12.

 それは、先ほどまで夜崎よざきを掴んでいた大男と同じくらい立派な体つきで、この場にいる誰よりも、立派な和服に身を包んでいる男性だった。瞬間、大人たちの態度があからさまに変わった。それまでなよなよとしていた姿勢をピンと正す。

 男性が一通り運動場を見回した後、真っ先に目を合わせたのは、眼鏡の男だった。


「……れい百花ももか様を屋敷に連れて行け」


「はい」と短く眼鏡の男が応じた後、チラッと俺たちの方を見た。だが何か口にする前に、地面から起き上がった大男が、「親父!」と不満げに声を張った。すると男性は間髪入れずに、「詔八しょうはち」と名前を呼ぶ。

「幸い海側は凪いでいる。結界班と連絡して、山側の統制を取れ。お前の勝手には目をつぶってやる」

「勝手をしたのはそいつらだ! いい加減にさせるべきでしょう!!」

「事情は後で聞く。早くしろ!」

 怒気のこもった声。詔八、と呼ばれた男は最後に「チッ」と舌打ちをすると、あとは何も漏らさず、「行くぞ」と連れてきた大人達を率いて、運動場を出て行く。それとは別に、数人の大人たちがまた運動場に入ってきた。彼らも「二人を連れて行け」と指示を受けて、夜崎と百花へ歩み寄る。隙を縫って、眼鏡の男が「当主殿、そちらのお二人は」と、ずっと蚊帳の外だった俺と如月きさらぎのことを話題に挙げた。

 だがそれよりも、夜崎のことが気になった。百花に支えられて、顔を背けている。


「夜崎」


 呼ぶと、無関係な大人が何人か振り向いた。そして俺の手元を見て、「預かりましょう」と比較的親切そうな大人が言って、その時初めて、俺は自分が夜崎の刀を持ったままだったことに気付いた。


 そんな用事で呼び止めたわけじゃない。

 けど、何か用事があったかというと、別に。

 しばらく言葉に悩んでから、


「また学校でな」


 そう、口に出したことが、つまらなさすぎて、笑い声も出ない。

 けど夜崎は振り返った。気まずそうに俺を見て、何も聞こえなかったけれど、うん、と応えた気がする。百花が俺と如月に向かって深くお辞儀をした。

「話は私からさせていただく。お前たちは屋敷に戻れ」

 俺が顔を上げる前に、男性の言葉を受けて、大人たちは動き出していた。それぞれ堅苦しい返事をして、夜崎と百花を連れてその場を立ち去っていった。






 かくして学校の敷地には、俺と、変身を解くタイミングを見失っている如月、それから例の、一番立場が高そうな男性と、三人きりになっていた。ガッシリとした体つきと、彫りの深い顔をしていて――耳にちょこんと装着された、小型のインカムが少しだけシュールな男性は、俺たちの前に出ると、深く頭を下げて、


「お初にお目にかかります、夜崎家現当主の、二肯じこうと申します。息子達がご迷惑をおかけしまして、申し訳ございませんでした」


 と、意外と普通の口調で謝るのだった。

 俺と如月は目を合わせる。多分、大体同じような感想を抱いている。男性は頭を深く下げたままで、放っといたらいつまでも下げていそうだったので、「びっくりしましたけど」となんとか声を出す。

「俺たちは大丈夫です。な?」

 如月に同意を求めると、「う、うん」と如月もやや困惑気味に肯定してくれた。「お気遣いに感謝します」と、男性の言葉も態度も丁寧ではあるが、こんな唐突に現れた見知らぬ大人と、どう接すればいいんだ。

 するとその人は続けて、

「零とは友達で?」

 急に別角度から飛んできた質問。一拍空けて如月が「そうですけど」と、警戒気味に答えた。「クラスが同じで」と俺も付け足すと、「そうでしたか」と男性は頷く。


「息子が迷惑をかけていませんか」

「別に…………って、えっ。親父オヤジさん!?」

「えっ」


 反射的に聞き返すと、ポリポリ頭を掻いて、「ええ、まぁ」と歯切れ悪く応じる。う、うわー、気まずっ。友達の親、気まずっ。っていうかあいつ、一族の当主? リーダーが親だったのか? 聞いてねぇよ。

 如月もたどたどしく口を開く。

「夜崎……あー、零、くん? は、大丈夫ですか?」

「はい?」と目を開く親父さんに、「ええと」と如月は言葉を選ぶ。

「私も詳しく聞かなかったの、良くなかったと思うんですけど、夜崎がしてたこと、そこまで悪いことだって知らなくて。このあと、厳しく怒られたりしないかなって」

 すると親父さんは、俺たちを交互に見て、


「悪いようにはしません。大丈夫です」


 その言葉に、俺も如月も何も言えなかった。微かに腹の底で――いや、なんかそれ、良くない扱い受けるときの常套句じゃね? と、首を傾げたけれど、「それよりも」と言葉を続けた親父さんに流されてしまった。

