03.


 頭によぎった羞恥心を、俺はあくまでもクールに振り払うと、


「バイトしてんだよ。食堂のおばちゃん、二人休みなんだって」

「そ、そうか。ふーん」

「ワァ、タカハシオモシローイ。ニアッテナーイ」

「てめっ、こらっ、ジャミー!!」


 そっちが本音か。


「自分でもわかってるから、いいよ。それよりお前は? これから飯か?」

「あ? あー、そうだよ。文句あっかよ」


 頭をぼそぼそ掻いて、ちょっと照れている風なのはなんなんだ。どこにも照れる要素ねぇよ。ジャミーが「エヘー、ウレシ――モニョッ」と、何か言いかけたところで、雁室かりむろの手に潰された。……あれって、雁室の本体なんだよな。あれ倒したら、雁室も倒せるんだよな……。あいつ、いつか自滅するんじゃないのか。


「忘れ物して家に戻ったらよォ、もう、授業間に合わなくなって。一限、カタブツの数学だろ? 途中から教室入ると、ゴチャゴチャうるせぇーんだよな」

「あれ。そういえば、雁室って一人暮らしか?」

「いや、実家。バイクで……って、馬鹿にしてるな?」


 雁室が俺の顔を見て言う。この学校、なにせ寮生と一人暮らしが多く(肉親に自分の能力を明かせない場合、全寮制の高校に推薦されたと偽って入るパターンが多い。如月きさらぎとか)……なので、生活面で親元から自立している生徒の方が一般的だったりする。その辺が気になるのかもしれない。


 が、それを馬鹿にしているかというと。


「いや、してねーよ。それを言ったら夜崎よざきだって実家だし」

「ああー、あいつそうか。てめぇは? 寮だったか」

「それは無理だ。俺が寮に入ったら、寝てる間に死ぬ」


 衣食住を保証される代わりに、しばしば夜中に叩き起こされるのが寮生の宿命だ。〈物語〉のタイプにもよるが、時間関係なく襲われる〈主人公〉も少なくない。まぁ俺の場合は、とばりさんの部屋をそのまま引き継いだからって事情もあるんだが。


「あー。寮は寮で、厄介らしいもんな」

「そ。じゃねーよ。飯食いに来たんだろ」

「え? ああ、そうだよ」

「エー、モウチョットシャベリタ――」

「黙れジャミー」


 雁室は低い声を出すと、自分の魂を握りつぶす。ジャミーは手の中でウニョウニョ騒いでいる。……今更だけど、こいつも難儀な男だよな。

 ともあれ雁室は注文のためにカウンターに向かい、俺はテーブルを拭く作業を始める……と、寮と繋がっている方の入り口から、見覚えのある二人が来るのに気付いた。


「あれ、高橋たかはしじゃん。エプロンつけて、何してるん?」

「おはよう、高橋君」


 ボーイッシュなヘアスタイルの女子生徒……と見せかけて、魂は男子の逆神さかがみワタルと、性別不詳の工作員・白川しらかわだ。肩に巻いているストール以外、気分で格好も口調も変わる白川だが、今日は女子らしい。制服もスカートを着こなしている。

 二人とも同じクラスなので、俺からすると志乃田しのだも入れて仲良し三人組のイメージなのだが、寮生の場合、この二人の組み合わせには、別の印象があるらしく。


「……一階組か」

「うわっ!? 高橋にそれ言われると思ってなかった!」


 大げさにのけぞる逆神の隣で、白川はうふふと口元に手を当てている。うーん、男の時と女の時で体つきと声まで変わるんだから不思議だ。こっちも実は双子だとか、そういうオチじゃないのだろうか。

 それはともかく、俺は逆神に応える。


「周りが噂してるの、たまに聞くからさ。あー、一階組だ、一階組だって」

「うーん、そんなに珍しいか? でも学年で揃うのは珍しい、って聞くな」


 一階組と呼ばれるゆえんは、この二人の寮生の部屋にある。

 一階に部屋があるから。って、それだけ。


 食堂も入ったこの建物は通常、二階より上が生徒が入る住居スペースになっている。俺はそこまで入る機会が無いので、詳しいことは知らないが、真ん中に仕切りが入って、男女が東西に分かれるような作りになっているらしい。本校舎もそうだが、この施設も、本来違う目的で建てられた建物らしく、それを無理やり分けたり足したりしたような印象があるが、まぁ、一通りの生活はこなせるようになっている。食堂や購買、寮母さんの部屋、談話室など、寮生以外も入れる共用スペースは一階だ。


 それで、逆神と白川は性別での分類ができない。白川は性別がうろちょろ変わるし、分類するなら逆神の方が困難で、ちょっと女子階にも男子階にも入れられないなと、一階の部屋に入れられている。


 この手の生徒は時々出てきて、一階の部屋にはそんな生徒が代々入居すると聞いた。ちなみに、経済状況なども含めて、やむを得ない事情の場合のみこの『一階部屋』は受け入れられ、一般的なココロとカラダの性別不一致などの場合は、体の性別に合わせてフロアが割り当てられるそうだ。先進的なのか旧式的なのかわからない。


「二人も朝飯か?」

「も?」


 俺が尋ねると、逆神が首を傾げる横で、「そうなの」と白川は頷いた。


「今から行っても桂木かつらぎ先生に怒られちゃうだろうから、それなら朝ご飯食べてのんびり行こうか~、って。ね?」

「うん。志乃田も今日は遅刻するみたいだし」

「雁室も一緒だ。さっき同じこと言ってた」

「あー、なるほどね。って、高橋は? バイト?」

「ああ」と首肯して、同じ説明。「食堂のおばちゃん、二人休みだって――」

「高橋~!」


 カウンターの方を振り返った瞬間、俺を呼ぶ竜宮寺さんの声が飛んできた。


「テーブル拭きにいつまでかかってんねん! ジャガイモがあんたを待ってるで~!」

「やべっ、仕事するわ」と、俺がぎょっと布巾を持ち直すと、「ああうん」と逆神は納得したように頷いた。「頑張ってな」


 テーブルを拭いて厨房に戻る。途中、テーブルに学生の忘れ物を見つけたので、椎名しいなさんに預ける。「ジャガイモですか」と、印象に残っていた単語をとりあえず竜宮寺さんにぶつけると、「そや、ジャガイモや」と、なんの装飾も無しに返ってきた。


「トミコおばあちゃんの手伝いしたって。包丁もあっちにあるから」

「あ、はい」

「急かしはしたけど、焦ったらいかんよ。血祭りだけはごめんやわ」

「き、気をつけます」


 俺だってごめんだ。厨房が血まみれになるのも、この人たちに迷惑かけるのも。

 トミコおばあちゃんは、朝会ったときは野菜の皮を剥いていたが、今は鍋をかき回していた。カレーだ。これも美味いと評判だし、俺もしょっちゅう食べている。


「えーっと……トミコおばあちゃん」


 少し呼称に迷ったが、そうとしか知らないのでそう呼んだ。


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