03.


 ドアノブを回して、扉を外側へ開く。

 穏やかな春の風が髪を揺らす。雲の少ない青空と、簡単にコンクリートを固めただけのシンプルな足場。この時期はあまり騒がしくない室外機。それを囲う冷たい柵。

 山の上に建ったこの学校は、屋上からの見晴らしもそこそこいい。もっとも、そんな景色に興味があるやつなど、この学校にはあまりいないのだが。

 そんな中で、興味のあるやつが一人。


「あー……高橋たかはしには見つかっちゃうよねぇ」


 柵に背中を預けて体育座りをしていた如月きさらぎは、苦笑いして首を傾げる。「お、ほんとにいたぁ~」と後ろからついてきた、刀を背負った夜崎よざきが声を上げる。「キララ~!」と、夜崎の頭に乗っかっていたポコがひょいと飛び降りて、何年かぶりに飼い主と再会したイヌかウサギのように、如月に駆け寄って抱きついた。

「ごめんぽこ、ごめんぽこ~! キララぁ、ごめんぽこぉ……」

「いいよ。私こそ、怒っちゃってごめんね」

 如月は言いながらポコをよしよしとさする。夜崎はてくてく俺の横を通り抜けると、柵に手をかけながら、二人の方を見た。

「仲直りした? ってか、喧嘩してたのか?」

「喧嘩なんかしてないよ。私が一方的に怒ってただけ」

 そう話す如月は、何か諦めたような、大人びた表情。

「授業、自習になったって?」

 話を逸らすように尋ねる如月に、俺は頷く。

「なんか、先生が急用とかで。如月こそ、先生の呼びだしって?」

「ん~……いつもの。授業受けるのやめて、ヒーロー業に専念してくれないかっていう」

「やっぱそれか。ずーっと言われてるよな」

「ほんと、中等部の頃からだよ」


 この学校では、自由業としてのヒーローが存在する。

 まあ悪いヤツ――この前の〈悪鬼あっき〉とか――が大量発生したときに、学校にいる生徒に対し、市街地に被害を出さないため、敵との戦闘・処理が依頼される。と言っても、〈主人公〉は大体自分の〈物語〉で手一杯なので、やる気と時間、体力の有無は人によりけりだが、バイト代目当てに出動する生徒も少なくない。


 だが、如月には〈物語〉の制限が無い。


 彼女の〈物語〉はとっくに終わっているはずだからだ。実際仲間たちは引退し、普通に高校、大学での生活を送っているという。〈ミゼリー〉という敵も姿を消した。残っているのは、使い道のわからない如月の能力だけ。

 だから出動回数の多い彼女は重宝されていたし、如月は持っている“異能”を含めて、学校側のニーズをほぼ満たす、貴重な人材だった。

 変身すればその正体が世間に知られず、正義感があり、大衆からの支持も強い。

 さらに彼女の持つ宝石は、一定の範囲内で発生する救難信号――人々の「助けて」という声や強い恐怖に反応し、場所を知らせる性質がある。

 学校側が欲しがるのも致し方ない人材ではある……が、しかし。


「今だって、上限目一杯で出てるのにね。これ以上は勉強がきついし……」

「如月は大学進学するんだっけ?」

「うん」夜崎の問いに如月が頷く。「それまでに能力が消えればいいんだけど」

「稼げるんだったらこっちでもよくね? 如月強いじゃん」

「私のはね、夜崎のと違って借り物なの。いつ消えるかわからない」

 如月は厳しい口調で言う。

「ああ、そっか。俺のは一生だから……そうか、そういうこともあるよな」

「夜崎のって一生なのか?」

 俺が口を挟むと、夜崎は柵に寄り掛かって町を眺めながら。

「んー……らしーね。一族みんな、基本そうだから、俺もそうなんだと思う」

 夜崎はそう、微妙な口調で答える。その事実が曖昧というより、その事実に対して、夜崎自身が疑問や懸念を抱いているような、そう聞こえる口調だった。


〈主人公〉たちの抱える事情は様々だ。生まれる前から人とは違う道を決められたやつもいれば、ひょんなことからそういう目に遭ったり、そう選択せざるをえなかったり。あるいは、自ら望んでその道を選んだり。それを納得してるやつも、してないやつもいる。それが憎くて仕方ないやつも、後悔してるやつも、感謝してるやつも。だからこの学校は混沌としていて、どこかよそよそしく、多少ギスギスとしながらも、争うことはない。本当に戦うべき相手は、それぞれに用意されているから。


