第39話 『敬礼』
ナニワント国との睨み合いが続いている間に、主食の穀物ムギルの収穫の季節が過ぎた。
睨み合いの間に、西カシワール軍事同盟国と東カシワール軍事同盟は正式な国として統合されていた。
『カシワール連合国』だ。
規模としては、旧西カシワール軍事同盟の5郡6万4千
更にタイシール郡との合併が控えているのだから驚きだ。
本来であれば、収穫自体は喜ばしい事だ。
その喜びと、農作物を齎してくれた『豊穣の神・スーラ』への感謝を表す為に、全ての土地で収穫祭が必ず行われるくらいだ。
現にカシワール連合国は、建国と云う目出度い出来事と、前年比3割以上の収穫増と云う近年稀にみる豊作だったと云う事も有り、各地で賑やかな収穫祭が一斉に行われていた。
皮肉にも、その事が新たな火種としてくすぶり始めた。
旧サカイリョウ国に限っては、近年稀に見る凶作だったのだ。
例年ならば軽く40万
元々、ナニワント国が旧サカイリョウ国に侵攻した理由が、食糧問題からだ。
それなのに、当て込んでいた旧サカイリョウ国のムギルの収穫が落ち込んでしまったのだ。
旧サカイリョウ国を合わせた人口63万人に対して、今年収穫出来たムギルは55万
戦勝による恩恵の分配を期待しているナニワント本国国民の為に選んだ手段は、旧サカイリョウ国国民への税の引き上げだった。
旧サカイリョウ国国民を慰撫する為に取っていた施策が全て吹き飛んでしまった。
腐敗した旧サカイリョウ国の上層部に依って強いられていた苦しい生活が終わるかと期待させた事が失望をより大きくした。
同時に凶作になった理由がナニワント国が王族を殺した事と結び付くのは早かった。
その証拠に王族唯一の生き残りを保護したカシワール連合国は豊作だった、と云う話も同時に伝わったからだ。
サカイリョウ王家の滅亡と結び付ける民も多く、不安を越えて
失望と
不満のはけ口を向ける先と、不足する食料を求めて、豊作に沸くカシワール連合国への侵攻をナニワント国が選択するのは時間の問題だった。
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「総司令に敬礼!」
号令と共に、整列した1000人超のゴムル遣いが一斉に俺に敬礼した。
まあ、細かく見て行けば角度や指の伸びとかは満点を与えられないが、付け焼刃にしてはなかなか揃っている。
そんな評価を付けながら、俺は日本に居た頃に散々した陸自式の敬礼を見渡す様に返した。
俺が手を降ろすと、俺と向かい合う様に整列した旧東カシワール軍事同盟派遣軍1050人が少しバラけて手を降ろした。
うん、付け焼刃だからな。
各郡や各地域の軍を統合するに当たり、意外と問題になったのは敬礼だった。
立ったままする形式も有れば座ってする形式も有り、放っておくと収拾がつかなかったのだ。
勿論、装備もバラバラ、戦術思想もバラバラ、編成もバラバラ、命令系統もバラバラ、給与もバラバラ、教育内容もバラバラ、訓練方法もバラバラと云う寄せ集めなのは当然だったが、それらをすぐに統合する事は実質不可能だ。
本当の意味で統合するには5年とかの単位になるだろう。下手すれば10年掛かるかもしれない。
だが、統合の実感を早急に感じて貰う為に手っ取り早い方法が有った。
そう、問題となった敬礼だ。
カシワール郡の敬礼に統一しても文句は出なかっただろうが、ちょっとした出来事が切っ掛けで統一すべき敬礼の形が決まった。
その切っ掛けを作った本人は、貴賓席でこの式典を眺めている筈だ。
「諸君、よくぞ来てくれた。今の敬礼1つで、諸君たちがやる気に満ちている事が分かった」
俺に限らず、下っ端の兵は式典などで聞かされる偉いさんの長話を好きでは無い。
確かに、訓示や部隊外の偉いさんがする『お言葉』と云うのは必要だとは思うが、それでもせめて半分の時間に縮めてくれと云うのが本音だった。
「諸君の到着を以って、我が方の準備の大部分は終了した。後はその時に備えて、鍛錬あるのみだ。諸君の奮起を期待する」
だから、俺の訓示は可能な限り短くすると決めていた。
ここまで喋ったところで、俺はニヤリと笑った。
「さあて、朝から歩き詰めで疲れただろう? 腹も減った筈だ。まずは、腹を満たしてくれ。その後、割り当てられた兵舎に荷を降ろしたら、風呂に入って進軍で付いた汚れと汗を落としてくれ。その後、夜には歓迎の立食式の式典を予定している」
あらかじめ準備していた、食事を載せたプレートを満載した竜車が練兵場に姿を現した。
別の部隊が折り畳み式の長机を運んで来て、手際良く置いていく。
「改めて、諸君の到着を歓迎する。以上だ」
「総司令に敬礼!」
訓示前と同じ敬礼の遣り取りを終えて、俺はステージから降りた。
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と或る36歳の男性の独白
しかし、生まれた時から只者では無いと思っていたが、我が子ながら、末恐ろしいと思わざるを得んな。
まだ、13歳だぞ?
