第13話 準備期間の終わり

二度目ともなると、義水もエントランスホールで挙動不審になったりはしなかった。

しかし、立派なマンションだ、という気持ちがなくなるということはなかったけれど。

エレベーターに乗り込みながら、火織が口を開く。


「その……ありがとうね、色々教えてくれて。」

「え?ああ、いや、どういたしまして、かな。」


義水の答えには、意外なところから話が入ってきたという戸惑いがある。

急な礼の言葉に、義水の視線が定まらなくなる。

エレベーターのボタン、なんかオシャレなやつだな。

円形にくり抜かれたアクリルの大きなボタン。

レーザー刻印で数字が描かれている。

女性と二人きりでいるということから懸命に目を逸らす。


「いらっしゃい、どうぞ。」

「お邪魔します。」


どこか緊張のある二人が部屋の中に入っていく。

火織がソファを勧め、リビングを出ていく、前と同じように着替えるのだろう。

義水も、あらかじめエプロンを出してつけておく。

そうだ、買ってきたフライパンを洗っておかないと、と思い出しキッチンに向かう。

既に一度使っているキッチンだ。勝手知ったるなんとやらで手際よくフライパンを洗い、水切りカゴへ入れておく。

火織が戻ってきて、エプロンをつけはじめた。キッチンに視線を走らせると、口を開いた。


「あ、フライパン。洗ってくれてありがとう。」

「どういたしまして、というより今日の主役だからな。」


義水がフライパンを見て微笑む。

料理という行為への愛着があるのだろうか。普段の教室では見ない表情。

そんなことを火織が考えていたら声がかかる。


「よし、それじゃあ始めようか。」

「よろしくお願いします!先生!」


そういうと、義水はガタガタと用意を始めた。

火織は何をやるのか分からないので、見ているだけ。

仕方ないが手持ち無沙汰だ。

義水はそんな様子の火織に気づいたようだ。少し考える顔をすると、笑って話しかけてくる。


「じゃあ、皿を出しておいてくれるか。」

「は、はい!まかせて!」


ぴょんと跳ねるように返事をして、皿を出し始めた。丸くてフチに模様のついているヤツ2枚。

2枚でいいんだろうか、1枚?

義水からは2枚出したことに対して特にコメントはなかった。

ということはこれでいいのだろう。


道具が一通り出てきた。さっき洗われた玉子焼き用のフライパンも。

キッチンペーパーで水が拭い取られ、今はからりとした顔をして

コンロの上に鎮座している。


「今日はこれだけやって分からないということはないと思うが、玉子焼きを作る。」

「わー。」


雑な拍手。パチパチ。

生徒が少ないからね。音が控えめなのは仕方ない。

まあ、でもいい、楽しくやることは大事だよ、と火織は思った。


「弁当の定番おかずと言えば玉子焼きだからな。あとは目玉焼きを入れるわけにもいかないし。」


少し恥ずかしそうに義水が言う。

なんか恥ずかしいポイントあったかな?別に目玉焼きがお弁当に入っていてもいいけど。

今や『私、目玉焼きなら完璧に作れる』という自信が火織にはあった。


でも、お弁当の定番おかずと言えば玉子焼きというのもわかる気がする。

高校に上がって、優佳が友達になって、たくさんマンガを貸してくれた。その中でもたいていはお弁当には玉子焼きが入っている。


「玉子焼きは、宗派がいくつかあって、好みに合わらせられるのが一番いいが……分からないよな?」

「光一路くんの?……知らないかも。」

「とりあえず、誰もが好きだという甘い玉子焼きの作り方を教えるよ。好みがわかったら、新しいレシピを教える。」

「はーい!」


元気よく返事をして手を挙げる。義水もそれを見て頷いた。


「前回言ったように毎回失敗させるのは効率がよくないし、それに……多分いきなり成功したりしないと思うから、作り方を見せるよ。そして教えながらだが実際に作ってもらう。」

「は、はい、まかせて。」

「そんなに緊張しなくていいよ。誰だって最初は初心者なんだ。」

「鍛冶家くんも失敗した?」


義水がポリポリとまた頬をかいている。

なにか失敗に関することを思い出しているのかもしれない。バツの悪そうな表情になっている。


「そりゃ、まあ。最初のうちは焦げたもんとか普通に食べることになったし。」

「へー。最初から上手なのかと思った。」

「そんなわけない。」


それはそうか。

前回の涙目焼きのことを思い出す。すごいものが出来上がっても、義水は笑ったりしなかった。

それは多分、いっぱい失敗してきたから、失敗に対しての許容量が大きいのだろう。

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