 まあ、それはそれだ。

「それで結局どうしたんだ? 時間、増やすのか?」

「ううん、断った。だって、無理だもん……物理的に」

「そうだよな」

 如月には如月のやりたいことがあるんだし……と、俺は思っているわけだが。答えた当人は憂鬱そうに、小さいぬいぐるみをもみもみと撫でている。「あひゃひゃ」と笑うポコは、俺とつるんでいたときよりずっと楽しそうで、ちっちゃいモコモコが笑うたびに如月もつられて笑っていた。


「その宝石、捨てらんねーの? ポコが持ち帰ればいいんじゃね?」


 夜崎がポコの方を振り返った。

 暴論だが正論だ。目の前にあるから使ってしまうわけで。物理的に引き離せるのなら、極論、如月は自分の時間を犠牲にしてまで、こんなことを続けなくてもいいのだから。

 しかしポコが「ウッ」と黙ってしまったので、俺が代わりに答える。

「無理なんだってさ、夜崎」

「え、高橋知ってんの?」

「俺も一度、言ったことがあって」

 すると、会話を聞いていた如月が「あはは」と笑う。「気持ちは嬉しいけど」と言いつつも、ポコを自分の肩に乗せてよっこいせと立ち上がり、説明するより見せた方が早いと言わんばかりに、首元から“それ”を引っ張り出した。


 山吹色の宝石がはめられた、豪奢な飾りのペンダント。


 子供のおもちゃと言われれば相当高価に見えるが、高校生の彼女が身に着けるには、少し幼くも見えるデザインのアクセサリー。それが例のブツであることはすぐに知れた。

 如月はペンダントを首から外すと、柵越しに町の方を振り返った。

「見てて――行くよー」

 右手でペンダントを握りしめて、如月は大きく振りかぶる。躊躇いなく肩を回すと、彼女の頭上で握力から解放されたペンダントは、綺麗な放物線を描いて、運動場に向かって落下していく。「おお、すげぇー」と、地の投擲力に感心する夜崎とは対照的に、「何度見てもドキドキするぽこ……」と、ポコは心臓があるとおぼしきところに手を当てて、顔を青くしているのだった。


 五階建ての建物の屋上から放り出されたペンダントは、あっという間に見えなくなる。


「えーっと、で?」

 ペンダントが視界から消えるのを確認して、夜崎はまた如月の方を振り返った。「投げたでしょ?」と如月は手品師のように手のひらを見せ、夜崎は頷く。それとほぼ同時に、彼女の目の高さあたり、ちょうど目の前にきらきら光が瞬いたかと思うと、そこに見えない穴が存在したかのように、ヒュウとペンダントが落ちてきた。

 如月は落下するペンダントを、空中でキャッチ。


「こういうこと」

「わー! 戻ってくんのか!」

「遠くまで離れたり、近くに置いていてもピンチの時はね。だからポコも持ち帰れない」

「へぇ。その仕組み、むしろ俺は欲しいけどなぁ。たまに札とか忘れるから」


 こうしてみると、二人の境遇は正反対だ。どちらも少し子供っぽいというか、無垢なところが目について、それ以外を比較したことが無かった。

「〈神の宝石〉はコレットランド……ぽこたちの国を作った五人の神様が、その意志を閉じこめた宝石ぽこ。宝石は自分の意志で、力を貸す戦士を決めるぽこ」

「へえー、“石”だけにって?」

「うわ、しょーもなー……」

 如月がなんとも言えない表情になる。俺も意見は概ね同じだ。


「だからまあ、“これ”が諦めるまでは、私は変身の能力とお付き合いね」

 如月は上着のポケットにペンダントを仕舞いながら、苦笑いでそう締めくくった。

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