第3話 幼馴染という存在

『ごめんね急に、時間大丈夫だった?』


「大丈夫!で、どうしたの?」


『あぁいや…何してるかなって』


 スマホの向こうから聞こえる彼の声には不安が混じっている。だけど向こうがそれを明かさないならコチラから聞き出すようなことはしない。


「普通に家にいたけど?今ちょっとコンビニの帰り道だけど」


 「幼馴染の家にいました」なんて正直に話してもいい顔をされないのは明白だ。だから嘘をつく。


『え、そうなの?なら帰ってからでもよかったのに…』


「いやいや、こうして覚くんと電話しながらの帰り道も悪くないって!ま、コンビニまで3分くらいなんだけどね」


 真一の家から私の家までは徒歩10分…こうして話している間に3分など余裕で過ぎているが、スピーカーにでもしない限り私が外にいるか否かは向こうから判断つかない。


『そ、そう?なんか照れるな…』


 本当に照れくさそうな声色で聞こえてくる。あぁもう、可愛いな彼氏のくせに。同時に、そんな彼に嘘をついていることに多少の罪悪感も湧いてくる。真一のことを堂々と話せればいいんだけど…こないだ言われたばっかりだからなぁ。


『で、今日の帰りなんだけどさ』


「うん。どうしたの?」


日比鳴ひびなくんと帰ってたよね?』


 その言葉に足が止まる。見られてたか、いや別にコソコソしていたわけじゃないけど…それでも私たちの関係を知ってるような人たちがいる場面ではボロを出さないようにしてたんだけど…世の中意外と狭いね。


「そうだね…幼馴染だし、家も近いから。昔からタイミングが重なれば一緒に帰ってるよ?」


『そっか…いや俺もさ、日比鳴くんとは仲良くしたいって言うか…うん』


 とは言うものの、実際は私たちの関係を探りたいのだろう。なんせ真一とは幼馴染でもあり元恋人でもある。自分の彼女がそんな男と一緒に帰ったとなれば不安になるのも当然だろう。


「大丈夫だよ?真一とは何もないから、もうただの幼馴染!それにアイツ…最近いい感じの子がいるから」


『そうなのか?学校ではそんな感じしないけど』


「他校の子だねアレは…今日の帰り道、幼馴染として探りを入れてみたけど真一のほうは本気になりかけてるね」


『じゃあ大丈夫か?いやほら、湯那ちゃんと日比鳴くんって…あの、前は付き合ってたじゃん?だから少し不安になって』


「ゴメンね不安にさせて?今は覚くん一筋だから!」


 真一にいい感じの子がいるっていうのは嘘だ。覚くんを不安にさせないための嘘。だけど覚くんが好きだという気持ちも本物だ。むしろ真一に対してはもう恋愛的な感情は抱けない。一度交際してみて彼とはそういうのじゃないとよく分かった。


『いや俺のほうこそゴメン。変なこと言って……そういえば、日比鳴くんも帝大志望なんだよね?』


「そうなんだけどね…どうも勉強してる様子が見られなくて」


『彼はほら、左野さんと学年トップを争うような人だから』


 そう。普段から本ばかり読んでいるくせに嫌味なくらい勉強ができるのだ。本を読んでいれば頭がいいというイメージはあるが、真一は推理小説やラノベばかり読んでいて、とてもじゃないが勉学に役立つ知識が身につくとは思えない。


「覚くんは大丈夫なの?」


『湯那ちゃんのおかげで成績は上がってきてるし、今までの人生の中で一番全力で物事に取り組んでいる気がするよ』


 覚くんも私も、第一志望は帝都大学だ。日本で最難関と言われていてただ「行きたい」と言って合格できるようば場所ではない。

 昔から真一に勉強を教えてもらっていた私は多分なんとかなるだろうが、成績が中の下くらいだった覚くんにとってそのハードルは高い。それでも彼は私と同じ大学に行きたいなんて嬉しい言葉の元でグングンと点数を上げていったのだ。無事に進学出来たら実家を出て一人暮らし…自由度が高くなった大学生活に覚くんもいれば充実度は相当だろう。


「私も頑張らないとね。これで覚くんが受かって私が落ちたら笑い話になっちゃうし」


『俺の先生をしてくれたのは湯那ちゃんだぞ?大丈夫だって!』


「ありがと」


『じゃあ、これから勉強するわ』


「うん。頑張ってね!」


 電話を切る。丁度家に到着したタイミングだ。家に入ってリビングに顔を出すといつもはテレビを見ているはずのお母さんの姿がない。二階から微かに物音がするからそこにいるのだろうが、先に洗面所だ。


