04.


「ええ? いやいや、無理だよ。俺にできるのは精神憑依だけだもん」


 白川しらかわの、二つ後ろの席に座る逆神さかがみワタルが、遠慮がちに手を振る。

「でもほら、君が高橋たかはし君に憑依して、ミチルさんがその腕と足を縛れば……」

「いやぁ。でも、やってないやってない。俺らになんのメリットがあるのさ」


 ……そう、少年っぽい口調で説明するのは、ショートカットの女子生徒だった。


 紛らわしい話だが、このクラスにはジェンダーの境界が曖昧な生徒が、二人いる。いや、三人、と言う方が正しいかもしれない。それが白川と、逆神姉弟。

 白川は前述したが、逆神姉弟は事情がまるで異なる。一つの体に二つの魂が入っているという、これまた特殊な設定の持ち主だった。姉であるミチルの体に、かつて死んだ双子の弟・ワタルが入っていて、ワタルの魂は任意で様々な生き物に憑依することができる。ワタルの魂がミチルの身体に入っている間は、ミチルの意識は表層に出てこず、基本的にワタルが彼女の言動の支配権を持つ。


 俺の知る限り、彼らは特に倒すべき敵もいなくて、比較的現実に近いというか……少年漫画というより、ラノベとか、場合によっては児童文学みたいな世界観の二人だと思っていた。一人の体を二人で分け合うことの困難は、ある意味他の〈主人公〉よりキツそうだが。


「というか、志乃田しのだはどうなん? さっきから黙ってるけど」

「ひうっ。わ、わたっ、わたし……!?」


 ふわふわした栗色の髪を腰まで伸ばした少女が、後ろの席の逆神に話を振られて、驚いた様子でびくんと震える。志乃田つくし。クラスで一番背の低い少女で、今いる他の女子のどの系統とも異なっていて……百花ももかの洋風版、というのが一番しっくりくるかもしれない。

「わたわたわた、わたっ、わたしはっ、そんな……! だっ、だって、うう」

「あ、あんまりビビんなって~。ミチルに出てきてもらおうか?」

「ひえっ……」

 えらく挙動不審だが、彼女はいつもこんな感じだ。もともと人間嫌い、もっと言えば男子が苦手らしく、無能な俺のことも他の男子と同じように遠ざけられている。それでも頑張って挨拶はしてくれるので、根っこは善良なのだろうが――


「志乃田さん?」

「志乃田?」


 白川が目を細め、逆神が目を開く。それぞれ異なる警戒を見せながら、外野にいた短気な周防すおうは、「おい!」と不良っぽく声を荒げた。

「こんなときまでビビってんじゃねえよ! 普通に答えりゃいいだろうがっ」

「ひっ」

「いやいや、周防……その言い方はキツいぜ」

 困った顔をする逆神に、「ああ?」と、周防は声を低くする。「いやだから……」と、逆神がさらに、おどおどと反論しようとしたとき、両耳を塞いで震える志乃田の様子を見ていた、白川の表情が変わった。


「わ、わたっわたっ、わたしはぁああああ~~~~!」


 ほとんど泣き叫ぶみたいに志乃田が言った瞬間、「みんな下がって!!」と、白川が立ち上がりながら教室に向かって叫ぶ。それを待たずに、ピリ、と教室の空気が変わり、両手で顔を覆った志乃田の背後に――ぬっ、と、“影”が現れた。

 間欠泉のように黒く湧き出した“それ”は、一瞬で色と模様を得て、巨大な狼の形を成す。そして屏風から飛び出した虎のように、彼女の背後から、こちらへ――つまり、俺の方に向かって走ってきた。


「だ、だめ! “ガオーちゃん”!」

 志乃田はハッと顔を上げ、飛び出した狼に叫ぶが、怒り狂った獣は止まらない。器用に空いている机の天板を蹴って、いち、に、さん――

夜崎よざき!」

 如月きさらぎが呼ぶ前に夜崎は応じていた。指に札を挟んで「六条ろくじょう山河さんが〉」を唱え、正面に札を放つと、俺や城銀しろがねの目の前で霧散、同時に薄いガラスのような障壁が幾重にも重なって盾になる。透明な壁に激突した狼はギャアッと叫んで体をうねらせると、夜崎から逃げるように引き返す。蹴飛ばされた机がいくつか倒れる。


「お、俺、なんか手伝えるか!?」と、叫ぶように逆神。

「手出すな!」と周防が返す。「雁室かりむろ! お前いけ!」

「指図すんなロボ!! ったく、ジャミー!」

「ハイ!」


 文句を言いつつも、雁室の手の中でジャミーは弓の形を成す。そして教室の中心で暴れる狼に狙いを定めると、素早く、目一杯、弦を引いた。

「〈バックコルテ〉!!」

 ギャァアアアアアアア!!

