④
「──キスをした相手を殺さずにはいられなくなるんだ」
雑野のその推理を聞いた歩は、心からあきれ果てた。どっからその発想出てきたのさ? 意味わからなすぎ。栞莉の死が彼の心を壊してしまったのだろうか、と哀れみさえ覚えた。
「ええと……」二、三秒、唇を
雑野は至って真剣な表情で答える。
「最も大きなヒントになったのは、酒本清香と小杉啓太の事件だ。警察は小杉が酒本を殺したと考えているようだが、これには少しばかり違和感がある。いじめへ対処してもらえなかったことを恨んで殺すってのは、まぁ理屈は通ってるかもしれねぇが、普通はいじめてるやつらを真っ先に狙うだろうよ。弾数が限られている状況ならなおさらだ。
スマホのこともそうだ。小杉を犯人とすると、わざわざレンチンして酒本のスマホをぶっ壊さなきゃならねぇ状況なんてそうそうないはずなんだ。
それにな、小杉の自殺にも不自然な点はある。
誰も来ない廃墟で自殺するのは、いい。特におかしくはない。犯行を後悔して自殺するっつーのも、まぁわからなくもない。
だが、入り口のドアに施錠したことへの納得のいく説明はどうしてもできなかった。
首吊りとかの時間の掛かるやり方なら、善良な邪魔者に見つかって未遂に終わることを恐れて念のためにそうしたと考えられなくもないが、小杉は拳銃自殺だ、引き金を引く一瞬さえあれば事は済む。密室にする必要なんかなかったはずなんだ。
俺には、悪意を持った誰か──小杉を殺した人間が自殺を演出しようとしているように思えてならなかった。
それなら密室は見せかけのものっつーことになる。何らかのトリックが使われていたはずだ。そう考えた俺は現場を調べた。
──拍子抜けしたね。
あんなのは密室と呼べるようなご大層な代物じゃねぇ。クソうぜぇ面して文壇でふんぞり返ってる天才推理作家気取りの大先生どもでなくても一見してその事実に気づけたぜ?
あの部屋は懸垂下降の技術を持つ人間なら窓のストッパーを外すことで簡単に脱出できる。俺が行った時にはストッパーのネジは回らない状態だったが、それだって密室の完成度を少しも上げちゃいねぇ。同じ環境条件のはずの隣の部屋のネジは普通に回ったことから、ストッパーを戻す時に接着剤の強力なやつを使って〈錆のせいでストッパーは外せない〉と錯覚させようとしたことが明らかだからだ。
──やはり小杉は誰かに殺されたんだ。
そう確信したね。
その推理と、状況や動機に違和感のある酒本殺害を併せて考えると、自ずと答えは導かれる。
酒本殺害はその悪意ある何者かの指示だった──要は、小杉を操っていた黒幕がいるって考えたわけだ」
「それがぼくだっていうんですか?」
「ああ、そうだ」雑野は首肯し、「赤学関係者の連続変死事件には不審な点が多い。一見無関係にも見えるが、俺の脳細胞はそれを否定してやまなかった。これほど事件が集中するのは、あまりにも非現実的だ。偶然と片付けることなんかできなかった。点と点を結びつける何かが必ずある、それを突き止めることができれば小杉殺しの真犯人、ひいては栞莉殺しの真相を解明できるはずだってな」
雑野は、まったく、苦労したぜ、とぼやくように言うと、
「俺は、酒本を殺す動機があって、かつ小杉を思いのままに操れる人物を捜した。
酒本殺害の動機については皆目見当がつかなかったから、まずは殺人ほどのハイリスクな行動を小杉に強要できる人物はどんなやつかを考えた。
最初に浮かんだのは、小杉をいじめてる悪ガキどもだった。
だが、すぐに否定した。せいぜいが痛めつけられたり金を奪われたりするだけのままごと遊びみてぇなぬるいいじめ程度で、その程度の鞭だけで殺人の命令を実行したとするのは無理があるからだ。
だいたい、ガキどもには酒本殺害の動機がねぇ。むしろ、事なかれ主義でいじめを黙認してくれる酒本にはずっと担任でいてもらったほうが都合が良かったはずだ。殺す理由は皆無だ。
そうすっと思いつく候補がいなくなっちまったわけだが、俺は諦めなかった。で、小杉について情報を集めてみた。
すると、実に興味深い話を聞くことができた」
黙する歩から目を離さずに雑野は、小馬鹿にするように頬を歪めて、「小杉の野郎は、お前に懸想していたらしいな」と言った。
「……視線を感じることはありましたけど」
まさかそれが恋情に由来するとは思っていなかった、というのが正直なところだ。全然気づかなかった。
けれど、言われてみればたしかに、と思う歩もいた。小杉の言動は、そういうふうに解釈することもできるのだ。
「あくまで白を切るつもりか」いっそ愉快そうに雑野は、「いい性格してやがるぜ」と皮肉を言う。「とにかくお前は、その恋愛感情と、おそらくは小杉が拳銃をパクったことを利用して彼を奴隷化した。
『言うことを聞かないと拳銃のことをバラす。けれど、従順な奴隷になってくれるならぼくの体を好きにしていい』
こんな感じのことを言ったんだろう? お手本のような飴と鞭だ。さぞ
「……」肯定するでも否定するでもなく歩は口をつぐんでいる。
「お前が小杉を奴隷化できる人間だとわかった俺は、なぜ酒本を殺させたのかを考えはじめた。この問いは栞莉殺しとも共通する。
だが、その答えは
けど、少なくとも兎月、栞莉、酒本、小杉の四人を殺したのはお前だ。こいつらを殺せたのはお前しかいない。それは間違いないとその時点でも確信していた」
「ちょっと待って」今度は、兎月を殺したのも歩だ、と来た。何なんだろうこの目つきの悪い兄ちゃんは。同情しつつも歩は、うんざりしてきていた。「恋町もぼくが殺したんですか?」
くっくっと雑野は喉の奥で笑った。「そのあきれ顔、演技にしてはなかなか真に迫ってるぜ。役者の才能あるんじゃねぇか?」
「恋町の自殺が偽装だっていうんなら、どうやったのか教えてくださいよ。ぼくもそこでつまずいてるんです」
失笑するように、ふっと鼻息を洩らして雑野は、小さく肩をすくめた。
「めんどくせぇよ──だが、いいぜ、付き合ってやる。
まず、旧校舎の窓の鍵を開けたのは兎月だ。恋人であるお前がやらせたんだ。『後で旧校舎に入ってみたいから映画撮影の時にどっかの鍵を開けておいて』とでも言ってな。
で、バイト帰りの兎月をつかまえて旧校舎へ行き、争うことなく自殺に偽装して殺した」
「だからその殺し方を──」歩の言葉は、
「首絞めプレイ」
という雑野の一言に断ち切られた。「俺もたまにやるからわかるんだよ。これな、その気になれば簡単に女を失神させられるんだ。しかも、相手はこっちを信用してるから抵抗もない。せいぜいが、やめてほしいと伝えるために手を軽く叩くくらいだ。絞め落とすのなんて数秒で済むんだから、そんなサイン無視すればいいだけだ。
そう、これもお前にしかできない──恋人であるお前だけが実行できる方法なんだよ。
お前は、屋上に連れ込んだ兎月にそれをやりたいと持ちかけた。そして手早く意識を刈り取ったら、柵にくくったロープを彼女の首に掛けて柵の向こう側へ落とした。単なる飛び降りじゃなくわざわざ一手間加えて首吊りに偽装したのは確実に殺すためだ。その狙いどおり、彼女の細い首に集中した落下の衝撃は、いとも容易く頸骨を破壊し、即死させた、絞首刑みてぇにな。
──納得したか? 牛若歩さんよ」
「理屈はわかったけど……」無論、歩は納得などしていない。
「話、戻すぞ」雑野は、歩の不服を
「間違った推理に拘泥してるからですよ」
ふん、と嗤って雑野は、「つくづく面の皮の厚いガキだな」と感心するように言った。「方法の推理に瑕疵はないと確信していた俺は、だから諦めずに視点を変えてみることにした。各論的考察から総論的考察へ、要はお前と一連の事件の被害者との関係を一覧にして整理してみたんだ。
一人目、兎月恋町とは恋人関係。
二人目、双葉栞莉とは恋人又はセフレ関係。
三人目、酒本清香とは生徒と担任の関係。
四人目、小杉啓太とは肉体関係のある主従関係。
すると、酒本だけが浮いていることが目についた。彼女だけが性的な関係じゃねぇんだ。改めてその事実の違和感に気づかされた」
「誰もがあなたみたいに生徒に手を出すわけじゃないですからね」などと戯れ言めいた当てこすりを歩は返した。
しかし、「うるせぇよ」と軽く流された。「で、ようやくここでさっきのキス云々に話が繋がるわけだ」
そうだった、と思い出した。雑野は歩の動機としてキスを挙げていたのだった──やっぱり意味不明だ。「その、キスがトリガーになってるっていうのは、何でそんな結論に至っちゃったんですか?」
雑野は、おもしろそうでいて実際にはそうでもなさそうに目元を緩めた。「どうしてバレたのかってのを、善意の第三者を装いながら聞こうとするとそういう言い回しになるんだな。流石は成績上位の常連なだけあって国語力もしっかりしてやがる」
「あの、ぼくもいい加減腹が立ってきたんで、あまりふざけないでくれます?」
「おー怖」しかし、言葉とは裏腹におどけるような大げさな仕草。「連続殺人鬼の異常者ににらまれると俺みたいなナードはチビっちまうぜ」
雑野を見据える歩の眉間が隆起する。「……帰っていいですか?」
「俺がそれを許すと思うか?」
「だったら早くしてくださいよ」
薄ら寒い刹那の間を経て、
「──キスが殺人を
答えを期待してのものではないのだろうその問いに、「さぁ?」とおざなりに応じつつも歩は、「──吐いたり寝入ったりですかね」と答えた。
「あの酒カス女な、誰彼構わず唇を押しつけるんだよ。いわゆるキス魔。若くて面がいいからギリギリ許されてはいたが、まぁうぜぇわな。酒くせぇし。
だが、今回ばかりは感謝したぜ。
ふと思い出されたあいつの唇の感触が、答えを教えてくれたんだからな。
要するに、だ。
共通項は〈性的な関係〉だと思われていたが、それでは言葉が足りず、正確には〈キスを交わした関係〉とすべきだったんだ。こう考えると辻褄が合う。
お前と酒本は近くに住んでるらしいな? であれば、泥酔した酒本に出くわしたとしても非現実的とまでは言えねぇ。その時にでもあの女の悪癖の被害に遭ったんだろ?
つーか、それ以外の共通する特徴なんて、赤学の人間っつーことしかなくなる。そうだとしたらもっと早い段階から殺し回ってなきゃおかしいし、被害者がお前と親しい人物に限定されもしないだろう」
「そんなことで……」歩はつぶやいた。「たまたま全員とキスしていてもおかしくない状況だったっていう、たったそれだけのことでぼくを異常殺人鬼と決めつけたんですか? ちょっとひどくないですか」
「たしかにな」反駁されるかと思われたけれど、意外にも雑野はそれを認めた。「たしかにあまりにも浮き世離れした論理だ。それは俺も認める。
それに、お前が真犯人の場合でも、単に通り魔的にキスされただけの関係だったとしたら酒本のスマホを壊してデータを見れないようにした理由は不明なままだ」
「だったら──」
「だから俺は、徹底的にお前を調べ上げた。お前の異常性を傍証する事実が出てくることを願って、学校の成績や交友関係に始まり、生い立ち、食の好み、性癖や体の寸法に至るまで調べ尽くしたんだ」
「……キモ」零れた棘は、むしむしする不快な風がさらっていった。おそらく聞こえてはいない。
「そうして俺は、お前の村で起きた殺人事件にたどり着いたんだ」
「そうですか、よかったですね」
ふと気がつけば、ブランコを握る手に力が入っていた。歩がそれを緩めると、
「驚いたぜ」と雑野は言った。「お前、ガキがいたんだってな」
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