⑤
突如として開かれた全校集会で〈残念なお知らせ〉を伝えられたのは、栞莉と交わり、そして小杉と話したあの夜から二週間後──六月二十日(木)の朝だった。
殺されたらしいのだ。小杉が、ではない。栞莉が、だ。
その事実を聞かされた瞬間、ハンマーで頭をフルスイグされたかのような衝撃を感じ、ひどいめまいがした。
浅黒い禿げ頭の学園長によると、栞莉は昨日の昼ごろに野球部の部室内で何者かに撲殺されたという。
どうして、が脳内でリフレインする。どうして栞莉が殺されなきゃいけないんだ。
怒り、悔しさ、悲しみ、そういった負の感情がふつふつと湧き上がってくる。しかし、それをぶつけるべき相手はわからない。
いったい誰が……。
教室に戻ると、疲弊した顔の酒本が、「ええ、まぁいろいろと大変だとは思いますが、授業は通常どおり行います」と言った。
ブーイングは起こらなかった。そう言った本人が一番大変そうだったからだろう。
二十五歳にして初めて受け持ったクラスで自殺者が出たかと思ったら、ほとんど間を置かずして隣のクラスの生徒が殺される──これはそうとう応えたのではないか。警察や親の対応という実際的な問題もあるだろう。
その推測を裏付けるように酒本は、今にも転職サイトに登録しそうな重くて太い溜め息をついた。
昼休みになると、隣の朱莉の席に武蔵がどっかと腰を下ろした。
朱莉は今日は休んでいる。栞莉の内心はともかく、朱莉からすると仲の良かった姉が殺されたのだ、参ってしまうのも無理もないことだろう。
武蔵はイチゴオレの紙パックにぶすりとストローを刺し、そしていきなり、「今回の事件の肝は──」と始めた。「殺害時に双葉姉妹が入れ替わっていたってことなわけ」武蔵はこの事件も調査するつもりなのかもしれない。「この事実が何を意味するか、お前ならわかるよな?」などと言ってくる。
「……犯人の狙いが栞莉だったのだとしたら、双葉姉妹を見分けられる人物の犯行ということになる」
武蔵は我が意を得たりとばかりに、うむ、とうなずいた。「はっきり言って、学園の人間にあいつらの入れ替わりを見破るのは不可能なわけ──ただ一人を除いてな」
歩は顔を寄せて声を潜め、「朱莉がやったって言いたいの?」
「オイラだって疑いたいわけじゃないよ? でも、そう考えると状況に説明がつくわけ」
「通り魔的な殺人とか、双葉姉妹のどちらでもよかったって場合もあるでしょ」
「可能性はなくはないかもだけど、そんな突飛な状況よりは、腹の底では姉を憎悪していた妹が、とうとうその激情を抑えきれなくなって殺しちまったっていう血みどろ姉妹喧嘩パターンのほうがずっと現実的なわけ」
栞莉は朱莉へのコンプレックスに苛まれていた。もしかしたら朱莉のほうも似たような黒い感情を抱えていたのかもしれない──たしかにそんなふうにも考えられるけれど、
「その『腹の底では姉を憎悪していた』ってところの根拠は?」歩は尋ねた。
「それも含めて今日から調べるんだよ」
「……慶は探偵にでもなりたいの?」
「
「
「もじゃぼさ頭はアカンと思うわけ」
「あ、そう」
何かしていたほうが気が紛れるだろう。歩は了承すると、タッパー弁当を開けた。
さて、まずは朱莉について聞き込み捜査でもしようか、と武蔵と話している放課後のことだった。部活やらに向かう生徒たちの流れに逆らうように、見慣れぬスーツ姿の男が二人、教室の中を窺うようにしながらドアを叩いた。
何だ? と残っているクラスメイトの耳目がそちらに集まる。
スーツ姿の片割れ、青年と呼べる年齢のほうが口を開いた。「牛若歩さんはいらっしゃいますか?」慇懃無礼というような高慢さがちらつく嫌な声色だった。
何さ、と若干不機嫌に思う。しかし、舐めた態度の大人にはとりあえず唾を吐いておけ! というようなキレッキレな反骨心など持ち合わせていない。歩は手を挙げて、「ぼくですけど」
