「夏といえば花火だよ! 打ち上げ花火!」


 そんなふうに主張する武蔵は、「花火大会に一緒に行こうよ」と誘ってきた。「花火デートなわけ!」と妙に高揚した様子で、打ち上げ花火をテーマにした少し古いJ-POPを楽しそうに口ずさんでさえいた。


 恋人同士の夏のイベントという点にかけがえのない価値を見出だしているようだった。

 しかし、去年も一緒に見に行った記憶のある歩は、その行為に特別なものは感じていなかった。歩たちの関係性がどうであろうと、地元民でごった返す道路のむさくるしい熱気や夜空に上がる花火のやかましさが変わるわけではないからだ。


 が、嫌ということもない。歩は、「まぁそうだね」とうなずいた。「今年も一緒に行こっか」惰性的でもあったと思う。


「えー、何か興味なさそうなんだけど」


 そんなふうに唇を尖らせる武蔵を、歩は抱いてなだめた。性感帯を愛撫し甘い言葉をささめいてやるとすぐに上機嫌になる、ちょろくてかわいい女なのだ。


 その花火大会の日の朝のことだった、武蔵の死を知ったのは。

 武蔵が勝手に制定した二人のルール──定時連絡LINEが、いつもならおはようのスタンプくらいはあるのに今朝には何もなかった。

 武蔵がそれを犯したのは初めてのことで歩は訝った。彼女からのメッセージが昨日の二十時ごろから途切れていて、こちらが送ったメッセージも未読のままというのも不安を掻き立てた。


 嫌な想像が、馬鹿げた妄想が脳裏をよぎった。

 

 苦しかった。不安が爆発的に膨張して胸を圧迫しているかのようだった。

 その不都合な予感を否定するために理屈をこねようとして、しかしその意思はあっけなく挫かれた。テレビから流れてくる音声が、『本日午前四時ごろ、赤空学園前のバス停で、同学園二年生の武蔵慶さんの遺体が発見されました』と伝えてきたのだ。


 目をやると、彼女の顔写真が映されていた。間違いなく歩の恋人の武蔵慶だった。

 そんな馬鹿な。歩は愕然とした。冗談はよしてくれよ、と。

 しかし、歩のことなどどうでもいいテレビの中の平面的人間は、淡々と続ける。


『遺体は全裸で、腹部は大きく切り開かれており、内臓の多くが摘出されて消えていました。また右耳もなくなっており、警察は赤空市連続猟奇殺人事件と関連がある可能性も視野に入れ、捜査しています』


 またしても歩の大切な人が殺された。その残酷な事実は歩の心を握り潰さんばかりに締めつけた。


 この日の午前中に茶橋桔梗が歩のアパートを訪ねてきた。突然の予期せぬ来客に驚いたものの、ダークグレーのパンツスーツに身を包んだ彼女が、隣に立つ銀縁眼鏡の青年と共に警察手帳を呈示してきて、その訳を察した。

 きっと武蔵のスマートフォンを調べられたのだろう。恋人の歩にも事情を聞こうというのだ。


 桔梗は不憫そうな顔をしていたけれど、瞳の奥に垣間見える眼光は鋭く、歩さえも容疑者たりうると考えていることが察せられた。その証拠に、「──ちなみに、昨夜は何をされていましたか?」とアリバイを尋ねてきた。


「昨日は夕方前に買い物して帰ってきてからはアパートから出ていません。その間はずっと一人だったんでアリバイはないですよ」


「……わかりました」桔梗はそう言うだけで、その顔色に変化はなかった。


 桔梗たちが去ると、部屋に静けさが戻った。心なしか来訪前よりも静寂が濃くなっているように感じた。無音が耳障りだった。







 約束の相手はいなくなってしまったけれど、歩は予定どおり花火を見ていた。

 ただし、場所は予定と違う。武蔵とは花火大会の会場の近くで見ようと約束していたが、歩がいるのはアパートの近所の公園だ。狭いうえに、住宅、あるいはうらぶれた空き家に囲まれていて閉塞感があるが、ここからでも花火は見えなくはない。けっして見やすくはないためか、歩のほかに観客はいない。

