03.


「え、メリット?」

「そうだよ。そんなモブといて」

 心臓が、見えない力に圧迫される。


 ――気にしていない、つもりなのに。


 ありったけの奇跡だということを、理解している。去年から如月きさらぎがめげずに構ってくれたことも、夜崎よざきがたくさんいる生徒の中から、なんの特徴もない俺を選んで、誰にでもできる世話を焼かれてくれることも。だけどそれはこの小さな学校の中での奇跡であって、一般社会に出たとき、俺はこの学校の誰よりも、代わりのきくモブなのだと。だからいつ孤立したって、おかしくないと、わかっているのに。

 夜崎がなんと答えるか、怖い、と思っている自分がいる。

 夜崎が首を傾げる。息を吸う。口が動く――


「いや、ないけど」


 それは、酷く短い答えだった。

 周防すおうの口元に、“してやったり”の表情が浮かぶ。そして、


「え。友達って、メリットで決めるもんなのか」


 夜崎は自分の答えを、ちょっと愕然とした様子で、そう続けた。

「……え? 高橋たかはしのメリットって……?」

「は……? お、おいっ、なんだその顔!」

「あっ、勉強教えてくれる!」

「うっ!? うわっ、なんかみみっちい!」

「あと、忘れ物すると貸してくれる」

「ちいせえ!」

 パシリか。舎弟なのか。

「…………ハア」

 周防は完全に呆れた様子のようだった。こいつは弱肉強食の実力主義者だから、顔に傷も入っていて、一見すると似たタイプに見える夜崎に期待したのだろう。戦闘時とは比べ物にならないほどのほほんとしているから、驚いたのだと思う。

「あっそ。ねえってわかってるんだったら、それでいいわ」

「あっ、待って! メシにナスが入ってると食ってくれる!」

「おいやめろ! 俺が恥ずかしくなってくる!」

「……うん。もう勝手にしろ」

 周防は寮の方に向かって歩き出す。そして、

「そんな戦えもしねぇ奴と一緒にいて、後悔する日が来ないといいな」

 そう告げる背中に、夜崎はアハハ、と笑いながら、ヘラッと言った。


「戦うのは自分でできるから、別にいいよ」

「…………」


 周防は答えなかった。振り向きもしなかった。寮へ進める歩みも止まらず、聞こえていないようにさえ思えた。……きっと、逆だろう。


 俺たちも、どちらからともなく歩き出した。「周防って真面目なんだな」と夜崎が言った。あの会話でその感想が出てくるんだから、そりゃ周防だって驚くだろう。

「あのさ高橋。俺さ、考えたんだけどね」

 夜崎が俺の肩に手をかけた。忙しないしゃべり方をする。普段から子供みたいだけれど、今はいっそう、それが際だっていた。

「高橋覚えてるかな。前に俺が、間違えて日曜日に、学校来たことがあったでしょ」

「ん? ああ……そんなこと、あったな」

 すごい昔の話を持ち出された。こいつと初めて喋ったときの話じゃないか?


 去年の夏の終わりとかだ。日曜日、俺は学園に用事があって廊下を歩いていたら、隣のクラスの教室にぽつんと夜崎が座って、なにやらそわそわしていて。俺は完全に初対面だったけど、思わず、何をしてるんだ、と尋ねると、授業っていつからだ? と、こいつは聞き返してきた。今日は無いよ、講習の申請をしなければ、基本的に土曜と日曜は休みだ、と俺は答えた。


 今思うと珍しかったのが、そのとき夜崎は、ものすごく恥ずかしそうな顔をしていた。


 あ、そうなんだ、と。そそくさ荷物をまとめて帰ろうとするそいつが、なんか不憫に思えて。つい、俺は用事があって学校に来たんだけど、よければ一緒に来るか? とか、わけもわからず誘ったのが、こいつと会った初めての日のことである。当時から夜崎の担任で、その日夜崎を見かけたみなみ先生は、その姿を見て仰天していた。


