【ヒント⑥】

 本作本編はアダルトゲーム『チマミレ☆ハート』の世界の物語であるが、現実世界からの来訪者が一人だけ存在する(ただし、その人物は犯人ではない)。




◆◆◆




「……そうだよ」おもむろに歩はうなずいた。「でも、あの子はもうこの世には──」


「らしいな」と冷淡な口調で雑野は言葉を被せた。「敗血症が死因と聞いた。未熟児だったのに不衛生な寒村で自宅出産したせいだってな」


 歩はうつむきがちに答える。「そうさ、あの子が死んだのはぼくらのせいだ。ハズレ親だったことは今でも申し訳ないと思っている」


「へぇ」雑野はおもしろそうに洩らした。「てめぇみてぇなキチガイでも、曲がりなりにも親ではあったんだな──ま、毒親も毒親だがな。お前のガキも自我が芽生える前に死ねてよかったんじゃねぇか?」


 歩は顔を上げ──ブランコがきしっと耳障りな音を立てた──雑野を鋭くにらみつける。


 しかし、雑野には意に介した様子もない。「マジで狂ってやがるな。こんな狂人が身近にいたなんてな、今思うとぞっとするぜ」


「ファンタジーめいた根拠の的外れな憶測で人を精神異常者呼ばわりするほうがどうかと思いますけど」


 はっ、と雑野は嗤った。「減らず口を叩きやがる」


「それはすみませんね」


 そして雑野は出し抜けに、「お前、随分と長いこと村八分に遭ってたんだってな」と聞いてきた。


 ぱちぱちと瞳をしばたたいてから歩は、「……そうですよ」と点頭した。「でも、それがどうかしましたか」


「お前がここまでになっちまった原因は、それにもあるんだろうなって話だ。

 ガキのころからお前は孤独だった。閉鎖的な村で、話し相手は、愛欲に狂った母親と、陰で自分をいじめてくる村長の息子ぐらいなものだ。灰色どころじゃすまない真っ黒な子供時代を過ごしていた。

 精神に異常を来して、歪んだ愛を抱えるようになってもまったくもって不思議はねぇ。

 お前は執着心と独占欲に支配されている。ただ、その対象はキスをした相手に限定されているんだ。だから、傍目にはわかりにくい。

 だが、ひとたびスイッチが入ってしまうと、つまりはキスをしてしまうと、その相手への愛情が暴走し完全に自分だけのものにしようとする。

 その手段が殺人だ。

 殺してしまえば、もうほかの人間のものになることはない。永遠に自分だけのものにできる。

 だから、殺した。男も女もなく必ず殺してきた。

 ──そういうことなんだろう?」


 と聞かれても歩にはさっぱりである。根拠も判然としないし。「だから、どうしてそう思うんですか?」


「村長の息子が殺された事件を調べるうちにお前とその息子との歪な関係が朧げながら見えてきたんだ。さっきも言ったが、村長の息子は昔からお前をいじめていた。それは中学生になっても続いていた。

 そんなある日のことだ、お前は村長の息子にレイプされた。

 その瞬間を──村長の息子が必死に抵抗するお前をしたたかに殴りつけておとなしくさせ、無理やりに挿入するところを見たという婆さんがいたんだよ。

『「もうやめて、許して」と歩が泣いて懇願しようと構わず村長の息子は激しく腰を振っていた』って言ってたよ。

 その婆さんはとんでもないものを見てしまったとビビり散らかして、結局、村八分にされている者との接触が禁じられているというのもあって、自分の平穏な生活を守るために見なかったことにしたそうだ。君子危うきに近寄らずの精神だな。

 ところが、だ。その婆さんは次の日にまたしてもお前らの情事を目撃してしまう。

 で、婆さんはたいそう仰天した。

 今度はまるで愛し合う恋人同士のように求め合っていたからだ。むしろお前のほうが積極的だったようにも見えたらしい。

 そんなの普通じゃねぇよな? 三文エロ漫画じゃねぇんだから、レイプされたその翌日にはもうほだされて恋に落ちていた──んなことあるかよ、ねぇよ。

 じゃあ、何でそうなったか? 

