04.


「あのさっ、この後ヒマ?」


 用の済んだポコが自分の国に帰ってから、自分たちも教室に戻ると、授業開始前にいた生徒はほぼ半減していた。自主早退したのだろう。夜崎よざきが宿題――昨日提出する予定だったもの――を教えてくれないかと言うので、如月きさらぎも口を挟みつつ勉強会をしていると、そのうち時間が来て、帰りのホームルームもそそくさと終わった。

 夜崎が後ろを向いて、俺たちにそんな話を振ったのは、帰りの支度も終わって、もう帰ろうかというときだった。


「暇だけど」

「如月は?」

「え、私も?」


 夜崎と俺は帰る方面が一緒なので(というより、山のふもとまで下る長い坂道があるから、自動的にそうなるのだが)、時間が合えば夜崎とは一緒に下校するが、今日は如月にも声がかかった。彼女は校舎のすぐそばにある寮が住まいだ。

 きょとんとする俺たちに向かって、夜崎はたどたどしい口調で、

「あの、町にさぁ、美味しい店があって。前連れて行ってもらったら、美味しかったから、だからさ、時間あれば……って」そこまで言って、ポリポリ頭を掻く。「女子って中華嫌いなんだっけ?」

 変な心配をする夜崎に、俺は「いいや」と首を横に振った。

「人によりけりだろ。如月、どうだ?」

「私は好きだけど……夜崎、急にどうしたの?」

「えー。如月、元気ないからさ。友達が落ち込んでるときは……なんだったっけ?」

「いや、俺に振られてもわかんねぇよ」

「『俺がお前を笑わせてやる!』だ! そうマンガに書いてあった!」

 夜崎は自信満々に言ってみせる。


 言った本人は本気だ。たまにこういう引用をしてくる。詳しいことは知らないが、子供の頃からほとんど人付き合いをしてこなかったようで、人間関係のいろはを漫画から学んできたらしい。顔には厳つい傷が入っているのに、全体的に子供っぽい雰囲気があるのは、この辺りが原因かもしれない。

「だから、一緒行かない? この前お小遣い貰ったんだ、奢れるよ!」

 なんかやけに楽しそうだ。なんの事情も知らない人間が見たら、この子アタシに気があるんじゃないかと勘違いさせそうでもある。もっとも、如月はこいつの性格をわかっているし、当人も恋愛に興味が無いようだから、大丈夫だろうけど。

 如月は弟を見るような目で、ふふ、と吹き出した。「自分で払うよ」と笑う。

「夜崎は優しいね。じゃ、行こうかな」




 かくして、三人揃って教室を出ると、麓の町まで降りるための坂道を下り始めた。滅多に車の来ない道路で、他愛のない会話を交わす。俺はポコを初めて掴んで、思いのほか触り心地が良かった、こういう言い方をするとまた怒られるだろうが、あいつみたいなペットが欲しいと話すと、二人はアハハと笑った。

「ポコって柔らかいよねー。わかる、ずっと撫でてられる~」

「今日面白かったよなぁ。授業中後ろでポコが喋ってて」

「あの時はビビった……わざとなんじゃないのか? 俺、嫌われてるし」

「ええ? そんなことないと思うよ?」


 俺の何気ない一言に、如月は不思議そうに首を傾げた。


「ポコは高橋たかはしのこと、好きだと思うけどなぁ。しょっちゅう高橋の話してるし」

「えっ。そうなのか?」

「うん。『あの一般人は元気ぽこか~?』とか、『今日もタカハシは無愛想だったぽこ~!』とか」

「それはただの悪口だろ……」

「えー? でも、ポコは高橋と遊んでると楽しそうだけどなぁ」

 いやいや……と首を傾げている間、横で夜崎はニコニコしていた。「夜崎もそう思わない?」と如月が話を振ると、「めっちゃわかる」と夜崎。何がだ。

「てか、ポコってそんな柔らかいんだ? 今度、俺も触らしてくんないかな~」

「なら、頼んでみたら……って思ったけど、うーん。嫌がるかも」

「そしたら」と、俺は思いついたことを口にする。「如月からあいつに『頼み聞く代わりに、夜崎に一回触らせろ』って言ったら、触らせてくれんじゃねぇの。渋々だけど」

「あははっ。それいいね!」

 如月が口元を押さえて笑う。笑う余裕も出てきたらしい。内心ホッとしつつ、坂を下りきると、ほどほどの大きさの畑が広がり、ぽつぽつと建物が見え始めた。この先をずっと歩いて行けば、駅を中心に中規模な繁華街、それを取り囲むように住宅街がある。


「こっち! こっち通った方が近いから」

 住宅街で自然と歩道へ行こうとした俺たちを、夜崎は楽しげに広い敷地に先導する。町中にしては立派な公園で、高い樹木で囲われた敷地の中心には、西洋の城を模した遊具がドンと置いてある。放課後と思しき小学生たちや、園児のお迎え帰りと見られる大人たちが各々グループを作ってかたまり、思い思いの夕方を過ごしていた。


 この辺りまで来るともう、俺にも地理はわからない。俺よりこの町の居住歴の長い如月も、不思議そうに夜崎の方を見た。

「夜崎の家ってこの辺なんだっけ?」

「そうそう、あっちの方」

 如月の質問に、夜崎が指さしで答える。夜崎の家は町のはずれにあって、外観だけ見たことがあるが、ぶっちゃけ引くほど豪邸だ。豪邸といっても洋風のそれではなく、昔ながらの日本家屋……というか、寺のような建物なのだが、夜崎を含め何世帯も一緒に同居しているということを以前聞いた。

「学校からはけっこう離れてるんだね。自転車? 徒歩だっけ?」

「ううん、走り!」

「何よ、走りって」

「如月、こいつマジだから。屋根の上走って登校してくるぞ」

「ええ、うっそ……?」

 遊具で遊ぶ子供たちを横目に見ながら、他愛もない話に花を咲かせていた、そのとき。


 ――突然、空が暗くなった。


 空の中心にぽつんと黒い穴が空き、そこから暗闇が流れ出すように広がって、ドーム状に、上空と周囲を覆う。夜空の暗闇とは違った、深い紫色の、禍々しい闇。

「えっ?」

「なっ……!」

 俺は間抜けに声を上げ、如月は驚いた様子で空を見上げる。公園にいた子供たちも、「え?」「なに?」と首を傾げ、親たちも「何かしら?」と暢気な声を上げた。

 夜崎だけは何も言わず、さっきまで子供っぽかった表情を塗り替えて、警戒した様子で刀の容れ物に手をかけた。その姿勢で一歩前へ。

「待って夜崎! これは――」

「わかる。〈悪鬼あっき〉じゃない」


 夜崎が低い声で返したとき、カタカタカタ、と硬質の物体が震えてぶつかる音。えっ? えっ? と幼い声が上がり、「揺れてる!」と、遊具にしがみつく子供たちが一様に騒ぐ。その震えが大きくなるのを察知して、子供たちは「にげろ!」と、それぞれ遊具から飛び降りた。


 ガタガタガタガタッ!

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