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山手通り沿いにある東中野のブックオフ。
スロ屋帰りと思わしきガキどもが騒がしい店内で、おれはミヤケナナと合流した。
二十二時半過ぎ。カンゴールのキャップを被ったミヤケナナは中古のCDを物色していた。荒井由実『コバルト・アワー』を買おうかどうか悩んでいるようだ。
「私、五十年代の音楽が好きなんです。父がよく聴いていたから」
五十年代? チャック・ベリーとか?
「昭和っていい音楽が多いですよね」
ああ、昭和五十年代ということか。おれらの言い回しと違うから、わからなかった。ロックおやじは、若い女の子と音楽の話をしない方がいいっていうのは確かだ。森高千里もそう歌ってたろ? ちなみに、おれは二年前のストーンズ公演は四回観に行ったぜ。武道館、横アリ、東京ドーム2デイズ。
「それはそうと、他にも場所、あったろ?」
おれはついつい小言から入ってしまう。
ミヤケナナはCDを棚に戻した。
「出よう。警察には電話していないんだろ?」
ミヤケナナは頷いた。悪びれる様子もない。
店の外に出る。風は冷たく、ミヤケナナの長い髪が風に煽られる。歩道は広く、自転車レーンをほろ酔いのおっさんがママチャリで通り過ぎていく。路上に停めたアルシオーネはオレンジ色の街灯に染まっていた。
とりあえず、ミヤケナナの家に向かった。
ここ数日ですっかり見慣れたボロアパートが見えてきた。駐車場には今日も神の選挙カーが停まっていた。見慣れた光景だが、油断は禁物。エンジンをかけたまま、おれは車から降りた。ミヤケナナには車に残ってもらうことにした。
鍵を開け、中に入った。
芳香剤の隙間を縫って、川縁で見つけた靴下みたいな匂いが押し寄せてくる。
靴を脱がずにそのまま上がった。すすり泣く声が聞こえた。
マグライトを点灯させる。
玄関を上がってすぐ左は浴室。ドアを開けた。ライトを向ける。黒いジャージが脱ぎ捨ててあった。それと、男もののトランクスとシャツ。全裸?
廊下に視線を戻した。
床を照らす。廊下には血痕。浴室と奥の部屋とを往復したのか、血のあとが二つのレーンを形成している。手首を切った後、浴室で全裸になって、奥の部屋へと移動したのか? 変態か?
廊下を進み、奥の部屋へ進んだ。
ライトを消して、手でゆっくりとドアを開ける。
素早く部屋に足を踏み入れ、もう一度ライトを点灯させた。
さっきよりも光量強めで。部屋のあちこちをライトで照らす。
ダイニング・テーブルの傍らに誰かいるのがすぐにわかった。
全裸の天然パーマ野郎がいた。椅子に座るでもなく、全裸で床に座っていた。インリンばりのM字座り。カーペットに玉袋がだらしなく垂れ下がっていた。むかついたので、おれはすばやく駆け寄ると、肩を狙って前蹴りを放った。天パは泣き叫びながら倒れこむ。 耳ざわりだった。蹴ったことを後悔した。
「うっせーよ」
おれは右の拳を全裸男の顔面に落とした。
天然パーマの変態は背中をくの字に曲げた。
「殺す気かー!」男が甲高い声で叫んだ。
「んあ?」
おれは即座に睨んだ。もう一発鉄槌を落とす。即座に後悔する。
男は芋虫のように、部屋の隅まで転がっていった。
男は体を起こすと、なぜか体育座りした。
「どうすればいいか、わからなかったんだよ」
男は吐息を多めに込めて、喋りだした。アニメに出てくる優男風の声だ。
なんかの演技か? 〈漆黒の闇に佇む蒼白い影〉みたいなやつでも気取ってんのか? キモいので、すかさず駆け寄り、肩を再び蹴りぬいておいた。
「おっさんは何がしたかったの? 名前とかどうでもいいから、それだけ教えてよ」
変態野郎は泣きじゃくっていた。もう一発殴りたくなったが、我慢した。
「警察に突き出すようなことはしないから、なにをしてたのか教えてくんない?」
おっさんは首を何度も縦に振った。返事をするという意味だろう。首の振り方がむかつくが、ここも我慢だ。これ以上、殴りたくはない。
根気強く話を聞いた。全裸の天パが吐息を多めに込めたかっこつけた喋り方をする度、睨みつけ、舌打ちをし、軌道修正をはかった。
変態野郎の財布をあらためた。お金は入っていない。中身は遺書と身分証だけ。
「つまり、面識もないあのコと無理心中をはかろうとしたのね?」
無駄な吐息をトリミングして、おれは要約してみせた。
「違うんだよ。そうじゃないんだ」
また、演じ始めやがった。
「僕は一緒に命を絶とうと思ったんだ」
違いがよくわからない。
「彼女を見届けてから、僕も向こうに行こうと思ったんだ」
シンプルな言葉を使えよ。
「もういい。わかった。とりあえず、あのコは自殺する気はない」
慎重に話を進めなきゃならない。
「自殺する予定もない。なぜかおまえは勝手に一緒に死ぬ気になっているが、それはおまえの勘違いだ。オッケー?」
おっさんはうなずいた。ひとまずわかってくれたようだ。
おれは尻ポケットに入れた携帯に左手を伸ばした。
そのタイミング。右手にずきっと痛みが走った。人差し指と中指の間。
視線を下げた。
おっさんがフルーツナイフを右手で突き出して、なにか叫んでいた。
刺されちまったわけではない。軽く切られてしまっただけだ。
「いて! あー。血ぃ出てんじゃんか」
ズボンが血で汚れていた。リカに怒られちまう。
おれは怒りにまかせて、おっさんの腹を蹴り上げた。ナイフが転がった。
おれは回収したナイフをパッチとベルトの間に挟みながら、おっさんを睨んだ。
おっさんは「ごめんなさい」を繰り返していた。
「
おれは念を押した。身分証に載っていた名前は、確認済みだった。
今回は身分証をコピーする必要はないだろう。もう充分に脅したからだ。
「救急車を呼ぶ。すぐそこに公園があったろ? そこにおまえはいろ。自分の足で病院に行って、今日はそのまま帰れ」
上野さんはジャージのジッパーを閉めながら、激しく首を縦に振った。
おれと上野さんは一緒にミヤケナナの家を出ると、そのまま公園に向かった。
上野さんの携帯から119に発信した。適当に話をでっち上げた。
携帯を返すついでに、番号を控えておいた。
上野さんは逆らうこともしない。静かにベンチに腰掛けていた。
項垂れている上野さんを公園に置いて、おれは駐車場へ向かった。
背後を警戒しながら、迂回しつつ小走りでアルシオーネを目指した。
右手はずきずきと痛んでいた。
納得できることは少ないが、今はこれでいい。考えるのはおれの役目じゃない。
とりあえず、わかっていることはひとつ。
変態野郎は、ただ自殺したかったってことだ。
だったら、ひとりで勝手に死なせておけばいい。でも、場所はここじゃなくていいだろう。ミヤケナナにこれ以上、おっさんたちの都合を背負わせたくはない。
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