「家まで送りましょう。新月の夜に出歩くのは危険です」

「あ、私、大丈夫です」と、如月。「寮生なので」

「そうですか。ええと……」

 呼び方も定まらないまま、俺に話を振られる。「一応、町の方に……」と、聞かれたと思われることを答えると「そしたら行きましょうか」と話を進められた。

「じゃ、じゃあ。高橋たかはし、また明日」

「お、おう」

 屈強な大人に抵抗する隙も理由も無く、俺たちはなんだか釈然としない気持ちで別れの挨拶を交わす。すると唐突に、「あのぅ」と、親父さんが、なんだか“素”に思える声で、如月を呼び止めた。「気になっていたんですが」

「え。な、なんですか?」と、緊張した面持ちで、如月。

 すると親父さんは一拍置いて、


「その格好は、趣味か何かで……?」





 そんなわけで、俺は、親父さんと二人きりで家路につくことになってしまい。


「…………」

「…………」


 坂道を下りながら、気まずい沈黙が続いている。俺も十分気まずいが、相手も対応に困っている様子がヒシヒシと伝わってくる。チラッと横顔を見る。

 輪郭がほっそりしている夜崎に比べると、随分と筋肉質で厳つい人だ。鼻も顎もガッシリしていて、身体も大きい。髪も短く刈り込まれているので、いっそう輪郭が際立っている。だが眼差しだけはどことなくおっとりしていて、妙な親近感が湧いた。

「どうされました?」

 横顔をジロジロ見ているのがバレたらしい。なんでもありません、と答えるのも変なので、「ええと」と、考えていたことを、角が出ない言葉に変換する。

「夜崎の家族に会うのは、初めてだったんで。こういう人だったんだなって……?」

 親父さんは、「ああ」と、軽い口調で。


「零の父は、私の兄なんです。だから、直接、血の繋がった親子ではなくて」

「え」


 言葉を失った。予想しなかった方向からの返答だった。

「……すみません」

「いいえ。こちらも、紛らわしい言い方をしました。零は話してないんですね」

「……知らなかったです」

「兄の一人息子なんです」と親父さんは続けた。「兄に似て、優秀な子で。教える側としては、十分にできているかどうか、いつも不安で」

 それは俺への説明だったけど、親父さんの弱音のようにも聞こえた。先ほどの大人たちには言えなかったことを、無関係ならこれ幸いと、俺に愚痴をこぼしているようにも。

 けど、この人の言葉遣いや、どこか遠慮気味な態度に親しみを持てるのは、似たようなコンプレックスを持っているからかもしれない。


「俺も、あの……もう亡くなったんですけど、兄貴がいて」


 そう切り出すと、「え?」と親父さんが少し高い声を上げた。

 変な話をしてるのは、自分でもわかってる。


「急にすみません。ただ、すごく優秀な兄貴だったので、自分もどうすればいいのか、わからなくなるときがあって……いや、なんか、わかるなって思ったんです」


 何ヘラヘラ言ってんだろ、俺。これは、呆れられても仕方ないな。


 だが親父さんは、「はは」と、薄く笑い声をこぼしていた。俺の口下手を嘲笑うようでも、自分自身に呆れているようでもあった。

「できた兄弟を持つと、苦労しますね」

「……そうっすね」

「でも、自分たちが頑張らないと、町を守れないですから」

 親父さんが顔を上げた。

 世間話をやめて、仕事に戻る大人の口調。何かに囚われている視線。


 視線の先に、町がある。深夜になり息を潜めているが、命が眠っている小さな町。「そういえば、町に〈悪鬼あっき〉が出たんですか」と確認すると、「心配しないでください」と返事。「いつもと同じくらいですよ。我々にどうにかできる量です」

「じゃあ、夜崎がしたことで、なんか悪いことが起きたりとかはしてないんですね」


 念押しすると、一拍空いた。


 その短い時間だけで、あ、そういうわけじゃねぇんだなと悟る。だがそんなに深刻でもない様子で、「そうですね、町の方には」とすぐに続けた。俺はつい、「本人は、百花に星を見せたかっただけらしいんですよ」と付け足す。

 すると親父さんは、


「優しいところだけは、ちっとも兄に似てないんですよ」


 そう呟いた声は、本心を言っているように思えた。

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