第3夜③

 先に薫物合わせを行うことになって、判者が中央の座につくと、梅壺からは煌びやかな装飾が施された香壺が提出された。あの香壺の中の香があちらの『本命』ということだろう。

 焚かれて立ち昇る香りには、案の定、心当たりがあった。沙那が香料を調合した時に嗅いだものに間違いない。


「他人から盗んだものを、よくもまあ、盗人猛々しく……っ」

「しっ、左近。駄目よ、訴え出るに足る証拠は無いのだから」


 悔しげに唸る左近を宥めつつ、沙那は冷静に考えを巡らせた。

 薫物合わせでは勝ち目がない。組香なら勝てるかもしれないが、不確実だ。勝負の両方で負ければ、左大臣の威信はひどく傷つく。不名誉を挽回するための献策をしなければ――と負けた時の後始末を考えるのに忙しかった。


「……なんとっ! この香はどなたが用意なさったものですかなっ!」


 ところが、薫物合わせは予想外の結末を迎えた。

 沙那の提出した小さな香壺を確かめた判者は、興奮を隠さずに聞いてきたのだ。


「私のものですが」

「これは、先々代の中宮さまが、執務にお疲れになった主上の御心を癒すためにと心を込めて、たくさんの香料を少しずつ繊細に組み合わせて作られた香りですぞ! まさか、今の時代にこの香を再現なさるとはっ!」

「……ええ、その通りですわ」


 実を言うと『へえ、そうなんですか。今、初めて知りました』としか答えようのない事実を並べ立てられて、沙那は慌てて余裕のある笑みを取り繕った。

 どうやら、寛高が差し入れてくれた香は、かなりの良い品だったらしい。


(……ということは、本当に、私を助けようとしてくれたの? ごめんなさい、あなたが梅壺方についたと疑ってしまった。今度、いくらでも恩返しさせていただくわ)


 真相が分かると現金なもので、途端に申し訳ない気持ちが湧いてきた。

 それはそれとして、相手方に攻め入る絶好の機会を逃すわけもなく、沙那は思慮深げな憂い顔を作ると、切々と訴える。


「私たちは主上にお仕えする身です。香を何のために身に纏うかと考えれば、主上を癒すために他なりません。仮にこの勝負で負けようとも、私は、この香を身に纏うつもりでおります。……香木を金に飽かせて追い求めて、時に他人の手から奪ったとしても、主上の御心は晴れるどころか、ご心配をおかけしてしまうでしょう?」


『贅沢趣味の強欲な女が主上に好かれるはずがない』という紛れ込ませた宣戦布告に、梅壺の女御が気色ばむのが分かった。彼女にしてみれば、『お前が金に飽かせてこの香を作ったんじゃないか』と言いたくて仕方がないだろう。


(それは真実だけれど、でも、あなたには言えないでしょう? 『私は承香殿の女御が用意した香を盗んだだけです』なんて。甘んじてその香の評価を受け取るがいいわ。どんな事情があったって、悪さをすれば、その分は叱られなきゃならないのよ、お嬢ちゃん)


 歯ぎしりして黙り込む梅壺の女御の様子には気がつかないのか、呑気に『ご立派な志ですなあ』などと述べていた判者は、薫物合わせの勝敗を告げた。


「一位は、承香殿の女御さまの香にございます!」


 ひとまずは、一勝である。

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