09.


「おお……」


 悔しいかな。思わず声が出るくらいには、空の星が綺麗に輝いていた。


 町の明かりの有無で見え方が変わるとは聞くが、ここまで顕著とは思わなかった。校舎を隠すように枝を広げている森が、この高さから見たときに、上手く繁華街を隠しているのが良い方向に作用しているかもしれない。運動場にはいくつか屋外用の明かりも灯っているが、校舎側と高低差があるおかげか、あまり気にならない。

 百花ももかは「わーっ」と俺の数倍ははしゃいでいて、駆け足で如月きさらぎの隣へ。さっきまで走ってヒィヒィ言っていたのに、好きなものを目の前にして喜ぶ姿に笑ってしまう。

「すごい景色だな」

 綺麗だな、という言葉だと、カッコつけすぎているような気がして、そう言った。「そう?」と、隣にいた夜崎よざきは首を傾げていたけど、笑っていた。暗闇の中でも、顔についた傷はくっきり見えた。

「いつもこんな感じだよ」

「街中だと、こんなふうには見えなくないか?」

「うーん、そうかな?」

 本当に同意しかねるようだった。景色を褒めるのを恥ずかしがっているようでもない。


「百花喜んでるし、高橋たかはしもそう言うなら、そうなんだろうな」

「…………」


 なんとなく、何も言えなくなる。

 夜崎はしょっちゅう夜間に出るようだし、観光地の住人みたいに、特別な風景にも慣れてしまって、もう観光客の感動には共感できないマインドなのかもしれない。……いや、でも。なんか、もっと――

「夜崎ー!」

 欄干に寄り掛かって星を見上げていた如月が、俺たちの方を振り返って呼ぶ。

「〈悪鬼あっき〉出てこなくない? 意外と大丈夫なんじゃないー?」

「あ~うん。上手くいってそう」

「え~なに? どういうこと? 上手くいってるって?」

 何のことか、俺もわからなかった。隣では百花が落ち着きなく、如月と夜崎の顔を交互に見ていた。夜崎が百花の方に歩み寄る。


「百花、札ちょうだい」

「ええと。でも、零様……」

「大丈夫だって~。出てきても、如月、ホント強いから」

「え、何? 私、戦うの?」


 初めて耳にしたふうではあるが、如月は否定的な様子ではない。

 むしろ、俺の方がビビっている。

「なんか始まんのかよ?」

「百花が〈悪鬼〉を寄せちゃうんだけど」

 夜崎が本題から切り込んだ。

「これは身代わり」

 自分の通学鞄を地面に下ろして、ピラ、と、紙の札を見せる。夜崎は風で飛んだり炎を出したり、〈術〉を使うとき、この札をいつも使っている。

 一つ見慣れないのは、それが夜崎がいつも使う、長方形の紙片ではなくて、丸い頭にずんぐりむっくりの身体を持った、人間のピクトグラムみたいな形状ということだった。黒と朱の筆文字で何か書かれているが、俺には読めない。

 そして急に、「えーとね」と、小学三年生みたいな口調で口を開くと、


「肉体と魂には上下関係があってー、魂に拒否されると、肉体は腐ってくんだって。〈悪鬼〉って“肉”なんだけど、別にこの町だけじゃなくてどこにでもいて、百花が近くにいると、百花の魂に反応して実体化? しちゃうらしいよ」

「……よくわかんねぇわ」

「や、俺もわかってないんだけど」


 それはどうなんだ。

 いちおうチラッと百花の方を見ると、緊張した面持ちで頷かれた。まぁ、訂正が必要になるような説明はしていない、ということなのか。


「でも、魂と肉体は上下はあるけど、実は同じものなんじゃないかって思うんだ」

「…………」


 妙に深さのある言葉。


「“朝薫あさがお”の人たちは、武器を作るとき、使い手の魂の粒度をコントロールできるように作るんだよ。俺たちも、〈悪鬼〉を倒すわけじゃなくて、バラバラにしてるだけなんだ、多分。それでそういえば、流派の中には、そういう〈術〉もあったなーって思って」

 夜崎は話を続ける。

「それで、ちょっと書き換えて、近付いた〈悪鬼〉をここに集めておけないかなって。百花の近くだと気配わかりにくいけど、上手くいってる気がする。いってるといいなぁ」


 ゲームの裏技でも試しているような口調だった。百花が横でそわそわしていた。

 ……なんか、あんまり正規の方法じゃない気がするけど、表情がやけに活き活きしていた。さっきまで、俺たちが「星がきれー」ってはしゃいでた隣で、スンとした目をしていた夜崎が、妙に楽しそうにしている。


「はは」と笑ってしまった。

 夜崎が少し驚いた様子で、二回瞬きをした。


「……お前、本当は頭いいだろ?」

「え! まっさかー」

 夜崎が驚いて、おどける感じですらない。

「つまり?」と、如月が話を戻した。「それに〈悪鬼〉が閉じ込められてるってこと? だからあんまり〈悪鬼〉が出てこなかったの?」

「これ成功したら、百花が夜でも遊びに出られるようになるじゃん?」

 …………。

 俺たちが言葉を失っている間に、夜崎は札の上端に両手の指をかけていた。「よし行くぞ」と軽く声をかけて、誰にも許可を取らずに上下に手を引っ張った。


 破いた。

 どうなる。


 切り口からドロッと、黒っぽい胞子のようなものが光って出てくるのが見えて、あ、こりゃダメだ。如月は二人分の通学鞄を迷わず地面に投げ捨てていたし、夜崎は破いた札と刀を持って運動場に跳んだ。跳ぶ間際、


「百花頼むね!」

「はぁ!?」


 急に任された俺は、百花が話のペースについて行けていないことに気付いて、少し躊躇ったが呆然とする彼女の肩を掴んでその場から剥がした。「きゃっ」と百花に驚かれた。

「ヤバそうだ、下がってよう。戦えないんだろ?」

「で、ですが」

「まぁ、なんも考えてないわけじゃないと思うんだ、あいつも」

 などと、一番適当なことを言ってるのは、俺なのかもしれない。

 夜崎と如月が息を合わせて運動場へ着地する。「ちょっと夜崎」と、遠くから如月の声が聞こえた。「何が起きてるの!?」

「何が出るかな……!」

 夜崎が手に握っていた紙の札を宙に投げて、抜いた刀で貫いたように見えた。

 中から黒煙のようなものが勢いよく噴き出した。二人は俺たちから十分距離を取ってくれていたので、こちらに降りかかってくることは無かったが、代わりに、噴き出した黒煙が運動場でもやもやと広がり、やがて巨大な生き物のシルエットを描くように、収束していくのが見えた。


 ――蜘蛛の化け物だ。

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