14
すずやのとんかつ茶漬けは、とんかつよりも甘じょっぱいキャベツこそが肝である。とんかつをどれだけ残すかよりも、キャベツをどれぐらい残して、お茶漬けに持ち込むか。そこにこそこだわるべきだ。茶漬けの薬味として、梅干しや高菜を入れるのもアリだが、わさびこそがあの渋みのある番茶と合う。
大槻の家に向かう車中で、おれはそう捲したてた。うさちゃんは聞き流した。
車内は甘ったるい香水の匂いで充満していた。
ランコムのトレゾアがAV屋から香り、フェラガモのサブティールがオナクラの店長から匂い立っている。端的にいって、爽やかさはない。軽く吐き気がした。
おれは続いて、王ろじのとん丼について話し始めた。うさちゃんが食いついた。
そんなタイミングで桜上水に着いた。
午後六時。駅前は人で賑わっていた。学生が多い。明大や日大のなんとか学部が近いからだろう。
都道四二八号線、荒玉水道道路を南下する。
高級そうなマンションが立ち並んでいる。
大槻は、父親の再婚をきっかけに桜上水に引っ越していった。閑静な住宅街。おしゃれなマンションや住宅が目立つ。
五つ目の十字路で左折。まっすぐ進む。マジで静か。走っている自転車からして西荻窪とは違う。ただのママチャリではなく、電動アシスト付きのシティサイクルが走っている。
一つ目の十字路を右折した。桜上水五丁目のあたり。風情のある家もあるにはあるが、神殿みたいな西洋様式の屋敷もちらほら見える。建築家が住んでいそうな、コンクリート打ちっぱなしの邸宅や、門限に厳しそうな洋館風のレンガ作りの家もあった。
細い道が続くので慎重にステアリングを握る。包帯で巻かれた右手はもう痛まない。出血がひどかっただけだ。
やがて、強烈なお屋敷が見えてきた。大きな一枚屋根に覆われた和風でモダンな家。格子の扉と丸窓はどこまでもモダンだ。表札には「大槻」と書かれている。
駐車場には薄いグリーンのアルファードと真っ赤なアルファロメオ166が停まっていた。見事に家に合っていない。
「うさちゃん、あのアルファは絶対に大槻のだよな。じゃあ、アルファードは誰のだ? あいつの親父があんなのに乗るか?」
イメージに合わない。五十を過ぎた今も、爽やかイメージで売っている俳優だ。
アルシオーネを家の前に停める。
六時二十分になるのを待ってから、車から降りた。
問題はここから。その後の展開を、おれはほとんど考えていなかった。
とりあえず、おれは門についているチャイムを鳴らした。
あらためて家を見る。庭は枯山水だかなんだかを模していて、絶妙にうさん臭い。
ガチャっという音ともに、インターホンから返事。「はい」大槻の声だ。
「及川だけど、覚えてる? 松庵の及川。大槻くんに用があって来たんだけど」
うさちゃんにアイコンタクトを送る。
「大槻、久しぶり。宇佐美だよ。おれも用があってさ」
さんちゃんの声からは水商売特有の匂いが消えていなかった。うさん臭い。
「わかった。ちょっと待ってて」インターホンが切れた。
おれらは薄暗い中、喋らずにじっと待った。
五分ほどして、ようやく門の中に通された。
家の扉が開き、大槻が現れた。
紫色をしたフレッドペリーのベロアのジャージを着ていた。頭頂部が若干薄い。
「久しぶり。早速だけどさ、誰かいんの?」
おれは先制パンチをかました。五分待たしたことには、理由があるはずだ。
「いや、特に……」
大槻は尋常ではないほどの汗をかいていた。
「あ、なんかやってんな?」
おれの背後から現れたうさちゃんがいきなり詰め寄った。
大槻は反射的に身をすくめる。
うさちゃんは顔を下げ、無理やり大槻の顔を覗き込んだ。
「こいつ、エックスやってますよ」MDMAをやっているのではという指摘だ。というか甘ったるい匂いはてめーとおれの香水が混ざり合った匂いじゃないか? まあ、いいや。
おれは大槻を払い除けると、家に入った。
大槻が慌てて追いかけようとするが、うさちゃんがすぐに捕まえた。
入ってしばらく進むと、階段があった。地下へ向かう階段もあるようだ。
「うさちゃん、こういうときって地下だよな?」
おれは振り向いた。
大槻の後襟を掴んだうさちゃんが頷く。
大槻は口を動かしたが、なにを言っているかわからなかった。
地下に降りると、重たそうなドアがあった。防音効果も担っているようだ。となると、ここはオーディオルームか。
ドアを開ける。
コンクリートむき出しの壁と天井。小さいクラブみたいな寒々しい見た目だ。
キッチンとテーブルもあった。うちの店よりも断然広い。
音楽がかかっていた。アンダーワールドの「ボーン・スリッピー」。ベタすぎる。
