第6夜①
「頭中将は残るように」
月初めの
差し詰め、『先程の月奏によると、所定の勤務日数を満たしていない蔵人が多すぎる。蔵人所を監督するお前の責任だろう』と詰められるとでも思ったのだろう。
「何でしょうか、主上。月奏の件は、切にお詫び申し上げる次第です」
やれ物忌みだ何だと理由をつけて出仕を怠っておきながら、左右の大臣から宴に招かれればひょいひょいと出かける蔵人たちには憤りを禁じ得ないが、きちんと出仕している信重をその件で責め立てても仕方がない。
また、出仕を拒む者たちとて、自身の生活を維持するためには左右大臣のどちらかに
寛高が――否、その父祖たちが任された『統治』とは、長らく、実力者である左右大臣の傀儡におとなしく据えられることだったのだから。
「頭中将、これからしばらく時間を空けておけ」
ただ、それは今回の本題ではない。
寛高が端的に用件を告げると、月奏の件を責められるのではないと知った信重は、ほっと息を吐き、べらべらとよく回る舌を動かした。
「主上……勘弁してくださいよ。私には、可愛い娘の成長を見守るという重大な使命がございまして。仕事ならいざ知らず、主上のわがままにお付き合いする暇は無く」
「安心しろ、仕事の件だ。それも、すぐに対処しなければ、お前の仕事など吹き飛ぶだろうなあ」
東宮時代に
困惑した様子の信重に、承香殿から預かってきた文箱を渡すと、中身を確認した彼は凍りついた。
「呪詛っ!? どこでこれをっ!?」
「承香殿の床下だ」
「それではっ、女御様を呪詛した者がいるということではないですかっ!」
騒がしく慌てふためく信重の顔に焦りの色は見えるが、恐怖しているようには見えない。信重には、この件について『自分が寛高に罰せられるかもしれない』と恐れる心当たりがないからだ。つまり、彼は犯人ではない。
じっと観察した後に、寛高は念を押して答えさせた。
「その者は、お前ではないな?」
「当たり前でしょうっ!」
「よし。ひとまず信じよう。まあ、仮にお前が犯人だったとして、俺はお前にしか呪詛のことを知らせていないから、今後何か動きがあったなら、お前が犯人だったと見なす。可愛い娘ごと流刑にされたくはないだろう?」
「脅しじゃないですかっ! ひどいっ、私のこと、全然信じてませんよねっ!?」
「嫌なら、早く犯人を見つけろ。頭中将――蔵人所の長、兼、近衛府次官として、お前にはその責があるはずだ」
「ええ、その通りですともっ!」
『給料分は働け』と命じると、信重は勢いよく良い返事を返してきた。
ところが、満足した寛高が承香殿に戻ろうとすると、目の前でもじもじと身じろぎ始めた。まるで、恥じらう乙女も斯くやの仕草だ。そんな仕草を信重に見せつけられたところでげんなりするだけだが、無視するわけにもいくまい。
寛高は低く凄みの利いた声で尋ねた。
「何だ?」
「あの……差し出がましいようですが、主上はどうしてここにいらっしゃるので?」
「俺がここにいたら悪いのか?」
「いえ、どうして、女御様のお傍にいらっしゃらないのかな、と。犯人捜しは私めに任せればいいわけですし」
「……」
言葉の一撃で的確に痛い所を突かれた。
さすがに、対立する左右陣営の双方から、『頭中将』という要職に就くことを認められた男なだけのことはある。
「いや、まあ、主上のお気持ちは分からなくもないですよ? ご結婚されて何年にもなりますし、倦怠期になることもあるでしょう。でも、呪詛を受けて心細いのに、自分の傍から離れる夫のことを、女御様はどう思われるでしょうねえ?」
「……言った」
「うちもね、今更、惚れた腫れたの男女の駆け引きなんぞは無くなって久しいですが、それはそれとして、全く気を使わないと妻に怒られてしまいますし、ねえ?」
「っ、だからっ! 『傍についていようか』と言ったが、断られたんだっ!」
その時ばかりは、まるで信重が真っ当な年長者であるかのように、真っ当に諭されて、寛高はたまらず反駁してしまった。
呪詛された人間を放っておきたいわけがないだろう。即座に申し出た上であっさりと断られてしまったものだから『最初から気にしていないし、断られたことも気にしていない』という虚勢を張っているに決まっているではないか。
それを真正面から指摘して、寛高の考えが足りないかのように諭された挙句に『自分だったら妻を気遣いますがね、そうしないんですか?』と自身と妻が仲睦まじく過ごしていることを知らせてくるなんて、もはや自慢としか思えない。
(俺だって、沙那の傍にいたかったに決まっているだろうがっ!)
誰に聞かせるわけにもいかない叫びを、内心で吐き出した。
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