4、
夏休みが終わると同時に、撮影も終わった。それとともに、あんなに頻繁に顔を合わせていた五人が集まることもなくなった。理菜やひよりとは変わらず一緒にいたし、佐藤や永野とはすれ違えば挨拶くらいはしたが、その程度だった。撮影の終わりはつまり、映画作りの共同作業部分の終わりであり、鮮やかだった非日常の終わりを表していた。
それは、大輪の花火が打ちあがったあと、光の残滓が見えなくなり、空が夜の闇に戻るのと似ていた。撮影という映画の華々しい部分が終わってしまうまでは、みんなが同じ方向を見ていた。そして、花火を見終わった人々がそれぞれ踵を返すように、みんなは日常へと戻っていった。
私はというと、撮影が終わるまでと変わらず、ずっと映画のことを考えていた。佐藤が語った心の動きを、ひよりの作った繊細なシナリオを、理菜の力強い演技を、永野の描いた絵の魔力を、どうすれば最大限に表現ことができるか。生かすも殺すも私の腕にかかっている。絵コンテ、撮影、編集と過程は変われど、中心にあるものは全て同じだ。
義務的に学校生活をこなしつつ、それ以外の使える時間すべてを映画のために使った。編集の下準備のために、まずは膨大なデータをひとつひとつ確認した。NGを出して撮り直したものの中にも思わぬきらめきが潜んでいることもあるから、一瞬たりとも油断はできない。ひたすら映像を注視しながら、絵コンテに描いたイメージをどう再現するか、あるいはどう改良するかを検討していく。思いついたことは片っ端から絵コンテにメモをし、余白がなくなれば付箋に書いて足していく。ひたすら頭と手を動かし続けていたらいつの間にか夜が更けていて、仕方なく布団にもぐってからは、明日以降の作業や完成形をイメージし続ける。毎日がその繰り返しで過ぎていった。
ひと月以上経って、ようやくデータの整理が終わった。いつの間にか制服は夏服から冬服に変わり、風も涼しさの中に寒さが混ざるようになっていた。
そして、夏が完全に死に絶えたことを象徴するみたいに、永野に彼女ができた。
私はそれを本人の口からいち早く聞いた。本人、と言っても永野の彼女の方だ。放課後、帰ってからの編集のことを考えながら歩いていたら、急に「亀田さーん」と呼び止められた。視線を上げると、女の子の四人組が近づいてくるところだった。確か、授業のシーンを撮った時、エキストラにいた子たちだ。撮影前にはしゃぎながらメイクをして、「亀田さん、かわいく撮ってねー」と含み笑いで話しかけてきた子たち。
その中の一人が、校則より少し短いスカートをぱたぱたさせながら、こちらに走り寄ってきた。そして、私の耳の高さまで顔を落として、言った。
「ごめんね、亀田さん。永野くん、私の彼氏になっちゃった」
私の返事を待たず、彼女はもとのグループの中に戻っていった。「えーまじ?」「かわいそー」「やめたげなよー」「だってさー」くすくす、ひそひそ。さえずるような笑い声が私の横を通った。
「ていうか、そろそろ現実見せてあげないと可哀想じゃん?」
やさしー、と誰かが言って、クラッカーの紐を引いたみたいに、笑いがはじけた。彼女たちにかかれば、何が引き金になった笑いでも、紙吹雪や金銀のテープが舞うみたいに聞こえるのだから不思議だった。
現実、という言葉を、私は心の中でもう一度反芻する。
カメラを構えている時は、レンズ越しに見える世界以外の何も存在していなかった。絵映像を確認している時も、モニターに映るものだけが私の全てだった。「現実」だけを生きる人から見れば、それは虚構を見つめているのに等しいのだろう。そしてきっと、永野は「現実」を生きれる側だ。たぶん、他のみんなも。
現実の対義語は、虚構以外にもたくさん思い浮かぶ。理想とか、あるいは夢とか。あの夏に芽生えた小さな夢の萌芽を、私は今更思い出す。映画を見るのは昔から好きだった。遠い世界だと思っていた映画製作が、自分にも手が届くものだっていうことを教えてくれたのは、「映画を作ろう」と誘ってもらえたからだった。
私だけがあの夏に取り残されている。そのことを今更痛感した気がした。
まっすぐ家に帰って、着替えもしないままPCの電源を入れた。編集をすれば何も考えなくて済むと思った。あんなに楽しみだった作業から、私は早く解放されたくてたまらなかった。ソフトの起動の遅さがやたらじれったく感じた。やっと起動が終わり、私はメモを見ながら映像を繋ぎ合わせ始めた。どの映像も、永野の構えたカチンコの文字と、永野がスタートを切る声から始まる。私はその部分をトリミングして、バックスペースを押した。何度も永野の声を消した。繰り返し、繰り返し、永野の声を消した。
「ゆーい」
と、頭上から声がした。
