17 清少納言、単発バイトを始める

 僕は部屋のたたみに寝っ転がった。わりと音の聞こえやすい家なので、のび太くんがクリスマスプレゼントとしていろはカルタやら偉い人の伝記やらを与えられそうになっているのに気付いたときのように、一階の様子に聞き耳を立てる。


 母さんは怒るでもなく呆然としているようだ。清少納言も同じらしい。書斎のドアが開く音がして、父さんが「珠子ちゃん、晩ご飯なに?」といらないと言ったくせに言っている。


「まあそうなるだろうと思って用意しておきましたよ。唐揚げです」


「わあいやったあ。あれ? タビトは?」


「それがですね」


 母さんが冷静に事情を説明し、父さんはふむふむ、と相槌を打ちながら聴き、少しして階段を上がってくる音が聞こえた。


「タビト? いる?」


「いるに決まってるじゃん」


「そりゃそうか。失礼しまーす」


 父さんは部屋に入ってきて、真面目な顔で僕を見た。


「タビトはまだモラトリアムしてていい歳だ」


「……モラトリアム」


「そう。ボクなんか高校でもぼーっとしてて、就職活動なんかこれっぽっちもしなかったし、親には『大学に行かせたつもりで4年待ってやる」って言われてどうにかすべり込みで本を出した。いまの稼ぎだって珠子ちゃんに敵わない」


「……なにが言いたいの?」


「タビトがなりたいものなら何になってもいい。ホームレス生活をしたって怒ったりしないし、そうなるなら家にずっといたっていい。何かの間違いで汁男優になったって構わない」


 汁男優はさすがにまずいのでは、と思ったが、父さんの表情は真面目だ。


「結婚なんかしなくていい。子供なんか作らなくていい。行きたくないなら高校だって行かなくていい。タビトが生きたいように生きてくれればそれで満足だ」


 父さんはどこまでも大らかなのであった。


「でも学校で大人になったときのことを考えて進学しろって言うんだよ。全員ちゃんとした職に就くか大学に行くのが前提なんだ。僕は工場でラインに並んで19歳から65歳まで働き続けるしかできないんだ」


「うーん。工場の仕事が悪いとは思わない。確かに喜びに欠ける仕事かもしれないけど、それで命が救われる人はいるわけだからね」


 それもその通りだと思う。

 でも僕はそれしかできないのにそれは嫌なのだ、と伝えると、父さんはうーん、と天井を見た。


「まあ、唐揚げ冷たくなっちゃうからおいでよ。生きてるだけで丸儲けだよ」


 結論はないのか。

 とにかく1階に降りていく。


「タビト、びっくりしたよ。まあ食べなさい」


 母さんは珍しくスーパーで買ってきたそのまんまのエンゼルパイを頬張っていた。清少納言も「エンゼルパイおいしーねー」と食べている。


 唐揚げをノロノロ食べ、サラダもノロノロ食べる。母さんの料理はいつもおいしい。

 泣けてきた。


「ちょ、なに泣いてるの? 元気だせし」


 清少納言が僕を心配している。申し訳ないと思う。


「うん、大丈夫。元気だよ」


「元気な人は泣かないよ。私が変なこと言ったから落ち込んだんだね。ごめんね……」


 母さんがフォローするように言う。僕はサラダを口に突っ込み、袖口で涙を拭った。


「いまはなにか楽しいことをして、楽しいことでやりたいことはなにかないかを試してみる……というのが大事だと思うんだ」


 父さんのどこまでも楽天的なセリフにちょっと反感を覚えつつ、母さんがはたとなにか閃いた顔をした。


「タビト、清少納言さんといつものみんなで、同人誌即売会行ってみたら?」


「同人誌即売会って……コミケみたいなやつのこと? ここらでやってないでしょ」


「ところがどっこいやってるんだな。結婚式場で、仏滅の日曜日に開催されてる」


「きょう珠子さんと話してて、紙の本をどうしても出したいならドージンシって手があるって言われて」


 なるほど。僕はそれを「清少納言さんに令和教え隊」のグループチャットに流した。


『やろう』


 秒で政子ちゃんから返事がきた。


『コミケみたいなやつか? やってみようぜ』


 ゴリ山田からも返事がきた。


『仏滅日曜友の会でしょ? あれはぼくの従姉が主催してるよ』


 西園寺、お前本当に人脈がヤバいな……。


 そういうわけで僕たちは、来月から申し込みを開始するという「仏滅日曜友の会」に向けて動き始めた。


 ◇◇◇◇


 清少納言が履歴書のいらない単発バイトなる怪しげな仕事を始めた。それも同人誌の装丁を豪華にするためらしい。

 政子ちゃんもオリジナルの歌集を作り始めた。毎日コツコツと短歌を拵えている。

 ゴリ山田は清少納言の作品に挟むイラストを描き始めた。

 西園寺は趣味の模型について自慢話を書いたコピー本をこしらえようとしている。


 僕だけなんにもできていない。

 劣等感に苛まれつつも、なにかお出しできるものはないか、と思い、マロの写真集でも作るか、とスマホのカメラをマロに向けたらシャーと怒られた。解せない。


 ……マロのことなら、なにか書けるかもしれないな。

 僕は父さんのお下がり、というか押し付けられた古いパソコンで、マロの暮らしのことをコツコツと書き始めた。

 いける、いけるぞマロの話。ただどうも小さい子供向けのお話っぽい。これでいいのだろうか。あとでみんなに感想を聞かねばならない。

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