ソファがあって、そこには見覚えのあるグラビアイドルがいた。真っ裸。腹がぽちゃっていた。写真修正の技術って、恐ろしい。
そこでおれはあることに気づいた。警戒レベルを一段階上げざるをえなかった。
なぜなら、そこにはもうひとり、真っ裸のおばさんがいたからだ。
多分、3Pじゃない。他に男がいる。
「もうひとりはどこいった?」
大槻に聞く。
大槻は目に涙を浮かべて黙っている。
女たちが騒ぎ出す。
うさちゃんが威嚇する。
奥にデカい柱がある。隠れるなら、そこだろう。
「そこから出てこいよ」声をかけた。
柱からジャージ姿の男が現れた。オールバックのガルフィー。
暴走族時代の後輩だった。
「久しぶり。人妻ヘルスの件は解決したの? 噂になってたよ」
おれはすぐに茶化してしまう。
「解決したから、その人妻をこうしてさらってきたんでしょーが」
綿貫が怒鳴る。ホストに引き抜かれた女も連帯責任ということらしい。
「おれさぁ、揉める気はないんだよ。大槻にヤキ入れたいだけなんだ」
「おれの友だちになんの用っすか?」
綿貫が唾を飛ばしながら言い返してくる。
ひとつ訂正するのなら、おまえは大槻の友だちではない。小学校時代はビックリマンチョコとミニ四駆を、中学時代はラーメンを、高校時代は下北でピンサロを奢らせた奴を友だちとは言わない。
「なにが友だちだ。都合よく利用してるだけじゃねーか」
つい、いらっときて怒鳴ってしまった。
綿貫はキレた。シャンパンのボトルを投げてきた。沸点低っ!
あぶねー。
女どもが悲鳴をあげた。
綿貫はおれを目がけて突進してきた。
おれは後ろに一歩引いて、右手で尻ポケットからマグライトを取り出した。
うさちゃんは大槻を捕まえている。おい、手助けしねーのかよ。
綿貫は右フックをいきなり一発かましてきた。
いや、違う。なにかを持っている。
フルーツナイフ!
おいおい、またかよ!
フックの打ち方ならば、確かにサマになっていた。だが、ナイフの握り方を綿貫は間違えていた。逆手で持たなきゃ。それに、刃が下を向いてんじゃん。それじゃ料理だよ。深く刺せないし、たいして切れないよ。脅す目的でしかナイフを握ったことがないのか?
おれは後ろにかわし、マグライトを綿貫の右腕に振り下ろした。拳に打ち付ける。
綿貫はナイフを落とした。
綿貫はたたらを踏んだ。バランスを崩している。
右膝目がけて、おれはつま先蹴り。しっかりと蹴りぬく。
綿貫は膝から崩れ落ちた。
うさちゃんは動かない。間抜けだ。
おばさんは、うーうー言っている。不気味だ。
グラビアアイドルは立ち上がる。なんだ? 陰毛をハート型に剃ってやがる。それがお前の個性か?
「くそぉ!」
綿貫が吠えた。
おれは無視して、ナイフを左手で拾い上げた。今日はもう油断しない。
「吠えんなよ」
おれは逆手でナイフを握った。手が固定されて、力を入れやすいんだよな。
「フルーツナイフはやめとけ。刃が折れやすいからな。自分の拳、傷つけっぞ?」
多分、おれはそのとき、現役時代さながらのマジな脅しをかけていたはずだ。
綿貫から戦意が失せていったのがわかる。ひとまず制圧完了か?
「六時半になってますよ」
うさちゃんが騒ぎだす。
あっせんなよ。少しは落ち着け。
ぴんぽーん。チャイムが鳴る。お、意外といいタイミングじゃん。
「綿貫、蕎麦屋の出前とってあったんだ。暴れるのはよして、お開きとしよーぜ」
五目そば三人前が到着することになっている。おれとうさちゃんと大槻の分だ。まあ、おれの分はバカな後輩くんたちに分けるとしよう。
大槻も綿貫も呆気にとられている。
グラビアアイドルは泣いている。
おばさんは鳴り続けるチャイムの音にカラフルな模様が見えたのか、唸っている。
うさちゃんはほっとしている。
「証人にすることもできるんだぞ? だから、悪さすんなって話だよ」
おれは全員を見渡す。
「うさちゃん、取りに行ってよ」
顎で玄関のあたりを指す。
うさちゃんはうなずくと、壁にあるインターホンに向かう。
しかし、便利なもんだ。今は電話帳がなくても、ケータイからインターネットでお店の電話番号を調べられる。こうして出前をとることもできる。
なあ、大槻、知ってるか?
「ファンタジーゾーン」にはふたり同時プレイ可能なバージョンもあるんだぜ。オパオパとウパウパを操って遊ぶんだ。おれらが出会った翌年にアーケードでも出たんだけど、あのゲーム、おれらの行く駄菓子屋には入らなかったんだよな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます