第四章

 夏休みが目前に控える七月二十二日(月)の朝、歩は体育館にいた。歩だけではない。全校生徒が体育座りで学園長の話──〈残念なお知らせ〉を聞いている。生徒たちの顔には、夏の計画に浮き立つ色は皆無で、困惑や恐怖がにじんでいた。

 それもむべなること。またしても赤空学園の生徒が殺されたのだ。

 今回に限って言えば、歩とはほとんど親交のない人物だった。以前、静観のことを教えてくれたお団子ヘアの女子が、そうだ。

 彼女は、少し前から赤空市を騒がせている連続猟奇殺人事件──右耳を切り取られるあの事件だ──の標的になってしまったようなのだ。

 今回はバラバラにされていた。細かく細かく切り刻まれ、ごみ袋に詰め込まれて公園に放置されていたのを登校途中の小学生が見つけた。当然、お団子ちゃんの顔はもはや存在せず、身元確認は歯の治療痕から行われたらしかった。

 死体を回収した警察によると、右耳がなくなっていたという。

 その事実を聞きつけたメディアは、真相はどうあれ、赤空市連続猟奇殺人事件の新たな被害者が出た! と嬉々として騒ぎ立てた。

 とはいえ、これほどの残虐性を持った人間が滅多にいるわけはないのだから、同一犯によるものと考えるのは自然なことだろう。歩もメディアと同じ意見だった。

 

 ステージで彼女の死を語る学園長にも、どこか飄々としたいつもの鷹揚さはなかった。流石の彼もわずか二箇月の短期間にこうも連続して学園関係者が変死したとなると、平常心ではいられないのだろう。


 これで何人目だったっけ。

 歩はぼんやりと思考する。

 兎月恋町、双葉栞莉、酒本清香、小杉啓太、そしてお団子ヘアの彼女。五人だ。五人も亡くなっている。ありえない。何だこれは。歩は当惑していた。

 命の重みがわからなくなりそうな不安に苛まれながらも思考はいまだ空中分解せず、なぜ、と問う。

 酒本と小杉の事件を除くとそれぞれの事件に関係はないように思う。というか、ない。はず。

 けれど、これだけ続くと何かあるのではないか、と考えずにはいられない。

 そういえば、と思い出す。朱莉もそんなことを言っていたな。

 しかし、その推測には明確な根拠がない。ただの直感、憶測の類いにすぎない。

 事件を結びつける何かとは、いったい何なの?

 そんなものがあるなら誰か教えてよ。

 神に願う。少しくらいネタバレしてくれてもいいのに、と。

 もしそれが許されないのなら──あなたが死ね。







 毒突いたところで心は軽くならない。それはわかっている。それでも、人は呪う。

 底なしの泥沼に沈んでいくような心地だった。呼吸を妨げるものなど何もないのに、息が苦しいと錯覚してしまう。強い喪失感が喉につかえているのだ。掻きむしりたい衝動に駆られもする。

 

 寂しい。


 そんな、快適とは言いがたい状態でも時は変わらずに流れていき、気づけば授業はすべて終わっていた。内容は記憶にない──別にいいけれど。


 学園を出て、田んぼに囲まれた鋪道を歩く。隣には武蔵がいる。


「みんな、どんどんいなくなっていくね。どうなってるんだろうね、本当にどうしてこんなことに」うつむきがちに視線をさ迷わせながら歩は、力なく洩らした。


「……」武蔵からの返事はない。


 いつもならすぐに返ってくるのにどうしたのだろうか。歩は顔を上げて武蔵を見た。するとようやく、「さぁな、オイラにはわからないわけ」と答えた。


 怪訝に思うけれど問い詰めはせず、しかし楽しくおしゃべりするでもなく沈黙のままただ歩く。

 そうして住宅街に入り学園の校舎が見えなくなったころ、不意に武蔵から自嘲的な笑い声が聞こえた。「はは、駄目だ、やっぱりオイラは半端者なわけ」

 

 な、何だ急に? 歩は顔を向けた。「どうしたの」


 すると、武蔵はどこか清やかな面差しで、「ごめん、歩、正直オイラは都合がいいって思っちまうんだ」


「……」歩は黙している。


「もう気づいてるんだろ? オイラはお前が好きなんだ。ずっと好きだった。

 兎月と付き合い出したって聞いた時は、あんな女、死ねばいいって呪った。最低だろ? でも、それが紛れもない本音だった。

 そんで兎月が自殺したって聞いた時は……うれしかった。めちゃくちゃうれしかったんだ。これはチャンスだって思ったわけ。恋人を失って傷ついてるお前なら、上手くやればオイラみたいな何の取り柄もないモブでもものにできるんじゃねぇかってな。

