断末魔

虹空天音

二度目の悪夢

 小さい頃から、私には使命があると信じていた。だからこそ、増えるあざを隠して、笑い声に耳を塞いで、濡れたノートを処分した。虫以下の扱いを、何とかして耐えてきた。方法はもう忘れた。多すぎたよね。

 まさにそれは、悪夢だった。いや、夢であってほしかった。悪夢だからこそ、私が斬り開けると思っていたんだ。

 そう、私がその方法を、握っている。できる。いつでも、この夢から覚めて、壊すことができる。そう、思っていたから。だから、耐えられた。「これは、別に夢だし」。別に夢だから、大丈夫。

 今日も部屋から聞こえてくる怒鳴り声を無視して、自分の居場所を探している。ドアとドアで区切られた空間を、いつまでも信頼しきるわけにはいかない。


 息が上がって、震える手を自分で握る。それとは反対に温まった首に触れて、白い息を吐き出した。手がかじかんで、つらいなあ。でもね、つらい、つらいという気持ち、言葉だけじゃ解決できないことがある。

 追い出されたら、夜の公園が一番いい。小さい頃連れて行ってくれなかったから、遊具で色々遊べる。ただ、寒い。冬の夜は、さすがに寒いなぁ。

 掠れ声しか出ないのを聞いて、また白い息のため息が思わず出る。この時間は、子どもが帰っている時間。会わないといいな、他の人。

 フー、フーと手に息を吹きかけた。キイ、とぼろのブランコが悲鳴をあげた。

 ……そろそろ、帰っても大丈夫そうかな。


 鍵を使って、家に帰った。部屋をのぞくと、女が泣き崩れていた。さっきまであんなに怒鳴ってたのに。者に当たりまくってたのに。

「ごめんね、ごめんねえ……」

 女は私の服のすそを掴んで、ぶつぶつとつぶやく。ああ、またか。また同じことを繰り返してる。私が小さい子供にしか見えてないんだ。訳も分からず、一緒に泣いていた、あの日の私じゃないのに。一緒に泣いてくれる、抵抗なんてしないと思って、一人で泣いている。

 哀れな女だな。だけど、女がいないと生きられないのもそうだ。

「大丈夫だよ」

 口から嘘が出る。感情など微塵も込めていないが、女はさらに泣き出した。あーあ、うるさい。うるさいうるさい。

「私が味方だから。だから泣かないで」

 子どもかこいつは。私を子ども扱いする癖に、私がいれば何でも解決すると思ってる。


 布団にもぐる。油断しちゃだめなんだ。

 耳をすますと、言い争う声と何かが割れる音がする。今日も、眠れない。あざができなくてよかった。学校だけでもう散々だ。


「……」

 無言で抵抗をしない。最早目の前の人間が何をしようと、私は何かをする気はない。無関心。興味がない。殴られた頬をチラリと横目で見る。赤くなっているが、そこまで痛くはない。

 その時だった。そいつはナイフを持ち出して、私の目を刺した。相変わらず何も感じないけど、今までの出来事も相まって、何かが壊れた気がした。どろどろと何かが手に落ちてくる。暗闇で見えない。べたべたして気持ち悪い。

 あ、私、刺されたんだな。

 ……目の前のそいつは、零れる液体におろおろして、ナイフを取り落とした。何を慌てているんだろう。自分が刺したのに。

 まあ、いいや。私が夢から覚める時が来た。そう思えばいい。私には、使命があるのだから。だから、誰にも責められない。

 カラカラと転がるナイフを掴む。そいつは腰を抜かして変な声を上げている。滑稽だ。ずっと見下してきた存在が、今はナイフを持っている。

 刺した。ぐにゃりと変な感触がして、硬い骨に当たる。ゴロゴロと何かの音がした。刺す。刺す。とにかく、刺す。無感情に、何がしたいのか分からないけれどひたすらに刺した。


 人間のものとは思えない声で、私ははっとなった。下には、さっきのやつとは違う女。心臓を一突きして、そのまま今もがいている。そして、急にはねたかと思うと、力尽きた。

 それから、まずこのナイフを洗おうと思った。こいつらの血がついていたら、すぐにさびて使い物にならなくなってしまう。洗い物だらけで蚊の飛んでいる台所で、私はナイフを洗う。

 そしたら、ピンポンとチャイムが鳴った。迷わずそれに出る。きっと、迎えが来たんだと思った。大丈夫、私は私の使命を果たしただけ。誰にも咎められない。


 私の悪夢は、終わりを告げた。

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断末魔 虹空天音 @shioringo-yakiringo

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