11.


「えっ」


 暗がりで気付くのが遅れた。身体から切り離されて残っていた黒い脚が、音も無く、糸で吊り上げられたかのように、一斉に立ち上がり――まだ動けていない夜崎よざきを、鋭い脚の先で狙っていた。

 あれは、マズい。


れい様!!」

「夜崎!」


 着地から体勢を戻していた如月きさらぎが、俺たちの声に合わせてハッと振り返る。――間に合わない。

 百花ももかもそう気付いてか、パッとその場から走り出した。運動場への階段を、バタバタ駆け下りていくのを止められなかった。俺は目の前の光景に呆然としていたし、百花が行ったところで、助けることはおろか、気を引くことさえできないと勘付いていたから。

 そんなことより。


 ――まさか、ここで死んだりしないよな?


「…………!」

 心臓にぞわっと鳥肌が立つ。

 黒い脚が夜崎を貫こうとした、瞬間。

 ――空がピカッと光った。

 それは夜空の星でも流星でもなかった。カメラのフラッシュのような強い光が校庭を照らし、思わず目をつぶる。直後、ゴシャーン! と破壊音がして、激しい風が吹いた。校庭の砂粒が顔に飛んでくる。

 なんとか目を開けられるまで、風も光も収まった頃、慌てて運動場を見やったが、砂埃がひどい。一度光にあてられた網膜も、夜の闇をすぐには見通せなくなっていた。先に如月が「夜崎、大丈夫!?」と呼びかける声が聞こえた。

 とっさに走り出していた。

 運動場に下りると、上から見たときの印象以上に砂埃がひどい。それから、遠くからざわざわと野太い声。――「どこにいる?」「こっちの方から気配が」……。

 誰かいるのか?


「――何をした!!」


 怒鳴り声。聞こえた方向を手掛かりに顔を上げると、暗闇の中に、ようやく人影を見つけることができた。

 夜崎が誰かに捕まっている。

 遠目から見ても威圧感のある大柄の男に、夜崎が胸ぐらを掴まれて、宙にぶら下がっていた。如月が警戒して、少し離れた場所で足を止めていた。それから、周囲には、夜崎の様子をうかがう、大人の男が数人。

 いずれも、動きやすそうな暗色の和服に身を包み、刃物や棍棒のような武器を手にしていた。夜崎の〈物語〉の関係者だろう。

「おやめください!! わたくしがお願いしたことです!!」

 百花の甲高い声が響いた。

 見ると、大男のそばで顔を上げ懇願している。しかし大男も他の大人達も、百花のことは一瞥するだけで、それほど興味を向けていない。夜崎を掴んでいた男だけが「チッ」と舌打ちをして、「黙ってろ」と冷たく言った。よく見ると、夜崎を掴んでいない方の手には、柄の長い斧が。


「あなたには何もできないでしょう」

「…………!」

「何かするとしたらこのガキだ。――零!!」


 男が夜崎を揺さぶった。夜崎は無気力に両腕を下げて、男から目を背けている。

「〈イザナギ〉を使って何をしようとした……!」

「…………」

「自分の立場をわかってるのか!!」

「……っ!」

 夜崎を掴む腕に力が入るのが、遠目からでもわかった。何か、俺にはわからない原理の力を使ったらしい。夜崎が男の腕にしがみついて、苦しそうに身をよじっている。「やめてください」と百花が繰り返している。


 ……どういう状況だ?


 夜崎が、あんま良くないことをやらかしていたらしいことは、わかる。多分あの人たちは、それを怒りに来たか、止めに来たか。助けに来てくれたことは確かだが、わからないのは、あの男が誰で、夜崎とどういう関係性で、どの立場からあんな怒りをぶちまけているのか、ということ。

 何かやらかしたのなら、俺も如月も共犯のはずだ。


「――おやめください、次期当主殿」


 別の声が響いた。

 運動場に誰かが入ってくる。最初は軽いジョギングだったが、途中からスピードを落として、堂々と、大股で男達の方に向かってくる。「けっ」と誰かが悪態をついた。

 同じ和服姿だが、夜崎を捕まえている男とは体格が違う、細身の男性。彼も俺たちのことは一瞥もせず、クイ、と丸い眼鏡をかけ直すと、男の方を向いて、「一般の方の目があります」と告げた。「お控えください」

