗を身に纏った魚達が、悠々と泳いでいた。


 初めて見る豪奢な屋敷だけれど、牡丹は興味が湧かなかった。言われた通りとっとと家に帰ろうとして、ふと好奇とは別の視線に気付く。弦次郎であった。


 彼は自然な動作で牡丹の隣に付き添い、先日と同じく人の良さそうな笑みを浮かべていた。


「先日はどうも。例の件、考えてくれましたか」

「嫁には行かない。師匠の考えは知らないよ」


 怪しまれないようにするためか、弦次郎は視線を殆ど合わせずに囁いてくる。器用な男だった。


「無月さんにも悪いようには致しません。私は火灯しの方々が不必要に蔑まれる現状を変えたいのです」


 兄と違い、弟は随分とこちらに肩入れしているようだ。牡丹としても無月が罵倒されるのは嫌だったから、ちらりと耳を傾ける。


「……師匠、悪く言われなくなる?」

「ええ。そのためにも貴方の力をお借りしたいのです」


 興味を示し、牡丹はじっと誠実そうな顔を見つめる。爛々と輝く赤にたじろぐことなく、茶色い瞳が見つめ返す。


「火灯しの秘匿された技術を明らかにする手助けを、してもらえませんか」

「考えておく」


 牡丹はぶっきらぼうに返答した。拒絶されなかったことで弦次郎は嬉しそうに笑みを浮かべ、足を止める。丁度門まで辿り着いたところだった。


「それでは、気を付けてお帰りください」


 弦次郎は大事な客人に対するように頭を下げる。火灯しへの丁重な態度に通行人達から怪訝な眼差しを向けられても、一切動じる事はなかった。


 火灯しの現状を変えたい、その言動に偽りはないと態度で示すように。


 牡丹は暫し目を瞬かせて青年を見やってから、さよならと小さく呟き駆けて行った。一度も振り返らなかったため、小柄な後ろ姿を見送る彼の表情は、ついぞ知らぬままだった。




◇◇◇




 端日家を出た頃には、大分周囲が暗くなっていた。帰り際に灯篭全てに火を灯し、後は家に戻るだけといった所で、牡丹はふと足を止めた。


「うう、ひっく、うええ……」


 竹林の奥から声が聞こえてくる。どうやら子供の泣き声のようだ。夜が近いこの時間に、しかも子供が村の外にいるのは珍しいと感想を抱いたところで、牡丹は顔をしかめた。


 幼子の声に混じる、弱々しい別の泣き声。耳元で反響するそれにため息をついてから、迷い子のいるであろう方角へと向き直った。


 提灯を片手にわき道から逸れて草木を踏むこと数分にして、声の中心へとたどり着く。男の子が着物のあちこちを泥だらけにして座り込み、泣きべそをかいている。よく牡丹に石を投げてくる子供の一人だった。


「あ、赤憑き!?」


 足音に子供は顔を上げ、怯えたようにびくりと震える。泣き声が静かになった途端、耳鳴りもぴたりと止んだ。


「こんなに暗くなってもまだ食われてないなんて、あんた、運がいいね」


 牡丹は提灯を微かに揺らして周囲を見やる。暗がりの中から、多くの気配がこちらを凝視している。自分の状況を今更思い知ったのか、子供は怯えたように座ったまま牡丹から距離を取ろうとした。普段化け物だのなんだのと悪口を浴びせているのだ。赤憑きに襲われるとでも思っているのだろうか。


「助かりたいなら、村まで送って行ってもいいよ」

「うっ、うるさい、近寄るな!」


 拒絶と共に土を投げつけられる。目を庇うように上げた手の甲に小石がぶつかり、弾みで提灯が落ちる。ふっと光が消え、辺りが闇で埋め尽くされた。


 その時牡丹が前に出たのは、提灯を拾い直すためだった。図らずも子供の身代わりになった形で、伸びてきた影に掴まれ引き倒される。地面に押し倒された牡丹の周りを、闇を凝らせた何かが取り囲む。牡丹を掴んでいるそれは大きく長い手のようだけれど、ただそれだけだった。胴体がなかったのだ。それは生き物の形になり損ねたものたちだった。


 夜に蔓延る、異形のもの。

 総じて鬼と呼ばれるそれは、人を襲う。


 ひっ、と子供が短い悲鳴を上げて腰を抜かす。今の所、鬼の興味は全て牡丹に向けられているらしい。腰を抜かしている暇があったら、体の自由が利くうちに逃げればいいのに、と牡丹は思った。


 掴まれている腕や足は痛いけれど、我慢できない程ではなかった。食べられるときはもっと痛いだろうか、痛いのは嫌だなと、牡丹はぼんやり考える。顔の正面に、黒く大きな何かがにじり寄る。それは口のようにぱっくりと上下に分かれて蠢いた。迫りくる死を、牡丹はただ大人しく受け入れていた。


 ただ一つ、心残りがあるとするならば──。


「ほうらよっと!」


 気の抜ける掛け声が聞こえたと同時に、闇に一閃が走る。何かが素早く振りかぶられる音が響く度に、色濃い気配が消失していく。牡丹がようやく自由になった手で提灯を抱えなおした頃には、辺りはまるで日中のような平穏さを取り戻していた。

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鬼灯異譚 蜜柑箱 @mikannobinzume

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