「あら湯那。おかえり」


「ただいまぁ」


 手を洗ってリビングに戻ると、いつの間にかお母さんが戻っていた。腰かけているソファには数冊のアルバムが置かれており、そのうちの一つを手に取っている。


「アルバム?」


「そう。懐かしいでしょコレ…貴女は幼稚園よ」


 覗いてみると幼稚園生時代の私と真一が一緒の座席で眠りこけている写真が目に入る。確か、私の家族と真一の家族で旅行に行ったときだったか…小学校低学年くらいまではよくこうして家族ぐるみの旅行が開催されていた記憶がある。


「この頃はお風呂どころかトイレまで一緒に行く勢いだったのにねぇ」


「子供の頃の話じゃん」


「そうねぇ…それが成長して付き合い始めたって聞いた時にはあまり驚かなかったわ」


「驚いてよ」


「むしろ別れたって聞いた時の方が驚いたわ」


「なに、責めてる?」


「そんなわけないじゃない。貴女たちの決めたことよ?浮気とかそういうのじゃないんだから」


 普通、こういう場合って両家の関係は変化する思う。私たちの両親もその例に漏れず、しばらくは気まずさがあったが今ではそれも解消されている。まぁ私はそんなのお構いなしに真一の部屋に入り浸ってるけど。


「でもね?流石にまだ真一くんの家にいるのは少しねぇ?」


「……え?」


 お母さんにもお父さんにも、別れた後に真一の部屋に行っていることは話してない。それが普通じゃないことは流石に理解しているから。バレていないと思っていたけど…まさか。


「疎遠になるよりはいいのかもしれないけど…今は別に彼氏がいるでしょ?」


 言わんとしていることは分かる。やはり今の私と真一の関係は不気味なものらしい。


「なんで知ってるの?」


「真一くんの部屋に入り浸ってること?そりゃあ親ですから」


 答えになっていない気がするが、これ以上詰めても意味がないことは分かった。何とか話を逸らそうにもいい話題は浮かばず、お母さんが開いていたアルバムを閉じる。まさかこのことを話すために引っ張り出したんじゃないだろうな。


「まだ続いてるってことは真一くんのほうも拒否してないってことだろうから…私からは何も言わないけど。そのことで今の彼氏くんを傷付けないようにしなさい?」


 意外だった。てっきり「もう真一くんのところに行くのは止めなさい」とか言われると思ったのだが…お母さん的には自分が干渉するほどの問題じゃないらしい。


「ていうかそろそろ新しい彼氏くんを連れて来てくれない?どうやら同じ大学を目指してるらしいし…一人暮らしになった途端に羽目を外すような子か確認しないと!」


「覚くんとは健全なお付き合いですぅ!」


 リビングを出て自室に。ベッドサイドには覚くんとのデートで撮った写真と…真一と付き合ってるときに撮った写真が置かれている。元カレと今彼の写真を同じところに飾るのは私としてもどうかと思うが、二枚とも気に入っているんだから仕方ない。


『元カレが幼馴染でしょ?気まずくないの?』


 真一と普通に話す私に、友達が放った言葉だ。その気持ちは理解できるし、こうなる前の私が同じ状況の人たちを見たら同じことを言っただろう。だけど今は違う。たった数か月の交際期間がこれまでの十数年を壊すなんてことはないんだ。

 私にとって日比鳴真一ひびなしんいちは大切な幼馴染で代えの利かない存在だ。真一との関係を断つつもりもないし、これからの人生において彼との関りが消えるなんて耐えられない。


『幼馴染とはいえ元カレなんだから、少しは距離を置かないと柿崎くんも不安がるよ?』


 友達の言葉が脳内で反復する。だが私の中でそこに対する葛藤はない。


「大切な幼馴染…恋人とか夫婦じゃなくて、家族なんだから。距離を置くとかあり得ないでしょ」


 真一と別れたあの日に答えは出たんだ。彼はもう生活の一部。元カレだからといって関係性が揺らぐことはない。

 スマホに表示された真一の名前をタップする。数回の呼び出し音のあとで心が落ち着くような聞き慣れた声が聞こえた。


『柿崎とのお話は終わったのか?』


「終わったからこうしてるんでしょ?」


 きっと真一も同じだ。恋人とか夫婦じゃなくて、幼馴染としての関係が続くことを望んでいるに決まってる。 

 もし、もしも真一が私から離れるなら、その時は……。

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