 一人孤独にブランコに座っていた。錆も気にせずに鎖を握って上向いている。鉄のひんやりとした硬い冷たさを手のひらに感じる。


 ドォーンと咲いた花火が、夜空を彩り、歩のいる公園を震わせ、パラパラと散り落ちてゆく。


 ドォーン、パラパラ、ドォーン、パラパラ──。


 表情もなく見上げていた。やがてクライマックスの派手な花火が散ると、月光なき夜は不気味な闇に深く沈んだ。

 歩はその何もないはずの青い黒を見つめていた。


 ──ザリッ。


 歩の耳が砂利を踏む音を聞いた。公園に誰かが来たようだった。顔をそちらに向けると、


「よう」歩み寄る雑野がいた。虫の群がる公園灯の淡い光の中、彼はブランコの柵の前で足を止めた。「調子はどうだ?」と気さくに尋ねてくる。


「良くはないかな」今度は歩が尋ねる。「何の用ですか?」


「少し話をしねぇか、事件の話をな」


「事件って、どの事件?」


赤学うちの関係者の事件だよ」雑野の唇の左端が歪に吊り上がった。「──あとは、お前の生まれた村で起きた殺人事件のこともな」


「ぼくの村?──村長の息子が刺された事件のことですか?」


「ああ、そうだ」そして雑野は、「お前、今、『刺された事件』つったか?」と聞き返すなり、はっと鼻で嗤った。「『ぼくが刺し殺した事件』の間違いだろ?」


「……何でそうなるのさ」歩はつぶやくように言い、「あの事件では、ぼくにはアリバイが成立していますよ。村長が証言してくれたんです」


 ふん、と雑野は鼻先であしらい、「それもちゃんと説明してやるからそう慌てんなよ」などと言い、不意に、睨めつけるように三白眼を鋭くさせた。

「なぁ、牛若歩──お前、今まで何人殺してきた?」


「──はぁ? 何ですか、それ。人を殺人鬼みたいに。そんなことしてるわけないでしょう」


 しかし雑野は歩の抗弁などまるで取り合わず、「俺がお前を疑いはじめたのは、栞莉の事件が起きてからだ──何で疑いを向けられたかお前ならわかるだろう?」


 一瞬考え、雑野は歩と栞莉の関係を知ったのか、と思い至った。言い換えると、〈栞莉と特別な関係にあった歩なら双葉姉妹の入れ替わりを伝えられていたはずだ〉〈それなら栞莉を狙って殺すのも訳ないはずだ〉と、彼はこのように論理を組み立てたのだろう──たしかにその推理は正しい。事実、可能ではあった。


「……いつ気づいたんですか」歩は聞いた。


「最初に違和感を感じたのは、これからハメるって時にあいつが突然、『出版社と打ち合わせがあるのを忘れてた』とか言い出して用務員室を飛び出していった時だ。

 栞莉らしくねぇんだよ。あいつは賢い女だ。記憶力もいい。そんなボケババアみてぇなミスはしねぇはずなんだ。何か後ろめたいことでもあんのか、ほかに男でもできたのか、と勘繰りたくもなるさ」


 だが、と雑野は続ける。


「その時は考えすぎかと自嘲して終わりだった。はっきりした根拠もねぇしな──けどよ、それからすぐに栞莉は殺された」ぎりっと切歯せっしする音が聞こえた。「それを聞かされた時、頭ん中に一つの推理が浮かんだ。

 ──やっぱり栞莉は浮気をしていて、その浮気相手と揉めて殺されたんじゃねぇかって推理だ。

 栞莉のスマホが持ち去られていたらしいというのも、その浮気相手が証拠隠滅を図ったのだと考えると納得できた。

 早速、俺は調査を始めた。で、殺される少し前から栞莉とお前が親密になっていたっつー情報を掴んだ。当たりだと思ったね。栞莉を殺した犯人はお前しかいないってな」


「でも、それならどうして今の今までぼくを放置していたんですか? 確信しているなら警察にでも告発すればよかったじゃないですか」


 誰が聞いても挑発と捉えるだろう歩の言葉に、雑野は、「ちっ」と舌を鳴らし、忌ま忌ましそうに答えた。「ああ、そうだよ、お前の思惑どおり証拠を見つけられなかったからだよ。

 それにな、動機もはっきりしなかった。初めは痴情の縺れが動機かと疑ったが、その具体的内容はわからず仕舞いだった。そもそも、聞いた話からは揉めてたようには思えなかった。

 明確な証拠もない。動機も不明。あるのは浮気してたんじゃねぇかっつー疑いだけ。こんなんで行動してもこっちがキチガイ扱いされるだけだ」


「そう思えるなら、自分の推理が間違っているとは考えなかったんですか? 実際、ぼくじゃないわけですし」


「いいや、お前だよ、お前しかいない」雑野の確信は揺るがないようだった。「栞莉殺害の当日、一年のエリアで目撃された朱莉らしき人物、あれもお前が変装した姿だったと考えると辻褄が合う。お前は双葉姉妹と背格好が近い。しかも、一年生に栞莉や朱莉と絡みのあるやつはいなかった。野球部の連中は停学になってたからな。それに、栞莉たちと同じように学園入学と共に赤空に来たお前も同様だった。

 だから、濃いギャルメイクをして胸に詰め物でもすれば、面識のない人間を騙くらかす程度の変装はできる。たとえ早業メイクでも、だ」

 お前らはみんな似たような顔してっからな──つぶやくようにそう言い足してから彼は、更に続ける。

「んで、あの日の昼休みに、栞莉と入れ替わった朱莉のいる文芸部の部室を訪れたのにも、ちゃんと理由があった。

 第一に、自分のアリバイを作ること。第二には、朱莉に疑いの目を向けさせることだ。

 もしも朱莉が犯人なら、一年のエリアで目撃され変装を戻した後、なるべく時間を置かずにほかの人間の視界に入るようにしてアリバイを確保していなければおかしい。わざわざ指の骨を外すなんて仕込みをした意味がなくなるからな。

 だが、その日の朱莉は栞莉に化けていた以上、犯人じゃない彼女の予定では、昼休みは一人で文芸部の部室で過ごすことになっていたはずだ。

 それをされるとお前は困る。朱莉を犯人だと思わせたいのに、彼女の行動に矛盾が生じるからだ。アリバイ工作を不完全なままにするっつー矛盾がな」


「だからぼくが自分から文芸部の部室へ行った、と? たまたま絶妙なタイミングにぼくが訪ねてきたおかげで部室から出るまでもなくアリバイ工作が完成したのだ──こんなふうに周りに思わせるために?」歩はあきれていた。


「そうだ」雑野の首肯は力強かった。


「『そうだ』って……」歩は溜め息まじりに言う。「それも言いがかりですよ。愛する人が殺されて怒りの矛先を向ける相手を何とか作り出したい気持ちはよくわかりますけど、でもぼくはそんなことしてないですよ。だいたい、栞莉を殺す動機がないですって」


「そうだな、俺も初めはそう思ってたよ。

 だが、赤学関係者の一連の変死事件の調査を続けるうちにひらめいたんだ。突拍子もない理屈だったが、それならすべてに説明がつく」


 悪寒が背筋を駆け上がり肌が粟立つのを歩は感じた。


 そして、雑野は言う。「牛若歩、お前は──」

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