「……俺をそう呼べば、言いなりになるとでも思ったか?」

 不機嫌に大男が返す。

 なんだ、ここも関係性がよくわからんぞ。仲間なのか? それとも……

「場をわきまえてのことです。一般の方が見ておられます」

「…………」

 事務的に話す眼鏡の男に、大男が一度黙った。あの身体の中にどれだけ筋肉が入っているのか、夜崎をぬいぐるみのように軽々と掲げたまま、ついでのように話を続ける。

「こいつに余計な知恵を吹き込んだのは、貴様だな?」

「…………」

「戦えない自分の代わりに、こいつの“力”を利用する魂胆なんだろう。ここで消してやったら、さぞ困るんだろうな?」

 嘲笑うような男の声と同時に、「いっ」と夜崎の声が上がった。首元を掴む手から逃れようと身をよじっている。そのそばで、男を止めようとする百花の声が響いている。

 眼鏡の男性は「すぐに当主殿がいらっしゃいます」と、声を張った。

「強行に出たのは、詔八しょうはち殿も同じではないですか。市街に出ている〈悪鬼あっき〉の討伐を後回しにして、ここへ来たんです。零様の件は、当主殿から直々にという話でした。これ以上、お父上の命令に背くつもりですか!」


 ――どっちだ?


 今この場で誰が味方で、誰が敵だ? 何が起きてる? それとも実はどっちも味方で、夜崎が悪いことをしたからこんな扱いを受けているのか? 逆か? この場に味方なんていないのか? 夜崎が抵抗しないなら、このままにしておけばいいのか?


 ――そうじゃない。


 急に頭が冴える。

 運動場に落ちている刀が目に入った。


 正体不明の感情に支配された瞬間、思考も何もなしに身体が動いていた。地面を蹴り、刀を拾い上げる。視線を感じた気がするけれど、不思議と迷いは無かった。


 ――誰がどの立場で言っているのかなんて、関係ないだろ。

 ――俺は、俺の友達が痛い目に合わされているのを見て、黙ってられるのか?


 気付いたときには、夜崎がいつも振るっている刀を、大男に突きつけていたのだ。


「夜崎を離せ」

「…………は?」


 いつも軽々振り回しているくせに、刀は見た目よりもずっと重かった。大男が俺を見て、ぼけっと困惑している。先ほどまでこちらを一瞥もしていなかった相手を、一度でも振り向かせられたことに、少しばかり高揚する。

 大男の気が逸れたのは良かったが、夜崎を手放してくれる気は無さそうだった。「離してください」と、特に意味も無く敬語を使うが、やはり離してくれる気配は無し。


 なんか、段々ムカついてきた。やっぱりナメられてるのか? 刃物を突きつけるだけじゃダメなのか? いっそ――


「しょ、詔八様――高橋たかはし様、ダメです!!」


 百花の叫びが聞こえた瞬間、大男の顔が――ゴツいけれど、思っていたより若い顔が、怒りで真っ赤になっていることに気付いた。それこそ、今にも殺されそうな形相。心臓が縮み上がった。


 やっべ、殺される。

 手に握った刀を落としそうになったときだった。


「離しなさい、って言ってんでしょーが!!」

 怒鳴り声と共に、上空からスパンとドロップキック。大男が間抜けに体勢を崩し、夜崎が宙から落っこちる。着地に失敗しかけた夜崎を、百花が駆け寄って支えた。

 飛んできたのは他でもない如月だ。振り返ると「大丈夫!?」と心配した後に、「ちょっと無茶しないでよ!!」と俺を直視。そこまで言われてようやく、あの大男に殺意を向けられた恐怖や緊張が脳から出てきて、指の先までぶるぶる震え始めた。


 で、周りは周りで当然ザワザワしてくる。百花は夜崎のことを心配しているし、男たちは「詔八さまー!」「大丈夫ですかー!」と声を上げていた。眼鏡男のことがふと気になって振り返ると、場を見てあんぐりと口を開けていた。盛大に地面に倒れた男は、砂まみれになりながらわなわなと振り返って、

「貴様! このっ、コスプレ女が……!」

「あ、どうしよ。あの人、本格的にボコボコにしていいかな?」

 如月の怒りポイントを的確に踏み抜いているのだった。俺も刃物を向けた手前、そんな物騒なことやめろよとか言えない。誰かこの状況をどうにかしてくれ、と思った矢先、


「――おい! どうなっている?」


 また、別の声が響いた。

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