3日間の研修

5人の採用者が一堂に会した。

小さな会議室が多少手狭になった気がした。


新しいメンバーを紹介しよう。

まず23歳男性の金城(きんじょう)さん。

この人は黒髪のロン毛だった。肩に少しかかるくらいの。

これがいわゆる09年の今時の若者風のスタイルなのだろうか?


俺は普段からテレビを観ないので最近の流行がよくわからない。

彼は髪の毛をガチガチに整髪料で固めていて、一見すると悪人面なのだが、

俺と同じで内気な青年だった。声が小さい。170センチ以上あるが線が細くて

喧嘩などには向いてなさそうだ。彼には影がある。前の仕事でよほどつらい目にあったのか、初対面の時から死んだ魚の目をしていたのを覚えている。


同じく23歳の女性。成宮(なりみや)さん。

失礼だが、一見するとインド人に見える。おでこの大きい浅黒い肌の女性だ。

唇が分厚いこともあって日本人離れした容姿をしている。

この人は物腰の柔らかい人で、いかにもサービス業に向いてそうな感じの人だ。

長い癖の入った黒い髪の毛を後ろでまとめている。


(同期の中で俺が一番年下ってことだな。……当たり前だよな)


そう。俺は最初に入った会社を1か月で辞めているのだ。

ここは中途採用者の集まりだから、俺より若い人がいるわけがない。

それにしても、23歳の人が二人もいるので少しうれしかった。

右も左もわからぬ俺にとって、年の近い人の方が安心するからだ。


研修の内容ってのは、どこのオフィスでもありそうな基本的なこと。

ビジネスマナーをオリエンテーションして学んでいくのだ。最初に台本を渡されて、みんなで電話を掛ける人、受ける人に分かれて練習していく。


教育係の佐藤さんは、業務をするうえでの重要事項や顧客情報の守秘など

いろいろと教えてくれる。なんだか学校みたいで少し楽しかった。

時間はあっという間に過ぎる。お昼の時間はこの部屋で食べた。


俺は母が作ってくれたお弁当を広げる。他の人も全員お手製のお弁当だった。


俺たちはホワイトボードに対して前を向いてる状態で、

自由な席に座って食事をしていた。学校の教室を想像すればわかりやすいと思う。

俺の後ろの席に金城さんがいたので振り返って話しかける。


「金城さんは、敬語の使い方、完璧っすね」

「いえ、俺なんて全然……。俺は前の仕事でも敬語の電話対応はあったので」

「どんなお仕事を?」

「プログラミングの仕事でした」


俺にはプログラマーの仕事がどんなものかよく知らなかった。

話を聞いても全然想像できないので、とにかくストレスが溜まる単調作業みたいなもんなんだと思った。彼が胃を痛くして辞めるくらいには辛い仕事なのだろう。

納期が迫ると残業地獄になるそうだ。ストレスで吐きそうになるとか。


金城さんは、前の仕事を辞めてから空白期間があったので、その間をつぶすために

スーパーでアルバイトをしながらこの企業の面接を受けて採用されたそうだ。


この研修に参加する数日前までスーパーで品出しをしていたそうだ。

頼りにされていたのか、店長に訳を説明して辞めるのに苦労したと。

なんとなく、彼は苦学生の雰囲気がした。大卒らしいが、おそらく奨学金を借りていたのかもしれない。23とは思えないほど老けている。30歳でも通じるだろう。痩せすぎで頬がこけている。決して悪い顔立ちではないのだが、少し悪人面だ。


「ねえねえ。委員長さん」


ふと振り返ると、そこにはお弁当を食べ終えた吉井さんがいた。


「男の子ふたりだけで会話してないで、私ともお話ししようよ」

「あ、すみません」

「私に敬語はいらないって前も言ったのに」

「でも、目上の人相手なのに、いいんですか?」

「あはは。目上? 私たちって同期じゃない。ねえ金城さん?」

「そうなもんすかね? 俺も年上の女性に敬語使わないのは慣れないですけど」


吉井さんは仕事中でも食事中でも常に笑顔だった。

人と話をするのが好きなタイプなのだろう。

その一方で金城さんは恐縮しながら話してる感じだ。

我らから少し離れた席で、古谷さんと成宮さんが談笑しながら食事をしている。

あの二人は出会った時からずっと仲良しだった。


吉井さんと古谷さんは自己紹介の時に年を教えてくれていた。

ふたりとも28歳だ。俺より6学年も年上だった。

当時の俺にとって、28歳の女性はずいぶんと大人に思えたもんだ。

23歳ですら自分とは別格の大人に感じられた。みんな態度に余裕があるからだ。


社会人経験があるのとないのとでは、全然違う。

俺がかつて経験したコンビニのアルバイトの仕事を馬鹿にするわけではないが、

オフィスでの正社員での勤務とは全然違うのだと思った。


俺は社会人生活が楽しみな一方で、怖かったのだ。

会社にいる時、自分が猛獣の住むジャングルにいるような気分になる時がある。

こんなことを考えているのは俺くらいかもしれないが、自分にとって未知の世界にいる時はこう思ってしまう性格なのだろう。


吉井「委員長さんって、すっごく真面目な人って感じじゃない?」

オレ「そうですかね。人からはよくそう言われますけど」

金城「それは俺も同意っす。見た目、真面目系っすよね」

吉井「金城さん、敬語敬語」

金城「マジメ。だよね。うん」


吉井「背筋がこう、ピーンっと伸びててさ、なんだか自衛隊の人みたい」

オレ「筋トレとかでそれなりに体は鍛えてましたけど」

金城「やべ。俺、全然体鍛えてねえや」腕をまくって二の腕を触る


吉井「男の人はさ、筋肉質の方がカッコいいと思うわよ」

オレ「ありがとうございます……」

金城「委員長さんは学生時代に運動部を?」

オレ「いえ。帰宅部ですけど。趣味で筋トレやウォーキングしてるだけです」


吉井「今時の男子にしてはすごい真面目って感じだよね。

私ね、昨日の帰り道、あなたが運転してるところ見たんけど、運転してる姿もすごい真面目なのよね。こう、きちんと両手でハンドルを握って前だけ向いてさ、高架線を走ってるのにスピードを出すこともないし、安定志向の男の人って感じ?」


オレ「俺は怖がりなだけだよ。スピードを出すのは嫌いなので……」

金城「俺はスピード違反で捕まったことがあるので気を付けないとなぁ」


吉井「私はさ、どうしてみんな捕まるってわかっててスピード出すのかなって

いつも思ってるの。70キロ出そうが60キロだろうが、どうせ次の赤信号で止まるんだから同じじゃない? 赤信号で無理して渡ってもさ。そんなことしても疲れるから初めからスピード落として走った方が得だと思うんだよね。精神的にも」


オレ「うん。それはそうだね。俺も免許取った時からずっとそう思ってた。

道路って実際は信号ばっかりだし。止まってる時間が長い。

あと急いだところで家に着く時間にそんなに変化はない」


安全運転に関することで俺は吉井さんの意見に完全に同意だった。

通勤だってイライラせずに普通に運転すればいいだけだ。

それでも日本全国でスピード違反の人が減らないのは、それだけ

ストレスが溜まってたり、家での仕事があるから急いでる人が多いのだろう。


金城「最近じゃ飲酒運転も厳しくなってきた」

吉井「そうそう!! 罰金50万って新聞に載ってた」

オレ「罰金、やばい金額になってますよね。俺は飲まないので関係ないけど」

吉井「え? 大人なのに飲まないのぉ!? 私も飲まないけど」

金城「少し笑いましたw 今の流れだと吉井さんも飲むのかと…」


俺は吉井さんの発言に違和感があった。大人なのに…。俺は大人じゃないよ。


吉井「私はね、タバコは吸うけどお酒は飲まないんだよ。25くらいの時までは飲んでいたけど、今はもう飲まないの。飲みすぎると二日酔いも辛いし、お金もかかるしね」


金城「あーわかります。二日酔いで会社行くの辛いっすよね。

俺は結構飲むは何ですけど、飲むにしても金がないんですよね」


二日酔いか。いったいどんな気分なんだろう? 俺には遠い世界だ。


吉井「もう。金城さん!!」

金城「あ……口調。ごめんね。慣れてないからつい敬語に」

オレ「金城さん、どうして年下の俺にまで敬語なんですか?」

金城「それはもう癖ですね。会社では誰に対しても敬語なのが基本つーか、

いちいち使い分けるのが面倒なので敬語で通しちゃってる感じで」


吉井「金城さんは、少し距離を感じちゃうなぁ」

金城「そうかな?」

オレ「でも俺たち、まだ出会って数日だし、こんなもんじゃないの?」


吉井「私さ、彼氏いるのよ。彼氏」

金城「は、はあ」

オレ「そうなんだ」(なんで急に恋人の話を?)


吉井「私の彼氏ね、デブなの。そんですっごく馬鹿なのよ」

金城「へ、へえー。デブってどのくらい?」

オレ(恋人か。社会人の人たちってどんな恋愛をしてるんだろう)


まもなくして教育係の佐藤さんが営業スマイルで戻って来た。

みんなで話していると、お昼ご飯の時間はあっという間だ。


俺たち5人の同期は、再び仕事に戻るというよりは、まだ研修の段階なので

学生のように気楽な気分で研修に励んだ。なんだか幸せな時間だった。

まだ仕事をしてるわけではないが、今この瞬間もお給料が発生しているのだ。


【投資のメモ】


・会社にいる時、自分が猛獣の住むジャングルにいるような気分になる時がある。

 こんなことを考えているのは俺くらいかもしれないが、自分にとって未知の世界に 

 いる時はこう思ってしまう性格なのだろう。


→市場の動きが読めない。企業の決算内容がわからない。

そうするとつい株を売りたくなってしまうが、内容が理解できると冷静になれる。

投資初心者にとって相場とは猛獣の住むジャングルである。


・安全運転に関することで俺は吉井さんの意見に完全に同意だった。

通勤だってイライラせずに普通に運転すればいいだけだ。


→短期目線で相場を見てイライラする意味はない。

配当再投資を念頭に、増場においても安全運転を心がけるべきだ。


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【時は2009年】筆者の新卒時代の思い出【リーマンショック後】 @kintyou

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