第2夜 幼馴染

「あ! カズ! もう大丈夫なの!?」


 クラス替えの張り出された看板の前で自分の名前を探していると、明るい声と共に背中全体に衝撃を受ける。

 腕は腹部まで回され、バックハグの体勢だ。肩からひょこと顔を出した端正な顔が、保科の顔を覗き込む。


「一応。心配かけた」

「ホントだよー! 面会謝絶だし、リーン全然返してくんないし! もう少しで病院突撃してたよ!? この美少女を放ったらかして!!」

「だから悪いって。……あれ、俺悪いか?」


 ぱっちりと開いた瞳と、産毛の一本も無い艷やかな肌。焦げ茶色のハーフツインアップは石鹸の匂いを漂わせ、整った目鼻立ちと、背中に押し付けられる柔らかな感触は強くも弱くもない。

 この騒がしい美少女は普通科二年、河愛依世かわいいよ。保科の小学校からの幼馴染であり、親しい友人の一人だ。

 その整った容姿なら芸能科にも入れただろうが、本人曰く将来は教師になりたいらしい。


「あとあんまベタベタすんなよ。勘違いされても知らねぇぞ」

「いやだなぁ……。クリスマスにあんなに激しいデ、デートしといて? 」

「あー、えっと、その事なんだが」


 河愛は保科の腐れ縁の幼馴染だ。確かに一時期彼女に好意を寄せていた時期もあるが、しっかりと彼女に振られてしまった過去がある。

 今更そのような関係になる筈がない。誇張した軽口なのだろう。と、保科は判断する。

 記憶喪失のことについては、まだ家族と先程伝えた私院以外誰にも話していない。機会がなかったのだ。ただこれはいいタイミング。河愛に向き直り、事情を説明する。


「記憶喪失?」


 やけに呑み込みが早いことを、流石は幼馴染と言った所かと納得する。あまり大勢に知られたいような話でもないため、保科としても大変助かるものだ’。

 私院など、この話を聞いた途端大声で吃驚していた。


「え、マジで記憶無いの?」

「あぁ。具体的には、十月初旬ぐらいから事故までの記憶がすっぽりと」

「へぇ……」


 目が少しだけ泳ぐ。

 その仕草は保科にも見覚えがある。何かを企んでいる時の仕草だ。


「……じゃ、じゃあ、あの事も忘れてるんだ?」

「何だよ、あの事って」

「……私達が、その…………」


 先程までの元気な様子とは打って変わって、譫言のように弱々しい声を出しながら、河愛は身動ぎしている。

 今まで見たことの無い態度に、思わず彼女の言動に注目してしまう。


「その?」

「その…………あぁやっぱいい!! 放課後ね!!」


 校舎の中へ走り去っていく河愛を、保科は眺める事しか出来なかった。

 随分様子がおかしかったが、放課後には空琉との約束があるのが言えなかった。まぁ、後で言えばいいだろう。そう考え、河愛の事は一旦忘れ再び看板から自分の名前を探す。


「あ、あった」


 ようやく自分の名前を見つけた。となれば、気になるのはクラスメイトだ。もう一度最初から、新しき級友の名前を眺める。

 当然だが知っている名前は少ない。

 皇星学園は一学年七クラス。その全ての生徒の名前を覚えるなど、土台無理な話だろう。だが、時折知っている名前もある。

 彼女もその内の一人。


御酉夢久おとりむく……」


 保科は一年生の時は別クラスだったので接点は無いが、名前に覚えはあった。

 よくある男子の雑談ネタの一つ、同学年の女子で誰が可愛いか。その話をした時、必ずと言っていい程上位に君臨する女生徒だ。


「アイツは、別クラスか」


 残念ながら、河愛依世の名前は無かった。

 知っている名前はこの他には私院だけ。苦心した友達作りがまた振り出しに戻ったかと思うと、やり込んだゲームのセーブデータを消された気分である。

 とは言え、ゼロでは無いのがマシな所か。

 他の場所で看板を見ていた私院と合流する。


「一緒で良かったぁー! マジ助かる!」

「それ。あ、やべっ、クラスどこだっけ?」

「二階だろ? 一緒に行こうぜ」


 新しい靴箱を探し、持ってきた上履きに一緒に履き替える。

 下駄箱は一番上を密かに願っていたのだが、一番下が割り振られていた。


「てか見た!? あの御酉さんと同クラ! マジテンション上がる!」

「はいはい。玉砕しても何も奢らんからな」

「なんで振られる前提なんだよカス」

「鏡見て来いよボケ」


 とは言え保科自身。御酉に全く興味が無い訳ではない。

 遠目から眺めた事こそあるが、実際に同じクラスという距離感で見れるのは初めてだ。少しだけ緊張さえしてきた。

 教室の前に二人で立ち、互いに顔を見合わせる。

 間違いなくこの場所。教室内は少しだけ騒がしい。唾を呑み込み、緊張を隠すようにいつも通り扉を開く。

 見回すが、御酉らしき影は無い。少しの落胆と同時に、安堵も浮かぶ。

 黒板に書かれていた席に荷物を置き、腰を下ろす。場所は廊下側二列目の最後尾で、中々の当たりの位置だ。

 列は横六列、縦は一番窓際をだけ六列で、他は七列の計四十一人。私院とは遠くなってしまうが、出席番号順なので仕方が無い。

 ある程度の荷物を机の中に収めていると、明らかにソワソワした様子の私院がやって来る。


「御酉さんいねぇな……」

「そうやってお前の眼がぎらついてるからじゃねぇの?」

「う、否定は出来ない」

「死んじまえ女の敵が」

「うっ! 入院中に毒は全部抜いとけよ……!」


 そうしている内にスマホが震える。メッセージの着信だった。

 今にも泣きそうな演技をする私院を片目にロックを解除する。


〈カズはどこ?〉


 飼い犬のアイコンは河愛のアカウントだ。

 河愛と言えば、先程の。

 クリスマスのデートに関して、過去に何か話しているかも知れない。と思い、返信の前にトーク履歴を遡ろうとしたが、どうやら無理らしい。

 入院中の機種変更が、ここにきて悪影響を及ぼすとは。


〈2D〉

〈ラッキー! 私C! 体育合同じゃん!?〉

〈そもそも男女は別なの忘れてないか?〉


 号泣しているテディベアのスタンプが連打され、トーク画面が凄まじい速度で流れていった。

 一応スタンプの爆撃が止んだことを確認し、電源ボタンを押してスリープにいれる。直後、再び携帯が震えた。


「なんだよ……」


 なんともタイミングが悪い。だが、教師が来ていない現時点ですることも無い。

 スマホを開くと、何もせずとも河愛とのトーク画面が開いた。だが、トークは一切更新されていない。

 泣くテディベアのスタンプ、その全てが本当なら、きっとトーク画面は水浸しだろう。

 通知を開く。着信は、意外な人物からだった。


〈おはよ〜クラスどうだった?〉


 湯気立ちのぼる紅茶のアイコン。ハンドルネームは、『おとり』。

 瞬時に私院に背を向ける。もし本当だった時、彼には知られたくない。私院はモテないが友達は多い。学校中にすぐ噂は広まってしまうだろう。

 プロフィールを確認。ステータスメッセージはなし。相手視点既読も付いているだろう。恐る恐る、返信を打ち込む。


〈もしかして、御酉さん?〉


 その問いに、画面越しの『おとり』はデフォルメされたキャラクターが首を傾げるスタンプと共に返信する。


〈そうだよ〜。どうかした?〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る