気づくと帰りのHRは終わっていて、生徒たちがぞろぞろ出ていくところだった。みんなどこか足取りが軽くて、「今日どこ行く?」という声がいつもより多くて、あ、そうか、今日は水曜日だった、と気がつく。水曜日は部活のない日だ。二学期に入ってからは意識することすらなかった。そのくらい部活には顔を出していない。
顔を上げると、理菜のはっきりした目が私を捉えた。まっすぐで、澄んでいて、強い光を湛えた目。だけどキツすぎないのは、そこに芯の通った優しさもあるからだ。
私はこの目が好きだった。映画撮影の時も、この目をアップで撮った。瞳が鏡のように四角いキャンバスを映すシーンは、ズームを使う上に位置的にカメラの固定もできないという難しいカットだった。些細な手ぶれでも画面は大きく揺れる。ピントが合わなくなることも多い。理菜も、顔を動かしたり瞬きしたりできない。すべての条件はなかなかうまく噛み合わず、たった数秒のカットなのに、撮影にはかなりの時間を要した。だけど、静止画じゃだめなんだ。完璧に固定された画面の中で、絵を映した瞳がかすかに揺れていなきゃだめなんだ。停滞によって撮影が微妙な空気になっても、私は何度も「ごめん、もう一回」と言い続けた。
「惟がすぐ帰んないの、珍しくない? いつもは真っ先に教室から出るのにさ」
理菜はまっすぐ私を見続けている。今日はその目にどこか後ろめたさを感じて、「うん」と言うと同時に、私は視線を逸らす。机の中を探って、忘れ物がないか確認しているふりをしながら。手には冷たい金属以外何も触れない。
「編集、順調?」と、今度はひよりの声がする。これにも「うん」とだけ答える。
理菜の目と同じくらい、私はひよりの声も好きだ。夏と秋の境目の夜みたいな、透明感と涼しさの中に大人びた切なさのある声。それが今日は、どこか心配そうな色を帯びている。声って、目と違って逸らせないから厄介だ。
私が理菜の目やひよりの声が好きなのは、きっとそこに嘘がないからだ。二人とも、女子トイレで前髪を直しながら陰口を言って盛り上がるみたいな、悪意をピンク色の生クリームと苺とアラザンでデコレーションしたみたいな、そういう甘ったるい虚飾がない。私が本当に好きなのは、目や声というよりも、二人のそういうさっぱりした人間性なのだと思う。
だからこそ、今日の二人の迂遠さが、どこか苦しかった。遠回しに、言葉を選んで、二人していつ本題に入るかをうかがっているような気配は、きっと純度一〇〇パーセントの優しさからだ。そうさせたのは間違いなく私の振る舞いに違和感があったからだろうし、つまり私は普段通りにしようとして全くできていなかったということになる。
なんだか脱力して、机の上のリュックサックに頭を預けた。コンクール前なのか、水曜日だけど吹奏楽部はあるみたいで、遠くから管楽器の音がする。そういえば、夏休みも、エキストラ込みの大きな撮影の途中で音出し始まって焦ったっけな。その辺は永野が交渉を買って出てくれて、どうにか丸く収まったけど。そういえば、「亀田さん、かわいく撮ってねー」ってその時言われたんだっけ。いや主役あんたたちじゃないし、と思ったのは、顔に出ていたのだろうか。
放課後の教室が、西日のせいでぬるく温まっている。
「惟、あのさ――」
理菜の話しかける声もどこか遠くに聞こえて、あ、やばい、眠い、このまま寝ちゃいそう、最近ずっと寝不足だもんな、と思って、まぶたがゆっくり下りていって、
「てかこの間のこけしちゃんやばくなかった?」
きゃはははは、と弾ける笑い声で、一気に目が冴えた。
「一緒に映画撮ったくらいで脈あるって思ってんのイタくない?」
「あ、でも美術部でも一緒だったんだっけ?」
「でもさー、一緒って言うにはレベル違いすぎるっしょ」
「てかあの顔マジだったよね」
「綾音、殺されちゃうんじゃない?」
「やだあこわーい」
「彼氏に守ってもらえよっ」
「永野くーん助けてーってか?」
「違うよ、けーちゃんだよ」
きゃーっ、と黄色い声があがる。ぱたぱたと楽しげな足音が、教室の横を通り抜け、遠ざかっていく。
あ、そっか。あいつの下の名前、慶太か。
無音が訪れた。教室の中は静まり返っていて、その代わりに私の心臓だけが大きく早く動いていた。
「惟!」
と大きく名前を呼ばれて、私はびくりと顔を上げた。
「根詰めすぎなんだよ惟は! たまには休憩しよ! 行きたいとこどこでもいいから行こうよ! 三人でおしゃべりしよ! ね! どこがいい?」
理菜が声を張り上げる。理菜の目はやっぱりまっすぐで、私はその瞳の奥に映る自分を見ようとしたけれど、ズームのレンズ越しじゃないからうまく見れない。
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