普通なら、士官学校を卒業して、見習いゴムル遣いとして各部隊で経験を積み始める歳だ。
それなのに、1000人を超えるゴムル遣いを前に、よくもまあ、あれだけ立派に振る舞えるものだ。
「さすが、ディアーク殿ですね」
そう声を掛けて来たのは、フェリックス・ダ・ハビキドル君だ。
彼とラスバブ・ダ・フジイデル君が救援を求めてやって来た時の事を今でも鮮明に思い出せる。
正直なところ、あの時にここまで2人が息子にのめり込むとは想像も出来なかった。
だが、今では信奉者と言っても良い程にディーに傾倒している。
同道した『マツバラルの衝撃』と呼ばれる合戦で、ディーたちの戦いを見てから人が違った様になった。
ディーがカシワール連合国のゴムル遣いを統べる初代総司令になったのも、ラスバブ・ダ・フジイデル君が最初に東カシワール軍事同盟の総司令に推したからだ。
「こりゃあ、お前さんも俺同様にすぐに隠居出来るな」
次に声を掛けて来たのは、ヘアナンド・ダン・カシバリだった。
昔は偶に遊びに来て、小さかった俺と遊んでくれたもんだった。
まあ、あの頃は今と違って、真面目だったから親に言われて相手をしていたんだろうがな。
真面目…? いや、そうだ、思い出した。
ハツシベ酒造の辛口の
大人同士の話し合いは退屈だとか言っていたしな。
結局、あの頃から大して変わってないな。
「だと良いがな。まあ、未だに20万を超える国民が居る国のトップをやっている事が信じられんがな」
「おう、そうだな。あんなにちっこくて、俺が頼んだ
「それは面白そうな話ですね。後で詳しく教えて貰っても?」
俺たちの会話に加わって来たのは、ウィリフリード・ダン・ハビキドル氏だ。
カシワール郡よりも大領のハビキドル郡の領主をしていて、切れ者と云う評価をされていた御仁だ。
軍事同盟締結の時の手腕を見れば、その世評も当然だろう。
だが、気が付けば自身の嫡男同様にディーの信奉者になっていた。
「ええ、構いませんよ。如何に『カシバリの狂犬』が若い頃から呑み助で悪い大人だったかと云う暴露話ですからね」
「あ、ひでえ」
その時、クスっと云う可愛らしい笑い声が聞こえた。
「あ、すみません。皆様の仲がよろしくて、楽しそうでしたから、つい」
そう言って謝ってくれたのは、10歳の少女だった。
滅んだサカイリョウ国の王族唯一の生き残りにして、カシワール連合国誕生の後押しの一端を担った少女だ。
ハネローレ・ヌ・ミクニオ元王女だ。
成人の暁には、ディーとの結婚も決まっている。
なんというか、彼女が保護を求めて来てから、西カシワール軍事同盟に参加していた領主の結束が強くなった気がする。
なんせ、ナニワント国との対決姿勢を鮮明にした理由が、政治的には彼女が授かった恩恵の影響力の大きさも有るが、どちらかと言えば、より大きな要因として心情的な『彼女を三日三晩泣かしたから』というのだから、その影響力は大きい。
そうそう、彼女の影響力の大きさは、彼女が何かの切っ掛けでした仕草がカシワール連合国軍の敬礼に採用された事からも明らかだ。
謎なのは、その仕草をされた息子たち4人が一糸乱れずに笑顔で返した理由だ。
まあ、息子たちがおかしな真似をするのは日常茶飯事なので、突っ込んだら負けだと思う事にしている。
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