04.
先ほどと同じ弓を、だらりと下げた手で握り、フーッ、フーッ、と、疲労とは違う荒い呼吸で、俺のことを睨みつけている。
「こいつ」と、
「夜崎、いいよ」
「でも」
「あいつがキレてんのは、俺だから」
「――モブの分際でッ!! 偉そうなこと言ってんじゃねえよ!!」
雁室の怒鳴り声が、屋上に響く。
「のうのうと暮らす一般人がァ……ヒーローを祭り上げるだけの、クソッタレがァ!! 力のねえ奴は黙って従ってりゃいいんだよ!! 怯えて震えて鼻水とシッコたれ流して、ぎゃあぎゃあ泣きわめいて許しを乞えよォオオ!!」
「…………」
「なんなんだよお前はよォ!! 凡人が正義のヒーロー気取りやがって! てめェはちゃんと這いつくばって這いつくばって這いつくばって、のたうち回れ!! それしか能のない弱い人間だろ、テメェエエエはァァァアアアア!! クソがッ――え?」
近所迷惑な演説が、終わる前に。
俺は雁室の方へ、拳を握りしめて向かっていた。雁室は「えっ? えっ? えっ?」とすっかり我に返った様子で困惑しているが、無視だ。
ゴッ
ショボい右ストレートが、雁室の顔に入る。
思ったより上手く入った。体をひねってねじりこんだ、頬骨と顎の間。思い切り突き出した拳が、奴の分厚い皮膚をえぐり、俺の手の皮ごと擦れる。
人を殴ったのは久しぶりだった。
雁室は大げさにリアクションをとってくれた。よたよたとデカい体が後ずさりし、「テメエ」と俺を睨みつける。手から離れた弓はもとの
「謝れよ!! 俺のことをモブだ凡人だっつって見下すのは構わない!! けど
「んなっ――」
「それともあいつなら、きっと何もしてこないと思ってんのか!? そうやってあいつをいじめて満足して、お前は王様気取ってるだけだろ!? バッッカだな!! お前はっ、砂山の優しいところに甘えてるだけだろうがッ!!」
「ちょっ、
「た、高橋くん、い、いいよ! か、か、雁室くん!!」
夜崎が後ろから俺の襟を掴んで、ぐいと雁室から離す。すると砂山が前の方に出てくる。砂山が攻撃されるんじゃないかと緊張したが、雁室はそれも聞こえていない様子で、俺を見て呆然としていた。
「かり、むろくん。雁室くん」
砂山が名前を呼ぶと、雁室は目の動きだけで、砂山の方を向く。
ヒャッと砂山が震えるが、後ずさりしそうになった足を堪えて、声を震わせながら、
「かり、むろ、くんの、き、き、気持ち、わ、わかるよ。す、少しだけ……」
「…………あ?」
「ちゅ、中等部に、雁室くんと同じ、〈ウィスプ〉を連れた子が、い、い、いるでしょ? あの、こ、から、聞いたんだ。雁室くんは、もともと、自分たちの、敵だったって」
「…………!」
雁室は目を開く。口がわずかに震えた。その手に一瞬、暴力の香りが漂ったとき、砂山は怯えた声で、こう告げた。
「ぼ、僕も、そう、なんだ。最初は、リュージくんの敵、で。あっ、リュージくんっていうのは、僕の……」
雁室の顔が、砂山の方に向いた。俺は……前に、聞いたことのある話だ。
――ぼ、ぼ、僕は……わる、悪者なんだよ。
「ぼ、僕は、死んだお父さんと、お母さんを、“作りたくて”、悪魔、と、契約したんだけど、ね。そのせいで、年をとらなくなっちゃったんだけど。上手く、作れなくて。そしたら『両親を生き返らせてやる』って、悪い人にそそのか、されて」
「…………」
「たくさん武器を、作ってたんだ。人を、傷つける武器を。そんなの、嘘、だったのに」
「…………」
「だ、から、雁室くんの気持ち、少し、わかるよ。あ、あ、頭が、おかしくなっちゃいそうだよね。信じてたものを、一度、壊されたん、だから。何を信じればいいのか、わからなくなって。今信じてるものだって、壊れちゃうかもしれないって、ふぁ、不安で……」
