【ヒント④】

 念のため断っておくが、本作には、心が読める、触れずに物を動かせる、瞬間移動ができる、などといった超能力を持つ人間は存在しないし、それらを実現する科学技術も存在しない。




◆◆◆




 独善的で傲慢なヒトの手により仕立てられた盲目的に従順な血の通った愛玩動物ぬいぐるみのように武蔵は、教室で歩を待っていてくれた。歩に気づくとスマホから目線を上げ、「おう、どうだったわけ?」


「うん、それがね──」


 歩は、ほかならぬ自身の証言により朱莉にアリバイが成立していることを説明した。朱莉は犯人じゃないよ、と。


「ほーん?」武蔵は首を傾けて考える顔になり、ぶつぶつとつぶやく。「──でも、ほかに入れ替わりを見破れるやつはいないんだよな……。じゃあ歩の言うように通り魔殺人? けどなぁ、そんなことあるわけぇ?」


 歩は自分や雑野のこと──栞莉との特別な関係については言わなかった。

 しかし、どういう思考をたどったのか、武蔵は、はっとしたように目を見開くと、


「もしかして雑野が犯人なんじゃ……?!」


「何でさ?」


「雑野は、兎月の件で美少女を殺す喜びに目覚めたわけ。で、一箇月近く経って冷却期間はもう十分だと判断したは、猟奇的欲望を解放して次の獲物を狩った──間違いない。あの人相ならやりかねないってオイラの中の名探偵が言ってるわけ」


「うん、それ、絶対名探偵じゃないし、『しゃつめ』なんて使う人初めて見たんだけど。無駄に語彙力あるよね」


「まま、いいじゃねぇか。とりま、雑野のアリバイを調べてみるわけ」


 というわけで、用務員室へ行き、運よく在室していた雑野に尋ねてみた──恋人を殺された挙げ句、その嫌疑を掛けられる男の気持ちを想像すると、胸がきゅっとする心地がしたけれど──ところ、


「昼はここで一人だったし、午後の仕事も一人でやってたからアリバイなんてねぇよ。文句あんのか?」と返ってきた。「──つーかよ、何で俺は疑われてんだ? 殺されたガキとは何の関係もないはずだが?」


 鬱陶しそうな長い前髪の隙間から覗く雑野の三白眼は、心底から不思議そうにこちらを見据えていた。なかなかの役者だ。嘘のにおいがまったくしない。


 武蔵はひるむ様子もなく見返して、しれっと、「死亡推定時刻に自由に単独行動できたとおぼしき人物だからっすよ。やろうと思えばできた人物を当たってるわけっす」


 こちらも負けず劣らずの嘘つきのようだ。そして、何も知らないふりをしている歩も同類だ。

 どこもかしこも嘘つきだらけ。それが世の常だと理解してはいるけれど、何て寂しく悲しい世界だろうと嘆きたくもなる。憂き世とはよく言ったものだ。


「そうかよ」雑野は不貞腐れるように言った。







 ──ちりんちりん。

 

 聞き慣れたドアベルの音に安心感を覚える。

 事件のせいで陸上部の練習が休みになった武蔵と共に〈羊たちのまどろみ〉に来たのだ。

 歩は、黒いエプロンをしたリコが寄ってきて、いつもの、距離感のバグった接客をしてくるかな、と期待するでもなく期待していたのだけれど、それは容易く裏切られた。


「いらっしゃいませ」と応対に出てきたのは、紳也の妻で、赤空署の刑事でもある茶橋桔梗だった。大和撫子というのだろうか、しとやかな物腰に夜会巻きにした黒髪がよく映え、成熟した濃密な色香が漂っている。エプロンじゃなくて着物なら完璧だったかもしれない。「二名様ですね、テーブル席でよろしいでしょうか」


 店は相も変わらず空いていて経営が危ぶまれるけれど、落ち着いてゆっくりできるので近視眼的には好ましい。特にメンタルに来ている時には。


 歩たちをテーブル席へと案内すると桔梗は、「お疲れのようですね」といたわりの言葉をくれた。栞莉の事件のことを言っているのだろう。


 歩はうつむきがちにテーブルの木目を眺めながら、「被害者の子は友達だったんです」と静かな口調で言う。「恋人が自殺をしたと思ったら今度は友達が殺される──こんなのおかしいですよ。どうしてこんなことになったのか、どうしたらいいのか全然わからなくて……」


