第5夜④

 紗子よりも不出来な沙那には、完璧な身代わりになることはできない。その上、身代わりにはふさわしくない邪な想いまで抱いている。――身代わりとしては失格もいいところだ。

 ならばせめて、紗子を探し出す役目の方は全うしなければ。紗子にとても顔向けできないと思った。

 沙那は大きく息を吸って吐き出すと、口角を引き上げて、意識的に笑顔を作った。

 そのまま寛高に背をもたれて囁きかける。傍目には、彼に甘えているように見えるだろう。


「ねえ、主上。こちらの絵も見ていただきたいのだけれど」

「どれどれ……これは、興味深いな」

「そうでしょう? 庭を眺めていて、見かけたの」


 葦手書きのふりをして書き込んだのは、昼のうちに彼に報告しておきたい事項だ。沙那が指した筆の先を見た寛高は、そつなく話を合わせてくれた。


『見慣れない雑色ぞうしきが庭に出入りしている。あなたが命じたの?』


 身分の低い召使である雑色は、宮中の雑用を任されている。

 何か所用があって遣わされたというならいいが、そうでない雑色が後宮の庭に出入りしているとなると、警戒せざるを得なかった。


『雑色の一人一人まで把握してはいないが、人員の配置換えは無いはずだ』

『そう。例の香壺を埋める場所を決めたのは女房たちだけれど、実際に埋めたり掘り返したりしたのは雑色だから、顔ぶれが変わったのは気になるわ』

『調べてみよう』

『先に調べられるところは、調べておいたわ。元からいる雑色なら信用できるかと思って、殿舎の下に潜ってもらったの。そうしたら、出てきたものがあって』


 寛高の答えを聞いて、やはり、は無関係ではなさそうだと見当がついた。

 沙那は、文机の脇に置いていた文箱を取り上げ、上蓋を退けた。


「主上、ここに新しく届いたもあるのよ。ご覧になって?」


 それは、正確に言うならば、『絵巻物』ではない。

 巻物状の紙にびっしりと書かれているものは、文字の割合の方が多いし、添えられている絵もおどろおどろしくて、見ていてもさっぱり楽しくない。


「……っ、これはっ!」

「ね? 素敵な絵巻物でしょう? 作者の熱意が籠められていて」


 絶句した彼の目が、『女御の死』という文字列と、その横の臥せった女の絵を映していることを確かめて、沙那は『絵巻物として扱え』と念を押した。ここで彼に大げさに騒ぎ立てられては、こっそりと打ち明けた意味がなくなる。

 寛高も沙那の思惑に気づいたようで、相槌を打ちながら、葦手書きの紙に乱れた蹟で文字を綴った。


『これは、呪詛だ』

『それくらい、私だって、見れば分かるわ。こんなに分かりやすければね』

『お前が呪詛されたということだ!』

『生憎だけど、私は呪詛なんて信じてないのよ。だから、大丈夫』

『大丈夫なわけがないだろう!』


 呪詛を受けようが受けまいが、人は死ぬときには死ぬのだ。

 まして、もっと直接的に殺したいなら、刀で切りかかるなり矢を射かけるなりすればいいところを、物騒な文句を書いた紙を密かに差し入れるだけだなんて、遠回しの嫌がらせにも程がある。

 そんな消極的な殺意には負ける気がしないと言えば、想定外に、寛高は語気荒く食いついてきた。


「――付け火でもされたらどうする」


 耳元に吹き込まれたのは、ぞっとするような悪意だった。

 殿舎の床下に入り込んで呪詛を仕掛けた者が存在するということは、その者がその気になれば、火種を仕込んで付け火だってできたはずだ。一歩間違えば、沙那が死ぬような目に遭ったっておかしくなかったのだ、と。

 恐ろしい死を身近に思い知らされて、怯んだ自分をごまかすように、沙那はあえて胸を張った。


「っ、分かっているわ」

「全く分かっていないっ! 呪詛そのものが効くか効かないかの話じゃない、悪意を持つ者を身近に近づけるとどうなるか……っ!」

「私は大丈夫よ」


 大丈夫に決まっている。大丈夫でなければならない。

 だって、沙那は紗子のために、ここに留まらねばならないから。ここから逃げ出すような理由があっては困るのだ。


「夜は、あなたと過ごすもの」

「……っ」

「さすがに、主上を焼き殺そうとは、なかなかしないんじゃないかしら」


 天下の帝を害することには、襲撃犯も躊躇うだろう。

 だから、大丈夫だ。それに――こういうやむを得ない理由があるなら、沙那が彼と夜を過ごすことも正当化されて、紗子だって許してくれるんじゃないだろうか。

 努めてそう思うようにしなければ、厚顔無恥にも、紗子の身代わりを務めることには耐えられなかった。


「……この紙の出所は、調べる」

「ええ。そうして」

「夜は、必ず清涼殿で、俺の傍で、過ごすようにしてくれ」

「ありがとう。助かるわ」

「絶対だ」


 強い眼差しを向けてくる彼に、沙那は作り笑顔を返した。姫君らしい、おっとりと淑やかな笑顔を。


「ええ、分かったわ」


 笑え。紗子だったら、その笑顔を自然に浮かべただろう。

 だから、沙那はそうしなければならない。たとえ、どんなに心が軋んでも。

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