第6夜③

 紗子のことは、良き友だと思っていた。

 自分を守ってくれる大人として頼りにしていた信重とは違い、大人の事情に振り回されながらも二人で手を取り合い、支え合って過ごしてきたのだ。もはや『戦友』と呼んでも過言ではない。

 だから、そこに恋愛の情はなくとも、彼女が困っていると知っていれば、何としてでも助けてやりたかった。

 反対に、それほど信頼していた『戦友』が、『敵』に似た一面を覗かせたときには、『ひどい裏切りだ』と非難したくなった。

 もっと穏当に彼女の悩み事を聞き出す方法は、他にいくらでもあったはずなのに。


「……『ただわび人の袂なりけり』か」


 紗子が姿を消した翌日、寛高は彼女の文机の上の書き置きを見つけた。

『私の心は血の涙を流している』という歌の一節を書き抜くなんて、寛高の行いのせいでよほど傷ついたと伝えたいのだろう。

 悪かったと彼女に詫びたい気持ちを抱きながらも、心の奥底でわだかまる思いもある。


(そんなに悩んでいたなら、どうして言ってくれなかったんだ。俺たちは友じゃなかったのか?)


 寛高は信頼に値せず、悩みを打ち明けられないと思ったのだろうか。

 それとも、打ち明けたところで頼りにならないからと、最初から頼る気にすらならなかったのだろうか。

 そもそも紗子の方は、最初から寛高のことを『友』だなんて思っていなくて、左大臣の傀儡となることを厭う寛高に取り入るために、『寵愛など欲しくない』という演技をしていただけだったのかもしれない。まんまと騙された寛高を見て、内心では嘲笑っていたのかもしれない。


 分からない。紗子が考えていたことなんて、何も分からない。

 仮にも夫婦として何年も過ごして、その結果がこれか。

 自分たちの付き合いは、なんと薄っぺらくて虚しいものだったのだろう。

 大事にしていた宝物が塵屑だったと知らされたような心地がしていた。


「主上が羨ましいわ」


 ――だから、その言葉に、興味をひかれたのだ。


 夜の清涼殿に近づく不審な影を咎めてみれば、見覚えのある面差しの、見たことの無い女がそこにいた。

 きらきらと強すぎる輝きを放つ瞳はいかにも気が強そうで、理想的な貴婦人ともてはやされるような『淑やかさ』とは食い合わせが悪い。ただ、ぽんぽんと歯切れの良い言葉の応酬は、いつまでも続けていたいと思うほど楽しかった。

 歯に衣着せないその女が、『羨ましい』と言ってくれたから。


「それほど愛せる人と出会うことのできた主上も、羨ましいなって」


 彼女が言うなら、そうなのだろう、と。

 自分は確かに紗子を友として愛している。たとえ、この思いを裏切られたとしても、自分が抱えた思いが嘘になるわけではない。この世でただひとり、自分だけは、友との日々を尊んでいいし、失えば惜しんでいいのだと、心から思えた。


(そうか。この女が『沙那』か)


 紗子が言っていた、胸のすく活躍をする破天荒で愉快な従姉。

 まるで物語の主人公がいきなり目の前に現れたかのような爽快感を、寛高は感じていた。

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