すると男たちは、「失礼します」と言って教室に闖入してきた。目の前まで来ると、懐から取り出した警察手帳らしきものを呈示し名乗った。赤空署と県警本部の刑事のバディのようだった。
「双葉栞莉さんの事件についてお話を伺いたい」青年が言った。
「はぁ、それは構いませんけど」と答えると歩は、人けのない廊下の端に連行された。武蔵は教室に置き去りである。「──で、何を答えればいいんですか?」
「昨日のお昼休みの行動についてです」メモ帳とボールペンを取り出して青年は言った。「あなたは昨日の昼ごろ文芸部の部室を訪れたそうですが、これは事実ですか」
「事実ですよ」
もう一人の刑事──ごま塩頭の初老の男は観察に徹する心算なのか、黙して
「訪れた目的は何ですか」青年は質問を重ねる。
「文芸部には歴代の部員たちが残していった本がたくさんあるんです。以前栞莉さんから聞いていたのですけど、その中にぼくが前から探していた本があって、それを借りに行ったんです」
「それは何時ごろでしたか」
「ええと……」と視線を左上にやり、髪ぐらいなら容れられる程度の間の後、再び男たちを見据えて歩は、「部屋に入った時に壁掛け時計をちらっと見たんですけど、たしか一時十分ぐらいだったと思います。それから予鈴が鳴るまで話していました。そして、一緒に部室を出て教室へ向かいました。ですので、在室していたのは午後一時十分から二十五分までですね」
「本を借りるだけなのに、なぜ十五分も話していたのですか」
「クラスメイトが自殺した事件について意見を求めたからです──ご存じでしょう? 兎月恋町の件です。彼女の自殺は不可解です。彼女を知る者は誰も納得していません。誰かの悪意が絡んでいるのでないかと疑っているんです。
双葉姉妹はどちらも成績優秀で、昨日の栞莉さんが本物であろうと変装した朱莉さんであろうとぼくには思いつかないような穿った推理を聞けるかもしれないと、本を受け取った時にふと思い立ったんです」
入れ替わりについて知らなかったふうに話しているけれど、これは真っ赤な嘘である。なぜなら、入れ替わりがある日は、隣の朱莉の席に何食わぬ顔で座った栞莉がこっそりとそれを教えてくれていたからだ。
なお二人とも成績優秀というのは本当で、つまり朱莉は勉強もできるスーパーな美少女ギャルということである。
「なるほど」青年は小さく顎を引いて応じたけれど、好意的な感情は窺えなかった。素人がプロの仕事にケチをつけるな、とでも思っているのかもしれない。
「何かいい意見は聞けたのか」不意に投げかけられた、すごみのある低い声は、ごま塩頭の男のものだった。
「いいえ」歩はかぶりを振った。「要約すると、動機は不明だが自殺とするのが妥当、とのことでした──警察と同じ結論しか出てきませんでした」
「そうか、残念だったな」皮肉とも取れる言葉だったけれど、裏腹に、ごま塩頭の声音は優しげだった。憐憫の調べさえ含まれていたかもしれない。
そしてごま塩頭と青年は視線を見交わし、朱莉の証言と矛盾しないことを確認できて満足したのか、小さくうなずき合った。
「あの、これってアリバイ調べってやつですよね?」歩は尋ねた。「疑われているのは朱莉さんなんですか?」
青年の額に苛立ちのしわが刻まれた。「それは教えられな──」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか」ごま塩頭がなだめるように青年の言葉を遮った。「少しぐらい構いやしねぇよ」そして歩に顔を向け、「あんたが想像しているとおりだ。俺たちは、妹の双葉朱莉を重要参考人とみなして動いている──だが、今のあんたの証言で双葉朱莉にもアリバイが成立した」
「……死亡推定時刻はいつなんですか」
踏み込みすぎてしまったのか、青年は肩をそびやかして、「おいっ、あまり調子に乗るなよ!」と声を強くした。