 だから、お前の悲しみに寄り添うふりをするために探偵ごっこを始めたわけ。それなのにお前は、オイラじゃなくて栞莉と深い仲になりやがったよな? 今まで仲良くやってきたオイラじゃなくてほとんど絡みのなかった根暗女を選んだ。

 オイラが気づいてないとでも思ったか? これでもいつもお前を見てたんだ。気づかないわけがないわけ。

 でも、あの女も殺されてくれた。なぜか突然お前に色目を使うようになった酒本も、キモい目でお前を見てた小杉も死んでくれた。殺されてくれた。最高だった。こんなにうれしいことはないわけ。神の存在なんて信じてないけど、邪魔者が死んだ時だけは感謝してた。殺してくれてありがとうごさいますってな。

 ──なぁ、これって運命だと思わねぇか?」


 あまりのことに歩の頭はフリーズしていた。いつの間にか歩みも止めて立ち尽くしてもいた。閉口したまま武蔵を見つめている。

 武蔵は──声もなく笑っていた。狂ったような笑み。しかし、その歪んだ双眸の奥に理性の光が潜んでいるように見えた。

 

 開いた唇を一度閉じ、それから歩は言葉を絞り出すようにして、「どうして」と尋ねた。「どうして正直に打ち明けちゃったのさ。傷心に付け入りたいなら優しい顔してればいいのに」


「だから言ったわけ、オイラは半端者だって。クズになりきれなかったんだよ。好きな人に嘘をつきつづける自分が許せなかったわけ」


 歩の眉間に苦笑めいたしわが寄る。「馬鹿だよね、慶って」


「うるさいわけ」と武蔵は照れ隠しでもするように朱唇を尖らせて顔を背けた。


 ──わぁー! きゃー!


 小学生だろうか、甲高くはしゃいだ子供の声が聞こえてきた。それは疾風にさらわれて青い空へと消えていく。

 突然吹いたその強風に思わずといった様子で武蔵は、を押さえた。バタバタとはためかせてから、風はやんだ。

 武蔵は乱れた髪──長めの黒髪ボブ──を手櫛で雑に直すと、意を決したように歩の朱い瞳を見据え、口を開いた。

 

「なぁ歩、オイラを彼女にしてくれよ──いや、わたしって言ったほうがいいか?」武蔵は、無意識だろうか、身を乗り出すように一歩こちらに歩み寄り、必死な顔で、「お前がもっと女らしくしろって言うならそうする。言葉遣いも服装もメイクもお前好みに変える。お前の言うことなら何でもする。どんなエロいことだって喜んでやるし、犯罪だって……人殺しだって──やる」彼女は祈るような面持ちで、答えないでいる歩の手を握り、潤んだ哀切とすがるような媚を多分に含んだ上目遣いに赤の瞳を見つめ、「だから」と声を高くする。「歩もオイラを好きになってくれよ──あ、やべ、間違ったわけ。『歩もわたしを好きになってよ、お願い』だった」

 

 歩は微笑の音を鳴らした。「やっぱり馬鹿だよね、慶って。話し方も変だし、現代じゃ誤解されかねない古くさい言葉も使うし──言わなきゃいいことも言っちゃうしさ、すごく馬鹿」


 うっせー、馬鹿馬鹿言うな、と抗議の声を上げる武蔵の頭を、髪を梳くように撫でる。と、すんと静かになった。そのまま黒髪を弄ぶも、彼女はくすぐったそうにはにかむだけで、されるがまま。

 

 たしかに絶世の美少女というわけではないけれど、こうして見ると愛嬌があってかわいいな。


 なんて割と失礼なことを歩が思った次の瞬間、

 

 ──ちゅっ。


 武蔵はいやに敏活な動きで歩の唇を掠め取ってしまった。

 

 目を丸くする歩に、へへ、と悪戯な笑みを見せると武蔵は、「ちゅーしちゃったわけ」とうれしそうに、あるいはしたたかな小悪魔のようにささやいた。


 二度目のキスはどちらからともなく。

 重ねた唇の甘い熱は寂しさを解かしてゆく。

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