「それはおつらいですね」桔梗はしっとりとした憐憫の色を浮かべた。


 武蔵も口を開く。「桔梗さんは刑事さんなんすよね? ちょっと聞いてもいいすか?」


 桔梗は、あら、というふうに小首をかしげた。「答えられるかはわかりませんが──何でしょうか?」


 あざす。武蔵は軽薄な謝辞を述べ、「状況的に被害者の双葉栞莉だけを狙った犯行とは考えにくいんすよ。そういう感じにざっくりとターゲットの範囲を決めてる殺人っていうのは、どの程度あるんすか?」


 桔梗は困ったように眉をハの字にした。「難しいことをお聞きになりますね。……そうですね、通り魔殺人という意味なら稀にあるかなといった頻度ですが、例えば少女なら誰でもいいといった殺人となると……非常に稀でしょうか。ただし、若年者への強姦の過程で勢い余って、又はその告訴を防ぐために殺害するということでしたら、しばしばありますね」


「確率は低いけど実際にもなくはないってことっすよね?」と確認するように問うた武蔵は、現役刑事の言質によって雑野犯人説を補強したいのかもしれない。


「ええ、まぁそうなりますね」一拍空けて桔梗は言う。「──被害者の方は双子でしたね。しかも入れ替わっていたとなると随分とミステリじみていて、いささか現実味に欠けているという印象を受けますが、『Truth is事実は stranger than小説よりも fiction.奇なり』と言いますし、特殊な犯行動機での双子の殺人というのもありうるのでしょう」


 ふと気になった疑問があった。「桔梗さんは、この事件の担当なんですか?」歩は尋ねた。


 何がおかしいのか桔梗は、ふふ、と微笑を洩らし、かすかに首を横に振った。「わたしは黒曇町の事件の特別捜査本部に呼ばれておりますので」

 

 黒雲町の、というと、初老の男性が滅多刺しにされたうえ右耳を持ち去られた事件のことか。


 と、その時、りん、とベルの音がした。目をやると、レジの所に客──たまに見かける、赤空学園二年の女の子だ──がいた。会計をしたいのだろう。

 厨房へと続く開け放されているドアの奥から紳也が出てきて応対する。


「それではわたしは仕事がありますので」と一礼して桔梗は、店の奥へと消えていった。


「……」「……」テーブルに残された歩と武蔵の間に、呆気に取られたような、苦笑まじりの当惑が漂う。


「注文聞かずに行っちゃったね」歩は言う。


「意外とドジっ子なわけ」


 人は見かけによらないわけ、と武蔵は肩をすくめた。







 それから二日が経過した朝のこと、歩は、少し(?)焦がしてしまったガリガリトーストをかじりながら、本当に必要なことは教えてくれなそうなニュース番組を観ていた──あるいは、見ながら食べていた。ごりごり。口の中、切れそう。

 安っぽい液晶画面の中の、いつもの女子アナがシリアスな顔でニュースを読み上げる。

 

『昨夜、赤空市霧雨町きりさめちょうの集合住宅で、この部屋に住む大学三年生の女性の遺体が発見されました』


 被害者の画像が映し出された。オブラートに包むなら、真面目で優しそうな、ストレートに言うなら、地味すぎて印象に残らなそうな、と形容すべき若い女の子だった──しかし、記憶の縁に引っかかるものがあるような、ないような。


 また近所で殺人か、ほんと物騒だな、と辟易する歩に、アナウンサーは情け容赦のない追い打ちを掛けてくる。


『遺体は鋭利な刃物で十数箇所を刺されており、また右の耳及び下腹部が切り取られて無くなっていました』


 むしゃむしゃする顎の動きがおもむろになる。

 下腹部が切り取られ……? と歩はその意味を考える。

 つまり、犯人は耳だけでは飽き足らず女性器までをも持ち去ったということだろうか──何それグロい。

 しかし何のために?

 リアル生オナホにでもするのだろうか──何それエログロい。

 

『警察は、殺害の手口から黒雲町の事件と関連があると見て、調べを進めています』


 と言いおわるや否や女子アナは、声色と表情をサクッと切り替えて明るい笑みをたたえた。地元のプロサッカーチームの話題に移るようだった。

 しかし、歩はサッカーには興味がない。頭の中では、恍惚とした表情の何者かがよだれを垂らしながら真っ赤な肉塊を一心不乱にピストンするシーンが、流れつづけていた。


 ──ずっちゅずっちゅ、ずっちゅずっちゅ……。

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