第2話 助言が欲しかったんだ

「解消しよう、じゃなくて解消した? のですか?」

 わたしが茫然と彼を見上げて言うと、ブライアン様はわたしの横を通り抜けて伯母様たちの方に近づき、そしてジンジャーの肩を抱いて頷いた。

「そう。平民となった君との婚約は白紙として、僕は彼女と婚約するんだ」

「あらやだ、ブライアン様ってば」

 彼に抱き寄せられたジンジャーが身をくねらせて笑う。恥じらうように口元を覆っていたけれど、ジンジャーの厭な笑みは誰の目にも明白だ。

「ごめんなさいね、アイリス。ブライアン様はわたしの方が好きなのですって。ほら、見た目にもあなたは……でしょう?」


 ……何?


 見た目が何だって言うの? そりゃあ、わたしは淡い栗色の髪を野暮ったい三つ編みにしていて、ちょっと大きめの丸眼鏡をかけている。これで教科書を抱えていれば、見た目的には完全にガリ勉という言葉が似合う。

 でもねえ。


「ブライアン様は侯爵家のご子息で、こんなに素敵なのに、婚約者があなたみたいなダサい女なんて……ねえ?」

 わたしはそのジンジャーの傲慢そうな目つきにうんざりしつつ、どう反応したらいいのか悩む。

 ブライアン様も完全にわたしを見下すような双眸をこちらに向け、申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「ごめんね、アイリス。正直に言うと、君は僕の好みからかけ離れているんだよ。このまま結婚しても、君のことは愛せない。それなら、婚約はなかったことにした方がいいだろう?」


『なあ、殺そうぜ』

『駄目よ、左』

 ステレオ放送で何か精霊たちが言っているけれど、わたしはそれどころではない。


 婚約解消。

 婚約解消。


 サンキュー神様!


 わたしはせいぜい、観客には悲しんで見えるように両手で顔を覆った。わたしは女優、わたしは女優、悲劇のヒロインを演じきれ!


「……婚約解消だってよ」

「誰あれ」

「可哀そうにな、あのお嬢様」


 ざわざわ、とまた通行人たちが何か言い合うのを感じながら、わたしは歓喜に震えていた。

 だって、本当に厭だったんだもの、この結婚。相手が自分より身分が上の侯爵家の人間で、申し入れがあっても断ることができず嫌々結んだ婚約だった。

 ブライアン様は不真面目な学校生活を送っていて、勉強より友人と遊ぶのが好き。魔法も剣術も武術も全部、中の下というか……下の上、くらい。

 彼は商才はなさそうだし、結婚して商会の仕事に関わらせるつもりはなかった。どうせ、商会のお金を散財して遊びまくるのが目に見えているしね。

 結婚を拒否するわけにはいかない以上、何とかして相手が不貞を働くように仕向け、ウィドウズ家を相手有責で追い出すようにできないかと考えていたから――。


 婚約解消、喜んで!

 不良債権をもらってくれてありがとう、ジンジャー様さま、ご愁傷様!

 と、心の中で手を合わせていたわたしなのだった。


「結婚式をどうするか、話し合おうか」

 わたしが地面の上に悲劇のヒロインスタイルで座り込んでいるのを横目に、ブライアン様は小さく笑ってジンジャーに向き直った。ジンジャーも伯母様も上機嫌でそれに頷き、さっさと屋敷の中に入ってしまった。


『ムカつく。殺そう、今すぐ殺そう、命令しやがれ』

『それよりアイリスちゃんは、やるべきことがあるんじゃないかしら』


 左右から聞こえる声に我に返り、わたしは小さく頷く。

「そうね、これでもわたし、負けず嫌いだから」

 と、ニヤリと笑って眼鏡をくいっと指で押し上げた。

 やられっぱなしっていうのは、わたしの性ではないのよねえ。

 だから、命令じゃなくて『お願い』をした。それを受けて左右の精霊が目にもとまらぬ速さで屋敷の中に飛んでいくのを見守っていると、背後から恐る恐る、といった声が飛んできた。


「あの……大丈夫、か?」

 ハッと我に返り、もう一度悲劇のヒロインを演じようと口元に手を当てて振り返ると、そこにはぼさぼさ頭の少年が立っていた。しかも、同じ学校の――王国立ミンツベル魔法学校の制服を着た背の高い男子がいて、こちらに手を伸ばしていた。

「立てるか? 何だか酷いことをされていたみたいだけど」

「あ、ありがとうございます」

 わたしは躊躇いつつも、彼の手を取って立ち上がる。そして、土で汚れたスカートをぱんぱんと叩いた。

 そんなわたしをじっと観察していた彼が、小さく訊いた。

「その、勝手に色々聞いてしまったんだけど……この後、行くあてとかは……?」

「ないんですよねえ」

 わたしが苦笑すると、彼は僅かに首を傾げて見せた。

 黒い髪の毛は伸ばし放題のぼさぼさで、長い前髪で彼の顔立ちは解らない。ただ、声の感じは真面目そうな雰囲気が伝わってくる。

「誰か頼れる人は? その、君はウィドウズ商会の……ええと」

「あ、知ってるんですか?」

「そりゃ、君は学校でも有名人だからね。」

「あははー」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、わたしは苦笑した。

 そして、目の前の彼を見つめているうちに――そういや、学校で見かけたことがあるような気がする、と思い出した。一学年上の……先輩だったかな?


 彼は少しだけ考えこんだ後、思い切ったように続ける。

「君のことは気になってた。いつか、話ができたらって思ってたけど、俺は平民だから……諦めてたんだよ。こんな機会でもないと、ずっと話せなかった」

「え?」

 わたしはそこで、眉を顰めてしまった。確かに、わたしに声をかけてこようとする人間は結構いる。


 元々、ブライアン様だって目的があってわたしに声をかけてきた。

 最近、営業成績を上げているウィドウズ商会の娘、アイリス・ウィドウズ。ブライアン様がわたしと婚約したのも、将来的にウィドウズ商会の売り上げを手に入れようとしたからだろう。

 ブライアン様の家――マクフィー侯爵家は最近、資金繰りに苦労している。彼のお父様が管理している領地では、自然災害が続いていて税収が一気に落ち込んでいるようだ。

 で、彼はわたしと婚約してから、さりげなく援助金が欲しいとか匂わせてきたけど、聞こえないふりを続けている。だって、わたしからお金を引き出しても自分で遊ぶために使うのが見え見えだったもの。

 彼の趣味は、友人たちと遊び回って、そこで友人たちの分まで奢ってあげること。

 それで優越感に浸るのが嬉しいらしい。

 馬鹿かな? 馬鹿だね。


 そんな日常だったから、わたしも警戒しているわけだ。

 近づいてくる人たちの、腹の中はどうなのかな、って。


「いや、あの、誤解はされたくないんだけど」

 わたしが顔を顰めたのに気付き、目の前の彼は慌てたように手を振った。「俺も、魔道具を造ることを仕事にしようと思っていて。だから、君の家……ウィドウズ商会に興味があったんだ。その、君の商会の魔道椅子、あの出来の良さに驚いて」

「魔導椅子ですか?」

「ああ」

 彼はそこで、酷く真剣な口調で続けた。「あの魔道椅子は、君のお父さんが開発したのかな? あれは……老人や足の不自由な人には画期的な発明だったと思うよ。今や、街のどこに行っても見かけるくらい普及した」

「ええと……」

「君のお父さんは病気で歩けなかったと聞いた。それでも、あの魔道椅子を使って移動して、毎日仕事していたって。だから、話がしたかった。純粋に、凄いなって思ったから」


 ……うん。

 そうだね。

 わたしは躊躇いがちに頷く。


 わたしのお父様は生まれながらにして病を抱えていた。この世界での成人年齢というのは十八歳だけど、その前に死ぬだろうってお医者さんに言われてたんだって。

 でも、お父様は病に負けずに色々研究し、商会を立ち上げた。そこで恋もして結婚し、わたしが生まれたらさらに仕事に励んだ。

「長生きするもんだなあ」

 と、いつもお父様は言っていたんだよね。

 お母様はわたしを産んですぐに亡くなってしまったから、わたしが成人するまでは生きるんだってお父様は言っていたけれど――無理だった。

 元々、お父様は激しい運動はできない人だった。病が進行すると歩けなくなって、日常生活に差しさわりが出てきた。そこで、『わたし』が発明したのが魔道椅子だ。


 一応は、お父様が発明したことになっているけれど、実際は違う。

 前世の知識を活用して、この世界でも使えそうなものを造ろうと思った。車椅子ならぬ魔道椅子は、魔物の心臓から取り出せる魔石を動力にして動く小型の車みたいなやつ。右側についたレバーを動かして、結構なスピードで移動できる乗り物だ。

 車椅子と言うより、ゴーカートみたいな感じかな。

 これがウィドウズ商会から発売されて、有名になった。身体が不自由な人だけじゃなく、馬に乗るのが苦手な人なんかも使ってるからね。


 一か月前にお父様は亡くなったけれど、死ぬ間際にこう言った。


「お前が成人するまでは生きたかったんだが、まあ、充分だろう。神様が与えてくれた寿命の倍は生きたからな、これ以上高望みはできん。それに、アイリスが強く育ってくれたから安心している。きっとお前は大丈夫だ。精霊の加護もある」


 ……そうだね。

 でも、寂しいよ?

 お父様にはずっと生きていて欲しかった。物心ついた時からずっと、二人で力を合わせて生きてきた。わたしが前世の記憶があるんだって言っても、馬鹿にしないで信じてくれた。

 いつかきっと、お父様の病気も治せるんじゃないかって希望は捨てなかったのに。

 無理だったから、泣いたんだよ。

 お父様のお墓の前で。


「……それで、助言が欲しかったんだ。俺の場合も父が……その、魔物と戦って右足と右腕をなくしてしまって。もう一度、剣を持って戦えるように……義足と義手を研究してるんだけど、色々行き詰ってて」

「え」

 わたしはそこで、我に返って目の前の少年をまじまじと見つめる。

 前髪が邪魔で彼の瞳を見ることはできないけれど、多分――わたしが警戒するような人じゃないって思った。

「でも……もう、話せないのか」

 彼はそこで俯いて、悲し気に言うから。


「ええと……魔道椅子はわたしが作りました。わたし、何かお手伝いできますかね? っていうか、戦う人の義手なら、ロケットランチャーとか仕込みましょ?」

 と、つい提案してしまったのだった。

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