後編 ワカレ

 人魚とは陸に住む妖精という種族と同様に年を取らない。海深くを泳ぎ生活する為なのか理由はワタシにも誰も分からない。ともかく人魚の中で流れる時間が陸の人間とは違う。

 魔法の実験を手伝ってほしいと頼んで来た彼と過ごして、ワタシにとってはそれ程時間が経っていないように感じていたが、彼の顔や手のシワを見て、あぁ時間が経ったんだなぁ、と実感した。

 結局これまでの実験でも、彼の満足のいく結果は得られていない。何よりも彼自身がどんな結果になれば良いのか、という事を聞いていないからワタシは分からないままだ。

 怒って好い加減に教えろと言っても、彼はその時だけは強情になり教えてくれない。何故なのかは長く付き合ってきたワタシには感づいていた。

 そもそもどんなに実験を続けても、彼の満足のいく結果など得られないからだ。

 それに確信がいったのは、シワだらけになった彼が寝台に横たわる姿を見てから。彼はいつもの申し訳なさそうに表情をして、彼の横に立つワタシに言った。


「…ごめんね。ながくつき合わせてしまって。きみはもう、気づいていたんだろ?」


 彼の言葉にワタシは無言のまま彼を見つめた。


「おれはね…悪いことをたくらんでいたんだ。…ほんとうはだめだって、わかっていたんだ。でも…あきらめきれなくて、だから故郷のだれにもだまって、こんな場所でずっと一人で…実験して…ためして、でもだめだったよ。

 みんなの言うとおり、やっぱりむりだったんだ。」


 彼はまた懺悔を口にしている。そんな彼をワタシは黙ったまま見つめる。


「…おれ、会いたいヒトがいたんだ。仲がよかった…とは言えなかったけど、でも会いたかったんだ。

 彼女は、おれのせいで…一人にしてしまって…そして二度と会えなくなった。

 おれは…会って、あやまりたかった。それだけだったんだ。でもみんな…無理だって。言われてからもずっとおれは、皆と離れて…一人になって、ずっとさがしたんだ。」


 彼の言う彼女が誰かはワタシは知っている。彼が実験の最中によく机の戸棚に大事そうにしまいつつも、時折開けては机の上に置いて眺めていたもの。

 それは小さい紙に巧妙に描かれた絵姿だった。彼はそれを小さな額に入れて大事そうにしていたのを時折見ていた。聞いてもなんでもないと言って、まどろっこそくなったワタシが彼に悪戯をするのが日課だった。

 だからよく知っていた。彼女が彼にとって本当に大事で、誰にも、ワタシにも触れさせまいとしていた事を。


「最初は…ぜったいに成功させる気…だった。でも、やっている内に…だめなんだって感じて、そして…むりだって気づいて、それでもあがいて…そしておわってしまった。

 トリトマ。こんなおれの茶番に…ずっとつきあわせてしまって…ほんとうに」

「アナタ、バカじゃないのぉ?」


 彼の言葉を遮ってまでしてワタシは言った。


「言ったわよねぇ?ワタシは自分から足を踏み入れてあなたの実験を手伝っているって。だから気にするな、いくらでもワタシの力を使いなさいって。

 なのにアナタったら、ワタシが言った事も忘れてまたそんな事を言って。本当にバカだわ!

 謝るのは良いから、サッサと手伝ってくれてありがとうって言いなさいよ!でないとまた悪戯してやるんだからねぇ!?」


 その時ワタシはどんな表情をしていたのか、自分でも分からずに彼に怒鳴り散らした。そうしてもいてもたってもいられなくなって出したワタシの想いは彼に届き、そして彼の顔は朗らかなものになった。そして目に涙を浮かべて言った。


「ごめんね。」


 結局彼はワタシに感謝の言葉を伝えぬまま、目を閉じて眠りについた。もういくら揺すろうと怒鳴り散らそうと、彼は目覚める事はない。


「…やっぱりバカだわ、アナタ。」


 ワタシはそんな彼にそれ以上何も言う事も無く、家を出た。

 そして以前から彼に言われていた通り、家に火を放った。

 油を仕込んでおいたから火はあっという間に燃え広がり、家を炎が覆い隠した。実験に使った動物は処理しておき、手付かずで無事だった動物は彼に代わってワタシが逃がしておいた。家に残るのは彼と、彼の残した実験による成果だけ。

 魔法で結界を張っておいたから火が周囲の木に燃え移る事も無く、森の中で一か所だけが炎に包まれる不思議な光景となった。

 ワタシは火を点けてからずっと燃える家を眺めていた。別に何かを待っていたわけではない。ただ無心に家から離れた場所でぼうと見ていた。

 少し経ったその瞬間、家から大きな爆発音と共に家の壁や屋根が吹き飛んだ。恐らく家の中にあった薬品に火が引火して起きたものだろう。結界で阻まれているとは言え、大きな爆風は遮られる事なく周囲は揺れた。

 すると、爆風で飛んで来たものがワタシの足元に落ちた。それは彼がよく被っていた三角に形をした帽子だ。この防止には元々魔法で強化が施されており、耐火となっていたらしい。端が少し焦げているのを見て、ワタシはクスリと笑う。


「運が良いのねぇ。良いわ。まだ使えそうだし、記念にもらっていってあげる。」


 帽子を拾い上げ、ワタシの頭に帽子を乗せて被る。そんな自分の動作にも笑えてくる。


「さようなら、人間の魔法使いさん。今度会う時は、とびきりの悪戯を返すから、覚悟していてねぇ?」


 そう言い、ワタシは焼ける家を背にして海へと帰って行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人魚の涙 humiya。 @yukimanjuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