「そのとき、高橋は俺のこと、バカにしなかったろ」

 夜崎は喋る。子供みたいに、嬉しそうに。どこか、懐かしそうに。

「それで俺、高橋ともっとしゃべりてーなって、思ったんだ」

「…………」

「きっと俺の話をバカにしないで、マジメに聞いてくれるんだろうなって。だから俺は、高橋にいろんな話をしたいと思ったし、俺も高橋の話をもっと聞きたいと思ったんだ。うん。だから、これがメリット。なんだと思う」

 夜崎はひとしきり話して、満足したようだった。口を閉じて、空を眺めている。夕暮れだ。アルバイトのシフトのように、時間ごとに担当が決められている夜崎一族の“討伐”は、最近は浅い時間に入るようにしているのだと夜崎は言っていた。

「……いや。お前が思うほど、俺はいい奴じゃないよ。夜崎のことだって、しょっちゅうバカにしてるだろ」

「口ではバカにしても、行動ではしないだろ?」

 俺は顔を上げる。

 夜崎がこちらを見ている。

「人間の本質は、言葉より行動に出るんだって、オヤジが言ってた」

 意志のある猫のような瞳で、夜崎は俺のことを見ながら、喋る。相変わらず、人の内面を見透かすような色の瞳で、初めて“オヤジ”の話をしながら。

「それだけは覚えてるんだ。最近やっと、意味が分かった」




 翌日。

 夜崎も如月もまだ学校には来ない。四限は化学で、実験室での授業だったため、俺は一人で必要な物を揃えて移動する。〈主人公〉たちの研究棟がすぐそばにあることもあって、実験器具がやけに豊富なのも、この学校の特徴だった。

 実験室に行くと、先に赤坂あかさかがいた。

「あれ? 赤坂……もしかして、直でこっちに来たのか?」

 さっきまで教室にいなかったはずだから、机に置かれた通学鞄の存在も加味して尋ねると、「ああ」と赤坂は頷いた。「朝は、仲間と作戦会議があったんだ」

「そっか。忙しいな」

「いやあ。こんなの、どうってことないさ」

「ふうん……そういや昨日の話、どうなりそうだ? とりあえず夜崎と逆神さかがみ志乃田しのだと……。ああ、あとは綾瀬あやせか。あのあたりは手伝うのか」


「俺はまだ決めてない」


 突然低い声が響いたので、ギョッとして振り返ると、綾瀬がすでに着席していた。この学校だと逆に目立つ、素朴な容姿。優等生と言うには少し陰気で、根暗と言うには眼光鋭い綾瀬が、低く、威圧感のある声を響かせていた。

 すると赤坂も、綾瀬の方を振り返って、

「なあ、どうして手伝ってくれないんだ。力を持つ者は、ヒーローとして市民たちを守るのが当然じゃないか。そう思わないのか」

「手伝わないとも言ってない。お前の行動によるな」

「綾瀬。大切なのは、俺の行動如何いかんじゃない。ヒーローとして、力を持たない市民一人一人を守ることだ。俺は綾瀬の、そういう意志に賭けたいんだよ」

「悪いが、俺はお前ほど、正義感の強い人間じゃないんだ」

 綾瀬の反応は素っ気ない。「そうか……」と赤坂は諦めた様子だ。


「どうかと思うな。得た力を、人のために使わないのは」

「…………」


 赤坂の独り言に、綾瀬は黙る。俺としては、もらった能力を何に使うのかなんて、当人の自由なんじゃないのかと思うが、いつもヒーロー属性の人間に助けられる手前、そう言うこともできなかった。

 会話に空白ができたので、俺はとりあえず、聞きたいことを突っ込む。

「えーと……赤坂は、今日はどうするつもりなんだ? また、呼びかけるのか?」

「ああ。他学年も回ってみるつもりだよ。とはいえ、他の学年や中等部とは繋がりが薄いから、説得に難があるかもしれないな」

「そうか。俺も、何か手伝えることがあればいいんだけど」

 戦闘地域周辺の住人の苦労を思って呟いたつもりだったが、「ああ、いい! いい!」と、赤坂は大げさに手と首を振った。そして拳をギュッと握りしめて、爽やかな笑顔で、


「高橋たちが心配することは何も無いよ! 一般人は安心して、戦う力のある者に任せとけばいいんだから!」

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