 短い光の矢はまっすぐ狼へ飛び、横っ腹を貫いた。狼は叫び声を上げてその場でのたうち回るが、しばらくすると力尽きたように徐々におとなしくなり、腹に突き刺さった矢は“植物になって枯れて”、狼もスウ……と、透明になって消えた。


 教室の隅で、白川と逆神に庇われるようにしていた志乃田は、それを見送ってから。

「ご……ごめんなさい~~~~! わたし、また出しちゃって……!」

「ああ、ほらほら。泣かないで、つくしちゃん。大丈夫だから」

 白川が女のしゃべり方で、志乃田の頭をよしよしと撫でる。「お前準備してただろ!」と雁室は隣で臨戦態勢をとっていた周防に文句を付けると、「教室が壊れたら面倒くせーだろうがよ」とさらっと言い返しながら、夜崎の方を向く。

「つか、最初に夜崎が全部やれよ。できただろ」

「えー、近くに高橋と城銀いたからさぁ。あんま大技使いたくなかったんだよね」

 他のメンツが喋るのを聞きながら、俺たちは倒れた机を粛々と立て始めた。こういうことがわりとしょっちゅうあるので、たいていの生徒は机の中に教科書を置いていかない。


「お~、ブラボー、ブラボー」


 米国人が聞いたら殴られそうな棒読みで、ショボいスタンディングオベーションを送るのは、寝ているとばかり思っていた鮫島さめしま教諭。教壇に立ってパチパチパチと手を鳴らす。

「いやー、先生感動しちゃったよ。お前らの見事な連携、互いの弱点を補い合うチームプレー。たださ、先生放置はひどくね? 誰か真っ先に守りに来てくれてもよくない?」

「自分でどうにかしろよ」

「それは自分で逃げろよ」

「先生は自分でどうにかしてください」

「ジブンノミハ、ジブンデマモレ~」


 一斉に四人分の声が重なる。周防、雁室、城銀、そしてジャミーだ。鮫島先生は「トホホ」と言いながら、「まあいいけど」と椅子に座った。ちなみに、あれだけの騒動が起きたのに誰も教室を覗きに来ないんだから、やっぱりこの学校はおかしいと思う。


 鮫島先生は耳の後ろをポリポリ掻きながら、席に戻る志乃田の方を見た。

「志乃田は、あれだなー。守護霊だっけ、あやかしだっけ………まあ、オバケとの話し合いがまだ上手くできてないんだなー」

「あう。は、はい……」

「まーしゃーなしだね。早くできるに越したことはないけど、こういうイザコザは使役系の宿命だから、焦らずコツコツがんばりんしゃい。幸いなことに、このクラスはわりと協力的みたいだし」

「うう……み、みんな、ありがとう、ございます……」

 頭を下げる志乃田に、鮫島先生はウムと頷く。


「今の感じだと夜崎が一番反応早かったかな。如月と周防は変身系だから、戦闘モードに入るのにラグがあんだよな。雁室に回したのはよかった。屋内で一番安全に処理できるのはこいつだから。ただ、本当だったら、夜崎より反応速度あげにゃならんのは、高橋、城銀、逆神だな。お前ら基本的に、自分の身を守る術ないっしょ。特に高橋」

「夜崎を超えろってのは無理あるッスよ……」

「たとえだよ、たーとーえ。それくらいの意気込みでいなさいってこと」

 鮫島は話しながら、名簿を開いてボールペンで何かカリカリ書き込んでいる。

「というかお前ら、自分らの能力ちゃんと把握してんだね。なに? 仲良しなの? 赤坂あかさかみたいな熱血が、勝手に徒党組んでヒーローのマネすることはあるけど、そういうキャラでもないっしょ。普段からこういうことしてんの?」

「ハァ? モブのせいだろ」

 周防がキツい表情で俺の方を振り返る。


「そもそもそこの無能が! 戦闘だか事件だかに巻き込まれるせいで、こっちで尻拭いさせられんだよ! テメーのことはテメーで片付けやがれ、バーカ!!」

「ちょっと周防! あんた、そういう言い方はないんじゃないの?」

「うるっせぇなオコチャマ戦士! 俺はお前みたいに暇人じゃねーんだよ!」

「ひぅっ」


 俺を挟んで言い争う如月と周防に、なぜか志乃田の方が泣きそうな顔になっている。それを見かねてか「まあまあまあ」と白川が割り込んできた。

「ひとまず平和に済んだんですから、落ち着いて。戦い終わってトラブルは済んだのに、人間同士で争ってたら世話ないですよ。それに、非戦闘系の生徒は、高橋君だけじゃないですし」

「というか、今回高橋を閉じこめたのって志乃田さんよね?」

「ひぇっ!?」

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