第2話 日比鳴真一は変化を望まない
垣崎との通話は思いのほか長引くようで、ドアを開けた湯那が「もう帰る」とジェスチャーをした。頷くと手を振って階段を下りていく。
湯那の家はここから10分ほどの所にあり、窓を覗くとスマホを耳に当てながら遠ざかっていく後姿が確認できる。
「さて…」
幼馴染がそのままにしていった本たちを片付けて一階に降りる。両親は共働きで、帰ってくるのは早くて19時くらいだ。小学生の頃からこんな感じだが「寂しい」と感じたことはあまりない。というのもやはり、湯那や彼女の母親の存在が大きいだろう。
放課後には一人になる僕を心配してか両親に頼まれたのか分からないが、小学生時代は僕の方が朝木家にお邪魔していた。それがいつの間にか、湯那が家に来るようになった。思い返してみると、彼女の家に行ったのは中学一年の夏が最後だった気がする。別にそれ以外で湯那の両親と顔を合わせる機会が多かったから気にしていなかったが。まぁ今となってはあの家に上がる理由もなくてってしまったが…。
冷蔵庫を開けてコーヒーゼリーを取り出すと、蓋を開けてコーヒーミルクを入れる。
「……あ?」
スマホが振動して、画面を確認すると『
「もしもし」
『真一!昨日のワラビの配信見たか⁈』
応答するなり向こうから聞こえてきたのは興奮した様子の声。頭にすら響く声を受けてスマホを耳から話しても内容は十分に聞こえる。
「見てない。その内切り抜きで出るだろ」
『お前、ちゃんとリアルタイムで見ろって言ってるだろ!』
「楽しみ方は人それぞれだろ。で、何をそんなに興奮してるんだ?」
『ネタバレになっちまうが言いたくて仕方ねぇ…真一、俺姉さんに告白されたぁ‼』
ひと際大きい声。
頼兎の言う「ワラビ」とは僕も見ているVTuber餅月ワラビのことだが、それがどうして姉に告白されたなんて馬鹿な話に繋がるのか…それはコイツがワラビの弟だからだ。
「昨日の配信って質問コーナーだろ?何があってそんな」
『そういう質問が来たんだよ!弟のことをどう思ってるのかってさ!』
餅月ワラビに弟がいるというのは本人の口から語られている。彼女がその弟を心底溺愛しているのも周知だ。部屋に戻ってパソコンで調べてみるとその場面に切り抜きがアップされている。サムネイルを見るに「他人だったら惚れてた」なんてことを言ったのだと分かる。
「弟じゃなかったら惚れてるって話か?でもまぁそう驚くことでもないんじゃ…」
『馬鹿言えよ!ついに俺の想いが通じたんだぞ⁉』
「あぁ、そうね」
だがここで一つ注意したいのは、大麻頼兎が餅月ワラビの弟だという確証はない。というか、頼兎の妄想だと確信している。
頼兎とは中学時代の同級生で、高校は違うがこうして繋がってはいる。その縁で、彼のお姉さんとも数回会ったが、どう考えてもタイプが違う。無論、ネットと現実でキャラが違うというのはあるだろうが、それにしたってだ。
現実で暗い人が配信内では明るく話すというのはあるあるだが、頼兎のお姉さんはなんというか…創作のキャラクターで言うと風紀委員だ。割とセンシティブを売りにしているワラビとはどうもイメージが合わない。
何より、中学の同級生の姉が登録者300万人超えのトップVTuberだったなんて話を信じろというのは無理がある。
「お姉さん、今は大学生だっけ?」
『あぁうん。休学してるみたいだけどな』
露骨に話を逸らすのではなく、話の軸は変えないまま話題を逸らす。
「実家を出て一人暮らし…そもそも配信に出てくる弟ってのも実は大学で出来た彼氏なんじゃないのか?ほら、芸能人とかが彼氏のことを弟の話として話題に出すって誰かが言ってた」
『おい真一…冗談にも超えちゃいけないラインってのがあるだろ?』
「いやでも、配信に出てくる弟の人物像…お前とは似ても似つかない」
「人見知りでお姉ちゃん子、頭がよく学年でも上位に入る」というのがワラビの弟像…対して頼兎はコミュニケーションお化けでお姉ちゃん子、頭の出来はお世辞にも良くはなく補習の常連だ。共通してるのはお姉ちゃん子という部分だけだ。
まぁワラビの弟と頼兎はイコールじゃないので当然だが。
『いいや紛うことなき俺だね!特徴が完全一致じゃないか⁉』
「えぇ…これもダメかぁ」
『とにかく!明日、姉さんに会いに行くんだ。お前、多分ワラビが姉さんだって信じてないだろ?』
「うっ…」
流石に空返事をし過ぎたか?「姉さんと結ばれて証拠を見せてやるから、首洗って待っとけよ!」と通話を切ってしまった頼兎。まったく、顔はいいから普通にしてればモテるだろうに…すぐ度を超えたシスコンの顔を出すから人が離れていく。
ただ姉への親愛が深いならまだしも、アイツが向けているのは性愛だ。現代社会において同性恋愛より理解のない近親恋愛をしようとしているんだ。そりゃあ関わりたくない。なのに僕が未だ彼と関わっているのはどこか似たものを感じているからなのだろう。
「狂ってるよな」
湯那とはこのまま仲のいい幼馴染でいたい。これは別段おかしくないだろう。だがこの先、ずっとこの関係性のままでいたいというのは我ながら異常だ。部屋で二人、一緒に何かするのではなく各々が思い思いに過ごす。でも恋人とか夫婦とか、そういう関係は違う。こんな考えが許されるのは中学生、いや小学生までだろうに。
高校生にもなればいい加減に現実を知る。男女の幼馴染が関係をそのまま維持するのは難しいし、何より僕たち自身が過去に関係を変えている。
スマホが振動する。湯那からの着信だ。時刻はいつの間にか、彼女が出て行ってから一時間を経過していた。
「柿崎とのお話は終わったか?」
『終わったからこうしてるんでしょ?』
何より、湯那に彼氏が出来たにもかかわらずこの思考に変動がない。彼氏持ちの女性が幼馴染とは言え男、それも元カレの部屋に入り浸っているなんて異常事態を前に変化を望めない。
特に用事があるわけでもないのに、彼氏との通話の後にこうしている湯那も同じなのかもしれない。いや、この感情が自分だけの物なんて…そんなこと思いたくもない。
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