が、片手を上げて彼を制したごま塩頭が、「午後一時から午後三時までだよ」と教えてくれる。
午後の授業開始時刻の一時三十分から掃除の終わる午後四時ごろまでは基本的に人といるのだから、一時から一時三十分までのアリバイが成立すれば朱莉の容疑は晴れるというわけか──ん、あれ? 歩は空白の十分があることに気づいた。
「ぼくの証言では午後一時から一時十分まではカバーできてないですけど、その時間のアリバイ証言はもうあるんですか?」
「ないな」ごま塩頭はあっけらかんと答えた。「だが、文芸部の部室と現場との位置関係と遺体の状態から見て、たったの十分で犯行を完遂するのは不可能なんだよ」
つまり、時間の掛かる殺害方法だったということか。「バラバラ殺人とかだったんですか」歩は尋ねた。
ふ、とごま塩頭は鼻息で笑った。「なかなか賢いガキだな。バラバラ殺人じゃねぇが、その考え方で正解だ──ガイシャはバットで撲殺された後、手足の指の関節をすべて外されていたんだよ」
「……」歩は閉口した。なぜそんなことを。意味がわからない。死体蹴りはマナー違反だとネットで教わらなかったのだろうか。
「今度はこっちから質問してもいいか?」どこかおどけるようなひょうきんな表情でごま塩頭が、ナンセンスなことを聞いてきた。
「ええ、それはもちろん」と答えるよりほかはないのだから。
「俺たちは双子の入れ替わりを看破できるやつの犯行だとにらんでいる。しかし、双子の妹にも両親にもアリバイが成立したとなると、情けねぇ話だが、手詰まりになっちまう──」ごま塩頭はしかつめらしい顔つきになり、「そういうやつに心当たりはねぇか?」じぃっと歩を見る。
そんな人いるだろうか。あの、顔や体どころか声さえも瓜二つの双子が、その優秀な能力を駆使して全力で変装しているのを見破れる人物……あっ。
すぐに思い当たった。雑野だ。彼ならば、歩と同じようにその都度、栞莉から入れ替わっていることを教えられていても不思議ではない。栞莉からすれば、万が一の取り違えがあってはたまらないからだ。雑野としても目の前の少女が恋人か否かわからないと困るだろう。
けれど言っていいものか、と思う。
こうして聞いてきたということは、警察は雑野との関係については知らないのだろう。
栞莉は、念には念を入れて一般人が使用できる中で最も秘匿性が高いとされるメッセージアプリで連絡を取っている、と言っていた。発覚防止のためだ。当然そのアプリには、運営企業からも見られないようにするエンドツーエンド暗号化機能やメッセージなどを自動的に削除する機能も備わっている。
とはいえ、端末があればデータが復元できる可能性は残るはずだ。ということは、いまだ復元作業の途中か、あるいは犯人が栞莉のスマホを持ち去ったか──ごま塩頭の「手詰まりになっちまう」という言葉が本当なら後者の可能性が高い。
もしそうであれば、歩と栞莉の関係に警察が気づくこともないはずだ。歩たちも、雑野に伝わる可能性を低くするために同じアプリを使用していたからだ。
栞莉は雑野を深く愛していた。彼に迷惑を掛けることを何よりも恐れていた。
今ここでそれを警察に伝えてしまうと、栞莉の遺志に反して雑野は職を失ってしまうかもしれない。
その遺志を
「……ごめんなさい」歩は眉尻を下げて答える。「わからないです」
とはいっても、警察はすべて把握したうえで歩を試しているという可能性もある。
「……」ごま塩頭は発言の真偽を見極めるようにまんじりと歩から視線を外さない。
息の詰まるような張りつめた沈黙が場を満たすも──不意に弛緩した。
「そうか、じゃあ仕方ねぇな。何か思い出したら教えてくれや」と、ざらついた声。
ごま塩頭は仏頂顔の青年を引き連れて去っていった。
はぁ。彼らの姿が見えなくなると歩は息をついた。怖。
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