②
『最初の被害者は黒雲町在住の六十代の男性、二人目は霧雨町の大学生の女性、そして先日おいしそうな挽き肉にされた赤空学園の女子生徒──彼らが選ばれた理由は何なのでしょうか? わたしなどには共通点があるとは思えないのですが』
例の地元出身の女子アナが、有識者という立場で椅子に座っている、口の曲がった傲慢そうな中年男に質問を投げかけた。
番組としては、被害者の共通点、すなわちミッシングリンクについて議論したいのだろう。現実の事件をホワイダニットミステリーとしてエンタメ化しているのだ。だから、模倣犯の可能性には不自然なほど言及しない。
その中年男──誰も知らないような私立大学で犯罪心理学を教えているらしい──が、もったいをつけるように厚い唇を開いた。
『思うに、被害者に共通点などないのでしょうな』
番組の求めている回答が貰えなかった女子アナは、愛想笑いの頬をぴくつかせた。しかし、これは生放送、『というと?』と会話を続けざるを得ない。
『犯人にとっては、思う存分、人体破壊行為を堪能できさえすれば相手は誰でもいいのですよ。そこに殺せる人間がいた、だから殺した──ただそれだけのことです。
殺し方が定まらないのも、その享楽的無軌道性ゆえ。ただ気の向くままに殺しているからですな。
山を見たら登らずにはいられない登山家みたいにね、人間がいたら殺さずにはおれん
『では、右耳が切り取られていたのはなぜですか? これは明らかに意図的なルーティーンです。その「享楽的無軌道性」というのとは相容れないのではないでしょうか』
『いいえ、矛盾などしていないですよ。そのような人種でも記念品を欲することはあるのです。
過去に交際していた女の裸体画像をコレクションしている男がいるでしょう? それと似たようなものです。彼らはしばしば思い出に浸って自慰行為に耽ったりするのですが、犯人も同じです。
刃を人体に潜り込ませる感触を思っては勃起し、必死に命乞いする被害者を無慈悲に殺す瞬間を思っては悦に入り、完全に物体となった元人間の濁った眼球を思っては射精する──こういったお楽しみをサポートするのに最適なアイテムが、記憶を喚起する記念品であり、今回の場合は右耳なのです』
『なるほど、つまり犯人は男性であるとおっしゃるのですね?』
『わたしはそんなことは言っていませんが。勃起云々はただの比喩的表現ですよ?』そこで中年男は、にやりと嫌らしく口角を吊り上げた。『そんなことも理解できないということは、あなたにとって殺人の瞬間を思い出して性的快感を得るというのは、ごく一般的なことのようですな──いや、たいへん結構なことです。すばらしいですよ』
女子アナは頬を含羞に染めて、『い、いえ、けっしてそのようなことは──』
歩はテレビから視線を外した。そして、
「この女子アナ、かわいいけど何か怖いよね」
と洋風座卓に座って頬杖を突く武蔵に尋ねた。
「そう?」手のひらから少しだけ顔を浮かせると武蔵は、共感しかねるように語尾を疑問形にして言った。「怖いってことはないわけ」
夏休みに入り時間のある二人は、歩のアパートでだらけていた。
ひんやりとした冷房の風に包まれる二人は、夏らしい装いをしている。歩はタンクトップに短パンという格好で、武蔵はクラシカルな印象の、襟にリボンの付いた薄い若草色のワンピースを着ていた。
「正直に言うと、女の子らしくしてくれたほうがうれしいかな」と歩が言ったからだった。
おそらくは個性を演出するためにボーイッシュな格好を基本としていてスカートの類いはあまり穿かない武蔵だったけれど、歩が望むならとあっさりと方針を切り替えた。
のみならず、「話し方も変えたほうがいいよね?」という武蔵の問いに、「できれば」と歩がうなずくと、彼女は普通の女の子の口調にしようと努力もしはじめた。長年の癖であるためかしばしばボロが出るけれど、がんばってくれていた。
武蔵がここまでするのはルックスにしろ人気にしろ自分のほうがずっと格下だと思っているからだろう、と歩は推測していた。これが格差カップルの闇か、と戦慄したりもした。