 その話を聞いた時点では、お前に何か思惑があって恋している演技をしていた可能性も考えられたし、最初に目撃されたレイプは実際にはレイプではなく単にそういうプレイに興じていただけだったかもしれないとも思っていた。

 だが、村長の息子殺害事件の犯人がお前であるという確信が強まっていくにつれ──」


 そこで歩は嘴を容れた。「だからぼくは殺してませんって。アリバイがあるって言ったでしょう? それも被害者遺族に当たる村長の、ですよ? それでも信用できませんか?」


「当然、信用なんてできねぇよ」雑野は即答した。「なぜって、村長はお前の母親にご執心だったからだ。

 村長の立場になってみればわかる。もしもお前が殺人犯と立証されてしまったら、いまだに村八分なんてものをやっちまうような旧時代的な村だ、母親を追放しなきゃいけなくなる。村長としてはそれは避けたかったはずだ。

 しかし不都合なことに、死亡推定時刻はお前と村長の息子が密会していたと思われる夜七時半から八時過ぎの間──殺害時の状況からいって、偽証がなければお前が犯人とされかねなかった。

 だから村長は、お前が息子を殺したと察していても偽証せざるを得なかったんだ。『その時間、牛若歩は村八分解除の懇願をしにわたしの家を訪れていた』ってな」


「それだって何の証拠も──」ないじゃないですか、という歩の言葉と、


「そうなることを見越して殺したんだろ?」雑野の強い声がぶつかった。「村長の心理を読みきって、状況を整えることで間接的に彼を操作する──これが、たかだか十三かそこらののやることかよ。本当に恐ろしいだよ、お前は」


「……違うんだけどなぁ」歩は困り顔で答えた。


「まだ認めねぇか──ま、キチガイにまともな倫理観なんて期待してねぇから別にいいけどよ」


「そのキチガイっていうのも納得できないんですけど」


 はっ、と雑野は嗤い飛ばした。「よく言うぜ──じゃあ聞くがよ、何でお前は若年出産のリスクを負ってまで強姦野郎のガキを生んだ? 普通の女なら堕ろそうとするんじゃねぇか?」


「それは、その……」と歩は一瞬言い淀み、「お腹の子に罪はないからですよ」


「違うな」しかし、雑野は言下にそう断じた。「お前は強姦野郎を心から愛していたんだ。強引に唇を奪われたことで、そうなってしまった。

 そして、愛していたからこそ殺したんだ。

 俺だって信じがたいとは思うがよ、そんなふうに考えないと赤学の事件と整合性が取れねぇんだよ」


「……」歩は何も返さない。


「酒本のスマホを破壊した理由もこの前提があれば説明できる──性愛が災いして親密に連絡を取っていたからだ」


「……」


「お前は間違いなく狂ってる。それは環境のせいでもあるし、遺伝のせいでもある──お前は母親の過去についてどこまで知ってる?」


 歩はかぶりを振った。亜麻色のショートヘアも揺れる。「村から出たがらないし病院にさえ行こうとしないし何かあるとは思ってるけど、詳しくは何も」


「お前の母親はな、人殺しだ」雑野は哀れみをたたえるでもなく、眉一つ動かさずに告げた。「お前が生まれる前、東京で男──おそらくはお前の父親を殺している。だから、警察の目を嫌って山に囲まれた慣れない土地に移住したんだよ」


 あまりのことに愕然とする。わけでもなく歩は、「……そう」とだけささやいた。


「リアクションが薄いな。うすうす察していたか」


「殺人かどうかはわかりませんでしたけど、善くないことをしたんじゃないかっていう考えは昔から頭の片隅にありました」


「そうかよ、お利口なこって」つまらなそうに言うと雑野は、「これについてはほかの殺人ほど強い確信があるわけじゃねぇが」と置いてから更に推理を広げる。「お前、武蔵慶のことも殺したんじゃねぇか」


「殺してないってば。慶に関しては考えるまでもないでしょう? 警察だって赤空市連続猟奇殺人事件に巻き込まれたって言ってるんですから──まさかそれも全部ぼくの仕業だっていうんですか?」


「それはねぇな。

 赤学の二人はともかく、一人目と二人目の被害者とお前に接点はない。当然、狂った愛の対象になることもない。

 それに、お前のやり口は合理性を追求していて、遊び心満載の猟奇殺人とは整合しない。

 したがって、論理的に考えるなら連続猟奇殺人の犯人は別にいると見るべきだ」


「それならどうしてぼくが慶を殺しただなんていうんですか。論理的どころか実際的にもぼくは無関係ですよ」


「だが、そうと覚られずに人を操る術に長けたお前のことを思うと、にわかには飲み込めねぇよ。

 お前にとっては武蔵も殺さなければならない人間だったんだろう? たまたま先に殺された、なんてことあるか?

 それよりも、罪をなすりつけるために模倣したと考えるほうがまだ得心できる──若しくは、連続猟奇殺人の被害者のミッシングリンクを推理して、その条件に当て嵌まるように武蔵にその属性を変えさせたか、だ」


「……ぼくが、慶が狙われるように仕向けたって言いたいんですか?」


 ああ、と雑野はその鋭角な顎を引いた。「栞莉殺しと同時期に赤学の生徒が殺されている以上、赤空市連続猟奇殺人事件についても当然調べた。マスゴミの思惑どおりに動いてるみてぇでしゃくだったが、被害者の共通項、ミッシングリンクも考えた」


「わかったんですか?」


「何となくはな」と雑野は言う。「まず大前提は赤空市に住所のある人間であることだが、これはあえてミッシングリンクに含めなくてもいいだろう。

 問題はそれ以外だ。はっきり言って、それらしい共通項なんて皆無だ。性別も職業も殺され方もバラバラなら、特別、容姿や能力に優れているやつがいるわけでもなければ裕福なわけでもない。逆に無能や貧乏人もいないし、何か障害を持った欠陥人間もいない。特徴らしい特徴なんてどこにも見当たらなかった。

 だがな、お前の命令で普通の女らしく振る舞うようになった武蔵慶が殺されて、脳裏に瞬いたひらめきがあった。

 ──犯人はモブを狙っている。

 言ってしまえば、特別な共通項がないことが共通項だったんだ」


「モブって……」歩は唖然としてつぶやいた。「まるでこの世界が創作物であるみたいに言いますね」


「だとしたらどうする?」雑野はからかうように言う。「お前はゲームプレイヤーを射精させるために作られた十八禁ゲームの美少女ヒロインで、事件もすべて誰かが娯楽のために創ったものだとしたら、お前はどうする?」


「どうもしませんよ、そんなの。神の存在が不可知であるのと一緒ですよ。それを確かめる術がない以上、ぼくらにはどうすることもできません」


「だが、殺しに利用はするってか──いや、それすらもシナリオどおりなのかもしれねぇか」


「オカルト話ならほかでやってください」


 雑野は肩をすくめると、


「ま、いずれにせよ、そのミッシングリンクに気づいたお前は、一か八か試してみた。上手くいけば完全犯罪の成立だ。しかも失敗してもノーダメージ。やらない理由はなかった。

 ただ、武蔵をモブっぽくするだけじゃ犯人の目に留まる可能性は低いはずだ。赤空市の二万人の中にモブっぽいやつが何人いるか知らねぇが、その中から武蔵が選らばれる確率なんて高が知れてる。それなのに、そのはずなのに武蔵は殺された。

 ──なぁ、牛若歩」


「何ですか」


「お前には、赤空市連続猟奇殺人事件の犯人の目星がついてるんじゃねぇか?」


「……そんなわけないですよ」


 雑野の三白眼と歩の赤眼が見合う。わずかな沈黙を交わし、


「そうかい」と雑野は脱力するように答えた。「犯人はお前の生活圏の中にいて、お前はそれに気づいている──その前提があれば、この推理も辛うじて論理の範疇に収まるんだがな」


 ふと、降り注ぐ光を感じた。見上げれば、雲の合間から月が顔を覗かせていた。


「それで」と歩は口を開いた。「その何の証拠もない物語を聞かせて、雑野さんはぼくにどうしてほしいんですか? まさか抱かせろなんて──」


「自首しろ」雑野は冷たく言い放った。


「何もしてないのにどうしてそんなことしなきゃいけないんですか? 警察の人だって暇じゃないんですよ」


「あくまでもしらばっくれるんだな?」目を見て問われた。


 歩が頭のおかしいヤンデレ殺人鬼だと信じて疑っていないことが窺えるまっすぐな瞳だった。

 そんなわけないのに、と歩は不満だった。

 そんなはずはないのだ。到底信じられない。学園に入学した春からずっとにはわかる。牛若歩はそんな子じゃない。寂しがり屋だけど優しくて、スタイルも良くて、とってもかわいい女の子だ。人殺しなんてできるわけないんだ。

 それなのに……それなのにどうして、


「……」


 反論をやめてしまうの? 君の鼓動はそんなにおびえているの?


「そうかよ、よくわかった」雑野は言う。「もういい」


 その顔に悲しみの色を見た気がした──次の瞬間、


 ──バチィッ。


 スパークするような音を聞いたかと思ったらブランコから崩れ落ちて地面に倒れた。首筋に焼けるような痛みを感じる。


「な、なにが……」


 舌の回らない歩を見下ろす影が──二つあった。


「あれ? まだ意識がある」雪のように静かな声──静観知世が言った。


「しぶてぇな」雑野がそれに答える。「もう一発だ」


「わかった」とうなずくと静観は、筋肉が強張って動けない歩の首に黒い塊、おそらくはスタンガンを当てた。


 二回目の電撃が放たれる直前、歩は思った。


 全然気配感じなかった。やっぱりアサシンじゃん。


 そして、歩の意識は闇に沈む。

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