第6夜④
沙那は、妙な女だった。
紗子からあらかじめ聞いていた話よりも、実際に目にした姿の方が、遥かに変だ。
「紗子が見つかっても、そんなの、帰ってきたくないに決まっている! 話はまず、主上が頭を下げて『ごめんなさい』してからでしょう!」
まさか、天下の帝に頭を下げさせようとするなんて、度胸を称える段階はとっくに通り越していて、『向こう見ず』と言うほかない。
物騒な発言を繰り返す彼女を押し留めながら、内心でぼやいた。
(紗子のことになると、自分からぐいぐいと攻めてくるんだな。日頃はのんべんだらりと過ごしているくせに)
夜の庭で沙那と出会った後に、念のために、彼女が出仕した経緯を調べさせた。
左大臣の息がかかった出仕であることは明らかだが、承香殿の女御の失踪の件だけは、彼も共犯だから気にしなくていい。それよりも、右大臣やその仲間相手にうっかり買収されて『承香殿の女御は不在である』と報告される方が厄介だ。
調べてみて分かったのは、『橘宰相家の姫君は人嫌いである』という噂だけ――姫君は通わせる男もおらず、特別仲良くしている友人もいないらしい。
……まあ、その噂も分からないではないけれど。
「今、誰も、あなたの話なんてしてませんけど?」
……お前の話なんて聞く気はない。うるさい口を縫い付けてやろうかっ! という意味だろうか。
なんともとげとげしい、つれないことを言うものだ。
沙那はせっかく可愛らしい容姿をしているのだし、父親の橘則実は腐っても公卿の端くれだ。則実が例外的に出世しただけで有力な縁者がいるわけではないから、妻の人脈をあてにした者からの縁談の申し入れは少ないかもしれないが、沙那自身を目当てに妻妾に迎えようとする者はいくらでもいるだろう。
則実に野心さえあれば、娘を高位の貴族に妾として差し出すなり、入内するには身分が足りないにしても内侍所に出仕させるなり、やりようがあったはずだ。
(……そうか。そうしていれば、沙那が俺の妃になっていた可能性もあるわけだ)
頭がよく回り、はつらつした受け答えをするところは、内侍に向いているかもしれない。もしもそうなっていれば、沙那は帝の側仕えをしていたはずだ。
ただ、それでも、自分が彼女に手を出すところは想像できない。
さすがに性格がきつすぎるのだ。仕事仲間としての頼りがいは大いにありそうだが、常に一緒にいると息が詰まりそうな気がする。
沙那は無いな、というどう転んでも失礼すぎる見定めを終えた頃、局の外から声をかけられた。
「……宰相の君、どうかなさったのぉ?」
どうやら言い争う声を聞きつけた女房が、様子を見に来たらしい。
きっと『あなたには関係ないでしょう』とでも冷たく言い放って追い払うんだろうと思っていたのに、沙那は予想外の動きを見せた。
「いえっ! 何でもっ!」
ぎくしゃくとぎこちなく身体を動かしながら、裏返った声で叫んだのだ。
狼狽しきった物慣れない仕草に、彼女がこの状況に慣れていないことを悟った。
彼女に任せていては、『主上』が『宰相の君』の局を夜に訪ねていたことが、他の女房たちに露見してしまう。見かねた寛高は、部屋の灯りをすい、と落として、沙那の身体を抱き寄せた。
「……っ」
彼女が小さく息を呑んだ音がやけに大きく聞こえる。
身体を強張らせてぴくりとも動かなくなった彼女の中で、呼吸の音だけが、彼女が生きていることを知らせてくれた。
「あら、恋人が来てらしたのね。ごゆっくり」
『取り込み中』の空気を察した女房が、鼻歌交じりに去っていく音を聞いても、なかなか動き出せなかった。
腕の中にすっぽりと抱き込まれた沙那が意外と納まりが良いことに気づいてしまって、なんとなく手放しがたかったのもあるけれど、何よりも、沙那はがちがちに身体を硬くしていて、このまま彼女を放したら、床にぱたりと倒れてしまうのではないかと、馬鹿らしい想像を思い浮かべていた。
「帰ったようだな。もう大丈夫だろう」
「……ああ、もうっ! 絶対に誤解されたっ! 早くっ、離れてください……っ!」
つんけんとした言葉だけを聞けば、先程までと変わりはしないのに、先程までと同じ気持ちでは到底聞けそうになかった。
夜の空気を掻き乱す大きな声を発した沙那の顔は、熟れた果実のように真っ赤になっていたからだ。
(可愛いな)
うっかりと、思ってしまった。否、気づいてしまった、と言うべきだろうか。
「そんな顔もするんだな」
「へっ?」
「いや。少し、想像と違っただけだ」
「想像?」
沙那は訝しげな顔で、小首を傾げていたけれど、答えてやる気にはならなかった。
――だって、伝えるのは負けた気がして、悔しいだろう。
彼女に出会う前から、彼女のことが気になって、彼女に惹かれていた、なんて。
出会ってからはさらにいっそう惹かれている、なんて。
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