「ねぇえ、それよりさぁ」周りにとっては聞き慣れない、そして本人にとっては言い慣れないであろう女言葉で武蔵は、険の旋律を奏でる。「あんまり、その、ほかの女のこと褒めないでよ」
褒めたっけ? と発言を振り返り──ああ、かわいいってやつね、と理解する。「ごめんね」と口にしつつも、「でも、ぼくらとまったく接点のないテレビの中の住人だよ? 今後関わることもないだろうし、そんなに気にしなくてもよくない?」
「よくないわけ!」
そんなふうに言下に否定する武蔵は、相当に嫉妬深い性格をしているようだった。必然、束縛も強い。それは自信のなさの裏返しなのだろう。そう思うとかわいく思えてくる。
歩はほほえみ、少し日に焼けた武蔵の手首を取った。
すると武蔵も察して腰を浮かせ、歩のほうへにじり寄り、「好きー」と言って抱きついてくる。
歩も好きって言って、と言われる前に、「ぼくも好きだよ」と伝えた。
満足したように、えへへ、とだらしなく頬を緩めると武蔵は、露出した歩の鎖骨に口づけをした。ちゅ、ちゅ、とくすぐったい啄みが首を上がってくる。
やがて歩の唇にたどり着いた時には、武蔵の頬は赤く染まり、瞳は淫靡な期待に濡れていた。
彼女の腰に回されていた歩の手が、女性的な丸みを帯びた尻たぶのほうへ擦り下りていく。
──んっ。
一段落すると歩は、汗ばんだ裸体をシングルベッドで寄せ合いながらも、フローリングに直置きされた置時計に目をやった。午後四時半を過ぎていた。運動(?)したからか空腹を感じていた。
どうしたの? というように武蔵の目が歩を見た。
ううん、何でもないよ、というように歩は彼女の頭を撫でた。
武蔵の目元がふにゃっと柔らかく綻んだ。えへへ、とうれしそうにしている。
かわいいな、と思う。従順に、献身的に尽くしてくれるし、最高の彼女だとも思う。
ただ、心から武蔵を愛することはできていなかった。
心にまつわりつく懸念、あるいは疑念がそうさせていたのだ。その内容は、
──一連の事件は武蔵が起こしたのではないか?
というものだ。根拠薄弱で推理とも呼べない推理だとは思うけれど、しかし武蔵には動機がある。
強い強い嫉妬心だ。
告白の台詞から窺えた武蔵の本心は、嫉妬の炎で黒く燃えていた。兎月も栞莉も酒本も、ときどき話すことがあるというだけの関係の小杉でさえも敵愾心の対象になっていた。
やはり彼女の嫉妬深さはかなりのものだ。
この分では、少し話しただけで敵認定されかねない。それは取りも直さず、お団子ちゃんすらも〈死んでほしいやつリスト〉入りしていた可能性があるということだ。
──犯行の方法はわからないが、お前には動機がある。だから、お前が犯人だ。
こんな推理では探偵役は務まらない。
そんなミステリーを見せられたら歩はキレる。とまではいかずとも、ネットで辛辣レビューを綴りたくはなるかもしれない。
──こんなのは本格ミステリじゃない。唐突に双子を出してきた某アンフェア作品や一見して右脳タイプの人間が書いたとわかる論理性の破綻したど下手パズラー、くだらないヒューマンドラマや気色悪いキャラクター描写にばかり紙幅を割くなんちゃって本格ミステリ、こういった駄文と同レベルの、本格ミステリへの冒涜を主とした醜悪なるゴミである。
といった具合である。
したがって、武蔵への嫌疑も言いがかりのようなものであり、そういう目で見るべきではないと理屈では理解している。
しかし、心というものは理屈では制御しきれない。どうしても歩は、武蔵への恋心にブレーキを掛けてしまうのだった。
そんな状態でも武蔵との交わりに、その粘膜の温かなぬめりに癒やされてしまう歩も、やはりくだらない人間なのだろう。
と、感傷的な自虐を嗤うように、きゅぅと小さく腹が鳴った。
歩は口を開く。「ねぇ、お腹空かない?」
「わたしもちょうど何か食べたいと思ってたわけ」すぐに追従めいた首肯が返ってきた。「何か作ろうか?」
「いや」と歩はおざなりにそれをいなし、「外に食べに行こう」
そうして歩は、武蔵を連れ立って〈羊たちのまどろみ〉へ向かった。彼女は当然のように腕を絡めてくる。
まだ暑いのにな。
武蔵が殺された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます