10
不適切だというのはわかっていた。しかし、他に場所が思いつかなかった。
おれはミヤケナナを西荻窪の自宅につれていくことにした。
午前〇時。チャーハンは寝ぼけ眼で吠えだした。リカは明らかに不機嫌だ。
ミヤケナナがリカの嫌いなタイプだというのはわかっていた。
リカはパジャマから着替えていた。メイクもしていた。手間をかけさせられたことにも、苛立っているようだ。
右手をハンカチで縛っているのが見つかってしまう。リカの声は一段階早くなる。心配しているのだろう。質問が多い。
食卓に座った。おれとリカの向かいにミヤケナナが座った。
部屋ではささやくような音量で、ベン・ワット『ノース・マリン・ドライヴ』が流れていた。ネオアコだ。この家では、音楽の主導権はリカが握っている。おれがストーンズを流すのは禁止されていた。
リカはミヤケナナの出方を窺っていた。
ミヤケナナは携帯でメールを打っている。大学を休むので、友人に連絡しているそうだ。
浮気をしたわけでもないのに、そんな感じの雰囲気になっていた。
おれは逃げるように携帯を眺めた。修羅場でよくある光景じみていた。
メールを一通受信していた。コナン君気取りのヒラタナオからだった。
ミヤケナナの名前をマイプロというサイトで発見した、という報告だった。
マイプロというのは、いろんな奴らの自己紹介が集まったサイトだ。
写真(大体はプリクラ写真)をプロフィール画像に設定して、あとは用意された質問に答えるだけで完成する。写真アルバム、日記なども簡単に作成できるし、掲示板を設置して他人と交流もはかれる。中学高校の頃なんて、「ロッキング・オン」とか「ユリイカ」ばりに自分語りしたい年頃だから、親和性は高いに違いない。
今まで何度か、好奇心でマイプロを覗いたことがある。
大体が見ていて体中が痒くなってくるようなものばかりだ。「性別は?」という質問に「パコられる方」とか「棒がついている(爆)」と書くのは、まだいい。許す。「生まれたところ」に産婦人科の名前を書いて、盛大にスベっているのも、見逃そう。だが、「今一番行きたいところ」に「だぁの家」、「生まれ変わったら」に「だぁとまた逢う」と答えてしまうのは、絶望的だろう。ちなみに、「だぁ」というのはダーリンのことで、つまり彼氏だ。大体、そういうイタい奴は、プロフィール画像も彼氏とのキスプリ(プリクラで撮影したキス写真)と相場が決まっている。いや、わかるんだよ。あの年齢だと、付き合ったばかりの頃に大体恋人に永遠を誓ってしまうから。男なんて、一回エッチすれば、万能感も出ちゃうしな。キス・イコール・千年で、エッチ・イコール・永遠だ。
それはそれとして、マイプロは大きな問題を二つほど抱えていた。
ひとつは、出会い系みたいな使われ方をしているということ。若い女の子を物色しているおっさんもいるらしい。
もうひとつは、知恵がまわる奴なら、書き込んだ奴の個人情報をごっそり抜けるということだ。より問題なのは、こちらだろう。ネットに無防備な奴というのは、とことん無防備だからだ。そういった奴は、個人を特定できる情報をいともたやすくネットに上げてしまう。たとえ、Aさんが警戒しても、Aさんと同級生のBさんがうっかり彼女の名前を出しているかもしれない。ご近所に住むCさんが学校名を出しているかもしれない――そうやって、Aさんの個人情報は特定されていくのだ。
今回の場合もそうだった。ヒラタナオによれば、ミヤケナナの個人情報はわかるようになっていたそうだ。顔写真もあったし、大学名もボカされてはいたが、わかるようになっていた。女子十二楽棒で働いていることもほのめかされていた。
極めつけは、内容。黒背景に紫色の文字で書かれた自己紹介は、鬱っぽい内容ばかり。「尊敬する人」に「椎名林檎」とあるのは序の口。「性格」は「兆ネガティヴ」、「休日の過ごし方」には「死について考える」と書かれている。「ここだけの話」は、こうだ。
「親からもらった命だから自殺しちゃダメという人よくいるよね。生きたくても生きられない人がどーこう。あたしに言わせりゃ、そんなことわかってるよって感じなんだよね。死ぬことがいけないことだってわかっていても、死にたいと思ってしまうんだよ。それしか選べない自分が一番辛いに決まってるよね。中途半端な善意で止めないでほしい」
最後の方には「絡むーちょ」という項目。「こんな人は私と絡もうよ!」という意味で、そこには自殺願望がある人を煽り、心中を誘うような内容が書かれていた。
おれは携帯から顔を上げると、ミヤケナナの顔を眺めた。
彼女が書いたものとは思えない。彼女のイメージと、どうにも結びつかなかった。風俗で働いているコには確かに病んでいるコは少なくないが、ミヤケナナはそこまで弱っていない。二〇〇五年の東京を生き延びてやるという気概が感じられる。ミヤケナナであるために、必死に耐えてアプリコットを務めているのが彼女だろう。
「マイプロにナナちゃんのページがあるんだけど」
おれは携帯をそのまま渡した。
ミヤケナナは携帯を受け取って、画面をじっと見ていた。明らかに戸惑っている。
「マイプロに登録したこと、ありますけど……」声が怯えている。
隣で聞いているリカの眉が釣り上がった。
「すぐに消しました……」ミヤケナナは不安そうな目をおれによこした。
今度はおれの眉が釣り上がった。
「消した? なんで?」
「鬱っぽいこと書いちゃって、そんな自分が嫌になって……」
リカがため息をついた。聞こえるようにため息をついている。
「じゃあ、これは別人のなりすましか」
森さんも上野さんも、リカのなりすましに煽られたってことだ。
「思いつく奴、いない?」
ミヤケナナは首を横に振った。トゥーマッチにかわいらしい仕草だった。
安心しな、リカ。おれがこういうコを好きになっちゃうことはない。
黙っていたリカが口を開いた。
「Mコミュとかスタービーチとかで遊んだことは?」
出会い系ではポピュラーなメールサービスの名前を挙げていく。
ミヤケナナは怯えながら「ありません」と答えた。
多分、使ったことはないだろう。しかし、リカの聞き方はえぐい。どこまで、この部屋の温度を下げればいいんだ。
そう。部屋は少し寒かった。気づいたら、午前一時を過ぎていた。
お開きにしないかとおれは提案した。
チャーハンはおれの足元で横になって、いびきをかいていた。
リビングに布団を敷き、ミヤケナナにはそこで寝てもらうことにした。
ベッドに入ると、隣で横になっていたリカはふてくされて、壁の方を向いていた。
話しかけようと思ったが、気の利いたセリフは浮かばなかった。
おれは咄嗟に子守唄を歌うことにした。うるさいと叱られたのは言うまでもないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます