episode 2

 相手が後ろ姿を見せた隙を、むざむざ逃すわけにはいかない。腰に下げた短剣を引き抜こうと、残った力を振り絞って手を伸ばす。


「な、無い。俺の短剣はどこだ」

「うぬの短剣は立派に生えておるぞ」

「腰に巻いていたやつだ!」

「うるっさ……余の城の庭に棄てられた時には、既に素っ裸だったがな」


 鬱陶しそうに耳を押さえる少女だが、本当に全裸なら塞ぐのは目じゃないのか。

 そう思って視線を落とすと――なるほど。確かにご立派なモノが露わとなっていた。


「俺の服をどこにやった!」


 叫び立ち上がった瞬間、視界がぐらつき膝から崩れる。


「衰弱し切った身で騒ぐでない、死にたいのか」


 覗き込む青肌の面貌を眺めていると、彼女の眼が反転目であること、やけに耳が尖っていることに気付いた。

 コイツは人間ではない。ヒトの形をした異形だ。


「化け物に心配される謂れなど、無い」

「化け物?」少女が鼻でわらう。「身体中からクサい獣の匂いをさせた人間紛いが、純血種たる余を化け物扱いとは片腹痛い」

「なんだと……」

「ともかく、命を救われた身だろう。まずは名乗って、礼の一つでも言えぬのか」


 人外の分際で、偉そうな口を利きやがる。デカい三ツ首の狗を従えているが、いったい何様のつもりだ。


「ベロちゃんの餌にしてやっても良いぞ」


 しかし満身創痍の身で、選択の余地など無さそうだ。仕方ないので、この城主様に従う他ない。


「布の一つも掛けてくれない心遣いを感謝する。俺の名は……名は……名、は……」


 名前、だと? どうしても名前が出てこない。俺は誰なんだ。

 必死に思い出そうとするも、脳みそにシワが刻まれるだけで、記憶を掠めることすら出来ない。死にかけの身体には、負担が強すぎて吐きそうになる。


「何も覚えていないのか。これまで打ち棄てられたむくろは皆、同じように丸裸だったが」


 まるで不都合な存在と言わんばかりよな。

 ため息混じりの素っ気ない答えに、一つの疑問が生まれる。


「俺以外にも、こんな目に遭った奴がいたのか」

「事切れた人間紛いばかりで、生きてるのは初めてだがな。まったく人間どもめ、勝手に余の城をゴミ捨て山にしおって……」


 ……つまり、定期的に亡き骸を棄てに来るクソ野郎から、直接聞くのが手っ取り早いということか。

 果たして死体運びに期待するなど、我が事ながら絶望しそうになる。確かに、今の俺を人間と呼べるかは怪しいものだ。


「うぬはさしずめ、全てを喪った名無しの迷い子……“ストレイキッド”といったところか」

「気に入らんな。だが、今は受け入れる他ない」


 しなやかに伸びた少女の指先を手に取る。

 片膝を着いたまま挨拶を交わすのは癪だが、文化の異なる相手に意味など知る由もない。

 大人しく、彼女の手の甲に額を合わせた。


「とりあえず、よろしく」

「よしなに、キッドよ……余はリンクス。正統なる吸血姫にして、この古城を護る主ぞ」


 額に伝わる熱は薄く、生気は感じられない。しかしその冷たさが寧ろ、種族としての優位性を誇示されている気分だ。


「うぬのような、雑種の若造には過ぎた挨拶よな」ゴシックロリータの吸血姫――リンクスの手が、そっと離れる。「唇を重ねるなどという、無粋な真似をしておったら……その首、跳ね飛ばしておったわ」


 不遜な吸血姫はきびすを返して、身を余らせる玉座の肘掛けに持たれかかる。

 周囲を照らしているのは、ひ弱な燭台が僅かばかりというのに、奥に潜むリンクスの欠伸まで見えるのは、俺の気のせいか……


「まずは身を清めよ。身体中から不浄を漂わせたまま、城内をウロウロされたら敵わん」

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