06.


 授業の時間が終わってから。


高橋たかはしー。ちょい、職員室までついてきてー」

「え、えー? 俺っスか?」

「おう、来い来い」


 鮫島さめしま先生に呼ばれて、俺は廊下に出る。「何の用ですか」と、先を歩く教師の背中を追いながら尋ねると、「いやーさ、前回の課題の返却忘れてたから頼むわー」とのこと。


「お前あれなん? この学校いて楽しい?」

「え?」


 前触れもなく話が変わったので、首を傾げる。一年以上この学校にいて、この先生とも一年の頃からの付き合いなのに、今更それを聞くか。

 だが「全然」と答えたところで「じゃあ辞めろ」と言われるだけなので、多少意地も張って、


「いや、まぁ。それなりに……多分」

「ははっ、曖昧すぎ」


 鮫島先生が笑う。廊下を曲がって、階段を下りる。

「まぁこんな学校に真面目に通って、得られるものなんてそんなにぇと思うよ。カリキュラムもまともに機能しない、勉強時間も確保できない、部活も行事もろくに存在しない。自分の〈物語〉を進んでるやつに、お飾りの“学歴”を与えるだけの学校だ」

「…………」

「三年間、顔を出さずに卒業するやつだっている。仮に真面目に勉強しても、クラスメイトがほとんどいないんだから、家で勉強してるのと同じだ。結果的に、籍だけ残して生徒は減っていく一方になる」

「それは……そうかもしれないっすね」


「俺は教頭から、お前みたいな一般人がここに入ってくるって聞いたとき、反対した」


「…………」

 それは、初耳だった。

 そうなのか、とも思ったし、そうだよな、とも思った。そんなにハッキリ言うかよ、とも思って、絡まる感情たちに行く手を阻まれて、俺は黙っていた。

「お前が一般人だからじゃない。俺が、ここの卒業生だからさ」

「…………そうなんすか?」

「俺は、高校卒業直前に能力が無くなってな。それもあって、慌てて就活して、一度一般企業に就職してた~……って話は、初めての授業の時にしたよな」

「えっ、あれ鮫島先生だったんスか。話は覚えてるんですけど、誰だったか忘れてて」

「覚えとけドアホウ」

 肩越しに、先生が右手でデコピンのジェスチャー。

「でも、それが大変でさ~。全っ然会社になじめないわけ。会社じゃないな、社会そのもの。学園がとにかくフリーダムだから、いきなり時間通りに動けるようになるはずないし、『高校生活どんなだった?』って聞かれても、大した思い出もないから、上手く説明できないし。それ以前に、高校生らしいことなんてなんもしてねーし。嫌気がさして勢いで会社辞めて……これも、今思うと甘い考えだったけどな。まぁその後はここの事務のバイトしつつ、通信で勉強して教員免許とって~、みたいな」


「……なんか、意外と苦労したんスね」

「いーや、ツケが回ってきただけさ。特に俺は、適当だったから」


 先生はさらっと言う。〈主人公〉は皆、飄々となんでもこなしてしまうイメージがあるから、そういう泥臭い話を聞くのは新鮮だった。

 そろそろ、職員室の階につく。

「そういうことだから、お前は入らない方がいいと思ってさぁ。入らなくて済むやつが入る場所じゃないよ、ここ」

「は、はあ……そうっすか」

「でも、校長は通した」

 最後の一段を降りたとき、彼は立ち止まって、俺の方を振り向いた。


「お前が、冴木さえきとばりの弟だからだ」

「…………」


 ……この学校の大人たちは、みんな帷さんの名前を知っている。名字が違うから、あからさまに指摘されることはあまりないが、教師や一部の生徒の間では、彼の弟がこの学校にいることと、それが俺であるということは、密かに広まり、囁かれていた。

「……けど、今日。あいつが推薦した意味が、なんとな~くわかった気がするよ。どうしてお前のことを、こんな学校に入れたがったのか」

「…………それって……」

「ま、あいつの考えてることなんか、わかった気にはなっても、一生理解できそうにないがな。せいぜい頑張れよ、モブはしくん。さあ、教室に帰った帰った」

「は、はあ。っていうか、まだ課題もらってませんけど……」

「ああ、それ嘘だわ」

「はあ!?」





 酷いフェイントを食らって、大急ぎで教室に戻るが、その途中チャイムが鳴って、すべてを諦めた。次は数学だったか。数学の先生、目つき鋭いから、ちょっと苦手なんだよな……まぁ、モブも平等に見てくれる、貴重な人ではあるんだけど……

 と、憂鬱になっていた途中、階段で、意外な人物を見つけて。


「……あれ? 城銀しろがね?」

「あ、高橋」


 城銀が通学鞄を下げて、優雅に階段を下りてくる。背筋もピンと伸ばしていて、こうして見ると絵になる少女だ。

「早退か?」

「ええ。アメリカの知り合いから連絡が入って、事件の解決に協力してほしいって」

「うわ、海外かよ……お前も忙しいな」

「向こう一週間は帰って来れないでしょうね」

 そう言って城銀は嘆息する。

「それじゃ、バイバイ」

「ああ、それじゃまた……――あっ、城銀!」


 通り過ぎようとした彼女を呼び止めると、城銀は「何?」とメガネを掛け直しながら、俺の方を振り返った。


「さっきは悪かったな。変なことに巻き込んで」

「いつものことでしょ。今更なに謝ってんの?」

「言い方きついなぁ……」

 彼女の歯に衣着せぬ物言いに、つい苦笑いをこぼす。本当、そうだよな。

「気をつけてこいよ。どうせまた、おっかない殺人事件だろ」

「人の心配できるの? 自分こそ、毎日変なことに巻き込まれてるくせに」

「あはは……そうだよな」

「…………」

 城銀は立ち止まったまま、黙り込んだ。……数秒、黙り込んでから。


「せいぜい死なないことね。あんたが死んだら、面白い事件が減るから」


「……ああ、うん。頑張るわ。いってらっしゃい」

 城銀は答えずに、階段を下りていく。相変わらずのクールっぷりに苦笑していると、階段を踊り場から折り返す間際、ひらひら、と手を振るのが見えた。

 それだけ見れれば満足だ。見えないのは承知で手を振り返す。彼女の姿が視界から消えるのを確認して、階段を上っていく。


 さあ、次の授業だ。

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