05.
ドゴォオオオオオン……!
遠くで爆発音。俺たちは一斉に海の方角を振り返る。といっても、こんな町中から見えるのは、港町の古風な建物ばかりなのだが。
「やったか?」
「……いや」
俺が呟く横で、
建物と建物の間から、“黒い影”が顔を見せた。
「ギッ」
「えっ」と俺が先に反応し、つられて綾瀬がそちらを見る。
色合いから一瞬〈
謎の怪物は、右に、左にと顔を向け、そして――
「ギヒッ」
黒い影と、目が合った。
影は猿のような四足歩行に変形すると、俺に向かって走り出す。やたら長い両腕と、地面を蹴る両足に、よく見ると鋭利な爪がついているのを見て、あっ、やべっ、と思ったが、俺は動かなかった。
視界の端から綾瀬が飛び出すのが見えたからだ。
綾瀬が無言で、影に向けて“手を払う”。跳んできたピンポン球を、左ききのバックハンドで返すような、軽い動作だった。音はなかった。ただ、綾瀬の左手から、“何か”がダーツのように飛び出して、目にも止まらぬスピードで、影の怪物に刺さったように見えた。
「ギャヒィッ!」
影は短い断末魔をあげて、その場にバタンと倒れると、溶けるようにして消滅。地面に染み込んだ後は、色も何も残らない。特にそれ以上何も起こらないと判断したところで、綾瀬は「倒せないことはなさそうだ」と呟いた。
「こいつ、
「いいや。タイプがまったく違う」綾瀬は影が消えた場所を見ながら呟く。「別の〈主人公〉が、どさくさに紛れて呼び寄せた可能性があるな」
「
「そういうことだ」
ポケットのスマホが鳴った。画面を見ると
『もしもし!
「如月! 今どうなってる? さっき、黒い影が――」
『もう見たの!? 赤坂たちが怪物をやっつけたら、怪物がバラバラになって、黒いザコがたくさん出てきて! 今、町に向かってる! 私と夜崎でできるだけ食い止めるけど、さすがに全部は――』
「数は多いのか」
綾瀬だった。いつもの厳かな声をやや張って、スマホの向こうの如月に問いかける。如月は『綾瀬?』と一度驚いてから、すぐさま、
『相当、多いみたい。赤坂たちも対処してるけど、どんどん分裂するし、全然追いつかなくて……多分、赤坂とは別の〈主人公〉の世界観なんじゃないかな』
「…………」
『綾瀬、戦闘系でしょ? そっちに出たら、お願い!』
「わかった」
通話が切れた。俺が綾瀬の顔を見ると、何か、考え込んでいるように見えた。切れた電話の方を見て黙っている。
「綾瀬?」
「え? ……ああ、すまない」
そう一言謝ると、今まで向かっていた方を指さして、「あっちが繁華街だ」と言う。綾瀬の言わんとするところを察して、「わかった、行こう」と促すと、綾瀬も頷いて、俺たちはそちらに向かって走り出した。
繁華街では、軽いパニックが起きていた。
何人かが海から山の方角に向かって、全力疾走している。それを見て首を傾げる大人、散歩する子供、自転車をこぐ少年が、「逃げろ逃げろ!」と呼びかける。
「ヘンな怪物がいる! 逃げろ! いつもの怪人とは、様子が違うぞ!」
肩から血を流した老齢の男性が走ってきたところで、キャアッ、と町人たちはざわついた。子供を連れて親が逃げ出す。「大丈夫ですか!?」と若者が駆け寄る。「バーロー大丈夫だ、とっとと逃げろ!」と男性が叫ぶ。
「……なんだ、これは」
パニックを起こす風景に、綾瀬がごく小さく呟いた。
信じられない、とでも言いたげな顔だった。今までの中で、一番表情に色が付いている。次から次へと、人が走ってくる。
その中でふと、エプロンを身につけた老婆が綾瀬のことを見つけた。「ああ、ああ、ああ!」と狼狽しながら、綾瀬の元へよたよたと駆け寄ってくる。
「
「見たんですか」
「ええ、ええ、ええ、市場で、ゲンさんと……孫のキィちゃん、いるでしょう! 二人に襲いかかったの! なんとか逃げたんだけれど、途中ではぐれてしまって……」
「キーナが?」
綾瀬が眉をひそめる。
こんな緊急事態に俺が感じていたのは、学校だと仏頂面の綾瀬が、こんなに町人と親しげに喋るなんて、という驚きだった。人と関わりたがらないタイプだと思っていたが。
「ゲンさんとキーナを探してきます。二人はどっちに?」
「あっちに……」と、海の方を指さした老婆は、心配げに綾瀬を見上げる「でも、悠也くん」
「心配しないで。
「わかった、わかったわ。悠也くん、二人をお願いね」
綾瀬は教えられた方へ走り出した。俺も慌てて追いかける。振り返ると、マキノさんと呼ばれた老婆は、見かけた町人に声をかけて、協力を募っているようだった。
「仲良いな」
「良い人たちだよ」
綾瀬は短く返す。
海の方へ向かって走っていると、コンクリートで固められた市場らしき場所に着いた。ほとんどの人は逃げ出したのだろう、綾瀬に時々出てくる化け物の処理を頼みつつ、無人の路地を走っていると、建物と建物の狭い隙間にへたり込んでいる老人と、ポニーテールの活発そうな少女を見つけた。
綾瀬が何か言う前に、その存在に気付いた少女が、「ユウヤさん」と声を上げる。小学校高学年くらいだろうか。
「キーナ、無事か」
「わ、わたしは平気だけど……おじいちゃんが怪我しちゃって……!」
「見せてくれ」
健康的な褐色の肌をした老人は、頭の、耳の後ろあたりから血を流して、目を閉じてウウ、とうめいている。
「ねぇユウヤさん、見た? 黒い化け物」
「ああ、見た」
「あれ、なんなの? いつもの怪人じゃないよね? じいちゃんが“ケガレだ、ケガレだ”って言ってたけど、なんのことかわかる? ケガレが、何かを取り返しに来たって」
「…………」
少女の問いに、綾瀬は黙り込む。
あ、こいつ、何か知ってるぞ、と、直感的に思う。
だが深入りしている暇もないので、俺は学園の方を見た。土曜日だから、要請を出しても平日ほど人は集まらないだろう。距離もある。あの赤坂の放送を聞いて、海岸に来ている奴がいれば――と、建物の陰から顔を出して、海側に目を向けると。
五十メートルほど先から、黒い影がいくつも迫っていた。
「綾瀬っ!」
「ん? ああ……」
その姿を見て、綾瀬は心底、面倒くさそうな溜息をついた。妙に人間くさい、溜息を。
「もう……仕方がないな」
何かを諦めたように、そんな、呟きを。
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