精霊使いの少女は前世持ち

こま猫

第1話 出て行ってちょうだい

「出て行ってちょうだい、アイリス」

 わたしはその時、伯母様に突き飛ばされて門扉の前で座り込んでいる状況だった。けばけばしい化粧をした伯母様の唇は血で汚れたナイフのように弧を描いていて、お父様と同じ青い色の瞳には嘲りの光が灯っていた。

 伯母様の横には、彼女そっくりの顔立ちの少女がいる。ただ若くしただけで中身は同じように見える――俗物だ。

「そうよ、そうよ、アイリス。あなたはもう、この家にはいらないのよ?」

 その少女――わたしにとっては母親違いの従姉妹である彼女の名前は、ジンジャーという。金色の髪の毛と青い瞳、形の整った釣り目、赤い唇。わたしと同い年だけど、見た目は彼女の方が上に見えるだろう。

 何と言うか、猫みたいな印象の美少女だけど――。


 一言で説明するなら『いじめっこ』だ。

 彼女は他人のあら捜しが好きで、弱点を見つけたら反射的に攻撃する。


「もうここはお母様の家なの。つまり、わたしの家ね!」

 ジンジャーは伯母様と同じような微笑みを称えた表情でわたしを見下ろし、ふふん、と鼻を鳴らした。腕を組んで、斜に構えた彼女は――小説によく出てくる、ヒロインをいじめる悪役令嬢みたい。

「ここは、わたしの家です」

 わたしはゆっくりと立ち上がり、スカートについた土を手で払う。

 そして、二人が立っている背後にある屋敷に目をやった。


 お父様――ジョージ・ウィドウズ子爵の屋敷。つまり、その娘であるアイリス・ウィドウズの屋敷であって、伯母様の持ち物ではない。

 そのはずなのに。


「あら、弟が死んだんだもの、姉であるわたしが遺産を受け継ぐのは当然でしょう?」

 伯母様はあまりにも自信満々に言うものだから、わたしは顔を顰めてしまった。

「え? 娘のわたしが受け継ぐのが当然では」

「ごめんなさいねえ、もう手続きは済んでいるから」

 伯母様は満面の笑みでそう言うと、犬でも追い払うかのように手を振った。


 ――やったな、こいつ。


 わたしは思わず悪態をつきそうになったけれど、必死に唇を噛んで我慢する。

 でも。


『よし殺そう』

 わたしの左側、背後から地の底から響くような、男性のどすの効いた声が響く。ただし、その声はわたしにしか聞こえない。

『駄目よ、そんなことを言っては』

 わたしの右側、背後から鈴の転がるような女性の声がする。もちろん、これもわたしにしか聞こえない。

『これは家の乗っ取りだ、犯罪だ、犯罪には犯罪で返す。殺そう』

『あなたはいつもそう。何でもかんでも暴力に頼るのはいけないわ』

『じゃあお前は何に頼るんだよ。泣いて同情でも誘うのか? そんなの、クソの役にも立たねえ』

『言葉遣いが酷いわ……ああ、嘆かわしいったら……』

『うぜえ、黙れ』


 ――観客がうるさい。


 いや、観客じゃなくて後ろの声は――精霊だけど。

 そう、ここはファンタジーの世界。科学の代わりに魔法が当然のように生活に溶け込んでいて、魔物だって普通にいる。

 物心ついた時には気づいたんだよね、わたしには変な声が聞こえるってこと。

 他の人には聞こえない声。それは、左右から――善悪のサラウンドスピーカーというか……、人間ではない半透明な存在がわたしにだけ声を投げかけてきていた。右側からは天使のような善に振り切った声が、左側からは悪に振り切った声が。

 そしてその半透明の存在の外見も、右側は肌も髪もひらひらしたドレスも何もかも真っ白な美少女、左側は髪も服も真っ黒、肌も浅黒くて腹の中も真っ黒な美少年。

『わたしたちは精霊なの』

『そしてお前は精霊使いの血筋ってわけ』

『だから仲良くしましょ』

『俺に名前をつけろ。そして契約しろ。命令しろ。俺たちは何でも願いを聞いてやろう』

『いいえ、わたしに名前をつけて、左の声は無視して』

『何だとコラ』

『ほら、怖いでしょ?』

『ざけんなコラ』

 幼くて訳の分かっていないわたしの前に現われた彼らは、最初の頃からずっと仲が悪かった。でも、怖いとは思わなかった。

 むしろ、凄くわくわくしていただろう。

 だって、すぐに解ったもの。小説やアニメみたいに、わたしも異世界に転生したんだって。これって凄くない?

 何だかよく解らないけど、精霊使いって響きもカッコいい!


 ……いや、そんなことを思い出している場合じゃない。


「だからってわたしをこの家から追い出すなんて……そんなの、おかしいでしょう」

 わたしは呼吸を整え、目の前の二人を睨みつけて言う。「ウィドウズ家の跡取りはわたしだし、ウィドウズ商会の後継者もわたしで」

「それも書き換えたから大丈夫よ」

 伯母様がおかしそうに口元を手で覆い、微かに肩を揺らした。「商会なんて、まだ子供……十五歳のあなたには荷が重いでしょう? 大丈夫、弟の代わりにわたしが会長になってあげるから」


 ――おいおいおい。


 わたしはおそらく、茫然としたというか……呆れきった表情をしたと思う。

 そして気が付いたけれど、いきなり着の身着のまま屋敷を追い出されたわたしは、道を行き交う人たちの視線を引いていたらしい。門の前まで腕を引かれて突き飛ばされたわたしのことを、心配そうに見る人もいれば関わりたくないと言いたげに通り過ぎていく人もいる。


 そしてわたしは咄嗟に考えた。


 目撃者は作れる。


 というわけで、わたしは急に眩暈を覚えたようにふらふらと後ずさり、力なくその場に倒れこんだ。大根役者と呼びたくば呼べばいい。人間、開き直った方が勝ちなのだ。


「伯母様、お父様が亡くなってまだ一か月だというのに、これは酷いわ!」

 わたしは、両手で顔を覆って大声を上げた。「伯母様が離縁されて我が家に身を寄せたのは半年前! 行くあてがないというから、お父様が『次の住処が見つかるまでの少しだけなら』と受け入れたのよ!? それが全然出て行く気配がなくて、そうしているうちにお父様が亡くなって、その直後に我が家の名義を伯母様に変えて、元々ここに住んでいたわたしを追い出すなんて悪魔の所業! 魔物の化身! 内面如夜叉! わたしが後を継ぐはずだったウィドウズ商会さえも、伯母様のものにするなんて! わたしにはたった一枚の銅貨すら渡さずになんて……神様精霊様の罰が当たるわよ!?」


 ざわざわ、と空気が揺れた。

 通りすがりの人たちの耳にはっきりくっきり届くよう、伯母様が口を挟む隙も与えずに舞台女優張りの声量で叫んだから、誰もが現状を理解したみたいだ。


「……なんて酷い」

「ウィドウズ家の旦那様って確か、ずっと病気で魔道椅子で生活していた人よね?」

「……伯母様って言ってたけど、つまり姉弟ってことでしょ? それなのに、お屋敷を奪うために亡くなるのを待ってたってこと?」

「こえーな、貴族って」

「あの子もまだ若いのに……追い出されたらどうなるのか……」


 そんなことをこそこそと話し合う人影を見て、伯母様が顔を真っ赤にして叫ぶ。

「お黙りなさい! 見世物じゃないのよ!?」


 見世物だと思うけどね。

 わたしは手のひらの下に隠した口元に笑みを浮かべて考える。とりあえずこれで、伯母様たちの評判が下がるはずだ。後は何をすればいいだろうか。これからわたしができることは――。


「一体、何の騒ぎだ?」

 そこに、聞き覚えのある声が響いてわたしは顔を上げた。できるだけ被害者然とした演技で、弱々しく微笑みながらその声の主――わたしの婚約者に声をかけた。

「ブライアン様……」

 ブライアン・マクフィー。彼は侯爵家の三男坊で、我が家に婿入りする予定の少年だ。わたしより一歳年上で、同じ学校に通い、わたしが学校を卒業したら結婚する相手だ。

 金色の巻き毛、柔和な顔立ちのイケメンだけれど、ちょっとだけ軽薄そうな目つきをしている。というか、軽薄なんだと思う。わたしという婚約者がいながら、学校で色々な女の子といちゃいちゃしているのをよく見かける。

「やあ、アイリス。そんなところでしゃがみこんで、どうしたの?」

「それは」

「ああ、別にどうでもいいかな」

「え?」

「実は、話があってきたんだよ」

 ブライアン様は嫣然と微笑みながらとんでもないことを言った。「君との婚約は解消した」


 ――は?

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