第8話 不明のタマゴ

「先生ぃ……できました……。」


「うん、どうだった……?」


「うん……簡単だって思ったけど……全然ダメだった……。」


火織が少ししょげているようだ。義水はできるかぎり優しい表情で話しかける。

義水は表情を作るのがあまり得意ではないようで、どこか引き攣った笑顔。

しかし、表情を作るのは諦めたようで、ふっと自然な顔が見えた。


「石動は料理したことなかったんだろ。じゃあ、これだけできて良かったねと言うところだ。」


「でも、潰れちゃったし……。なんか焦げてるし……。」


「そうだな。つまり、石動は潰れてなくて、焦げてない目玉焼きを作りたかったということだろ?」


「うん……。」


火織の表情は晴れない。

義水の顔を見ている余裕はないようで、自分の成果物であるところの涙目焼きをじっと見つめていた。


「原因をひとつひとつ考えて行こう。焦げた理由はなにか分かるか?」


「えーと……火が強すぎたから?」


火織の答えを聞いて、義水は頷いて見せる。


「そうだな、焦げる原因は火が強すぎるということが多い。あるいは適正な時間を超えて加熱し続けたか。」


なるほど、という顔で火織が頷いた。

料理をしたことがなくても論理を理解できるということは良い傾向だ。


「答えを言うと、今回は火が強すぎた。タマゴを割る前に火をつけて、タマゴを割るのに手間取っただろ。」


「うん、でも、フライパンをあっためとかないとダメかと思って。」


「それは良いんだ、でも火加減が強火で、そのままだった。そうすると、加熱されすぎて、タマゴは焦げてしまう。」



そうか、火加減。火の強さを調節するという発想が火織には無かった。


「失敗していいんだ。というか、俺は石動に失敗して欲しかった。」


義水から、驚きの真実が飛び出してきた、失敗しろだなんて、言われたことがあっただろうか。

火織は今まで「失敗して良かった」と言われたことなんて一度もなかった。

はっとして、火織は義水の顔を、目をみた。


「結構あるのが、料理を学ぶとき、指示されて言われるがまま作業して上手くできたら、それで料理ができたと思ってしまう。」


「言われてみると……料理学校とか、調理実習でもそうかもね。」


「料理のレシピを広げるという目的ならそれでもいい。でも、本当に料理を学ぶっていうのは自分が何をしているのか意識するってことが大切なんだ。特に初心者のあいだは。これで石動は火加減について学んだ。火が強すぎたら焦げてしまう。逆に火が弱すぎるとどうなるか分かるか?」


「生焼けになる?」


「そうだ。食材に火が通らない。生焼けは食味が悪いし、食中毒になる可能性もある。」



そんなこと、考えたことも無かった。食べ物は全部、最適な状態で出てくるもの。無意識のうちに誰かが作っているということを忘れているのかも。

お手伝いさんが料理を作ってくれているのは知っていたし、いつもありがとうと感謝の言葉を伝えるようにしていた。でも、それはどんな手間を経て自分の前に現れたかということを想像したことがなかった。


「ここまで来て、初めてやり方を教えることができる。でも、毎回、失敗させてからやるのは実は効率が悪いし、あまり褒められた方法でもない。食べ物が純粋に勿体ないしな。」


「そうだね。」


「次からはポイントを押さえてやり方を教える、石動は考えて実際に作る。そんな風に進めるから。」



素直な気持ちで答えられた。自分の失敗。でも、それは成長の過程なんだと火織には思えた。



「じゃあ、タマゴが割れてしまった原因はなんだろう。これは割る時にチカラが強すぎただけだ。」


火織は緊張と焦りの中でタマゴを強く握ってしまったらしい。

自分では意識していない力の入り方、そういうことがあるのかな。


「これは慣れるしかない。たくさん割ってタマゴとの付き合い方を学ぼう。優しく割るところから始める。割るだけなら、そんなに力はいらないんだ。」


「そんなに、たくさん割れるかな。」


「これ一回で終わりじゃない、毎朝目玉焼きを作って練習してくれ。とりあえず簡単な方法で作ってみせるから、覚えられるように見ていて。」



火織はゆっくり頷く。


そんなに長い時間じゃない。

でも、ジワジワと学びがあることを感じる。

義水の手元を集中してみる。綺麗な指先、繊細な印象があった。

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