俺も夜崎も、雁室も、ただただ無言で砂山の方を見ていた。砂山はひとしきり、話すべきことを話し終えた様子で、改めて顔を上げると、
「か、鞄、あげるよ。お金も、教科書も。で、でも、中に入ってる工具だけは、か、返してほしいんだ。お父さんと、お母さんの、形見、だから」
お願いします、と、どもりながら、深く頭を下げた。
「…………」
雁室は黙っていた。興奮は冷めたらしい。俺も夜崎も、雁室の言葉を待っていた。
ふよ、と雁室の背中から、緑色の人魂が現れた。
「コ、コワカッタ」
ふよふよ、と〈ウィスプ〉はふらふら飛んで、砂山の目の前にやってくる。
「ゴメンネ。イジワルシテ、ゴメンネ」
「え? う、ううん……」
「アリガトウ」
人魂が泣いている。
人魂って泣けるのか、とツッコみたくなるが、たしかに目から涙のような光の粒が、人魂の頬を伝って落ちていく。「チッ」と雁室は舌打ちすると、ぴょんと塔屋の上にひとっ飛びして、投げ捨てていた砂山の鞄を持ってきた。
「ほらよ。……悪かったよ」
「あっ……ありがとう」
砂山はそう言って、自分の通学鞄を受け取る。ここでお礼を言っちゃうあたりが、砂山らしいと言えばらしいところだ。雁室は無言でゆっくり俺の方を振り返り、俺の顔を真剣な表情でジーッと見つめ、数秒が経った頃――
「べーーーーっだっ!!」
人差し指で目の下を思い切り引っ張って、舌を出した。
「んなっ」
「おら行くぞ、ジャミー!!」
雁室はそのまま屋上の端まで全力疾走。ジャミーは俺の方を振り返って、「タカハシ、バイバイ、マタアソンデネ」とふよふよ踊る。そのまま雁室について行って、ぴょんと柵を飛び越えて五階の高さから退場する雁室とともに、屋上から姿を消した。
屋上には、俺と夜崎と砂山が、ぽつんと残されて。
「……いや、ガキかよ」
翌日。
下駄箱に、なんか入ってる。
上履きの上に、透明なビニール袋。中には花の形をした、クッキー……? カルメ焼き……? ともかく、見慣れない和菓子らしきものが入っていた。中央にはドーナツみたいに穴が空いているが、それにしては軽いし硬い。手紙は入っていないから、まさか告白ってわけでもないだろう。この学校でそんなことがあったら俺は卒倒する。
仕方ないので、それを持って教室に向かう。
今朝は夜崎も如月もいない。こんな日もある。むしろ、去年からトータルで数えれば、こんな風に、一人で教室に入る方が当たり前なのだ。
代わりに、教室にいたのは。
「…………」
「タカハシ、オハヨウー。アソボ~」
机に突っ伏している不良の周りをふよふよ飛びながら、緑色の人魂が俺に挨拶する。そういうことは初めてなので、戸惑いつつ「お、おう」と軽く手を挙げて返すと、「ワーイ」と人魂は楽しそうに踊っていた。
俺は自分の席に着いた。
「……あのさー、雁室」
「あんだよ」
自分の席から雁室に話しかけると、机に突っ伏した状態のまま、ぼそぼそと返事があった。やっぱり、狸寝入りだったらしい。
「俺の下駄箱になんか入れた?」
「ハァ? 入れてねーよ!」
「イレタヨー、イレタヨー」
「ジャミーうっせえ!」
「モニョッ」
雁室がジャミーを大きな手で掴む。その人魂、普通に掴めるんだな。
「これなんなんだ? クッキー……?」
「はあ!? てめぇ、そばぼうろも知らねえのかよ!!」
「そ、そばぼうろ?」
「かーっ、これだから現代っ子はよォ!! おら、封開けろ! 食え! 美味いから!」
「いや同い年だろ! うわっ、結局お前が開けるのかよ!!」
「た、た、高橋くん、いるー……? 僕の下駄箱に、大きいおはじきみたいなのが……」
「ああん!? おはじきだとぅ!?」
「ヒェッ!?」
砂山も加わって、今日もこの教室は騒がしい。
……でも、まあ。こういうのも、悪くはないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます