第六章 3

草原の広がる場所で食事をしている昼下がり、サラディンはある決意をして立ち上がり、座っているアリスウェイドの近くまで来てこう言った。

「アリスウェイド……あなたに預けていたものを返してもらいたい」

 そしてちらりとアフォンソを見た。

「奴との、アフォンソとの決闘だ」

 アールが気色ばんだ。

 アフォンソは、顔色ひとつ変えていない。

 アリスウェイドは、持っていたパンをそこへ置いた。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。サラディンの顔を見ると、きっちりと口を一文字に結び、瞳には強い光を湛えている。

 かつて、酒場を大混乱に陥れた若者とは思えないほどの落ち着きである。

「……いいだろう」

 アリスウェイドはゆっくりと立ち上がった。

 ルグネツァが驚いて声を上げる。

「アリスウェイド、いいの?」

 アフォンソが頭をぽりぽりとかいて、剣を片手に立ち上がった。

「決闘って、殺し合いでしょ。ジェルヴェーズ、止めて」

「下がってな。男と男のやり合いだよ」

 アフォンソとサラディンは剣を手にあちらまで歩いて行って、アリスウェイドを真ん中に向かい合った。

「双方、一本勝負だ。尋常に、いざ」

 キィン、という金属と金属がぶつかり合う激しい音がした。次いでザザッという地面を蹴る音が連続して起こって、アフォンソが飛んだ。

「!」

 ギィン、という聞き苦しい音と共に、打ち込まれてサラディンがアフォンソの剣を防いだ。赤い顔で、ぎりぎりぎりという音をさせてサラディンは防戦一方である。なんとか打ち返して、それから両者は草原のむこうまで向かい合って走った。

 審判のアリスウェイドも走った。

 ルグネツァとジェルヴェーズもそれを追った。

 キィン、キィンという連続した金属音が草原に響いた。

「見ていられないわ。ジェルヴェーズ、平気なの?」

「ああ。この勝負、はなから見えてるね」

「そうだな」

 ジェルヴェーズが呟くと、アールもそれにこたえた。

「残念だが、あいつが勝つのはもう見えてる。サラディンが旅を始めた時には、あいつはもう戦士として身を立ててた」

「技術、筋力、腕力、脚力、体力、経験、どこを取ってもサラディンはアフォンソには勝てない」

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

 剣と剣が打ち合って、火花が飛んでいる。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

「……」

 なに?

 ルグネツァ、私の手を取れ。

 キィン、キィンという澄んだ音が、耳を突く。火花が散る。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

 目を瞑る。火花が飛んだ。

 目を開けると、ちょうどアフォンソがサラディンの剣を弾いたところであった。アフォンソがその剣をサラディンの首に突きつけた。

「――殺せ」

 サラディンは、痛むのであろうか、片手を押さえながら呻くように言った。

「お前の勝ちだ。殺せ」

 しかし、アフォンソはすっと切っ先を下ろした。

「仲間は殺さない」

 そして先程まで食事をしていた場所まで戻ろうと歩き出すと、審判のアリスウェイドに小さくうなづいて見せた。アリスウェイドも、うむ、と小さくうなづいたのみで、なにも言わなかった。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

 目を開けても目を閉じても、雷鳴のような光が瞬いている。

 ルグネツァ、おいで。

 思い出した――

 ラズグラド、私は――。

「ルグネツァ、行こう」

 アールに促されて、ルグネツァははっとした。

「え、うん」

 うかない顔で、歩き出す。

 思い出した――

 一方のサラディンは、片手を押さえたまま草原で茫然としていた。そしてそこに、仰向けになった。

「あーあー」

 青いな……なんてきれいな空だ

 サラディンはアフォンソとの戦いを頭の中で反芻して少しだけ口元に笑みを浮かべた。 ――父上……これでよかったのですね

 戦いの中で、サラディンはアフォンソの向こうに父を見た。父の腕を見、父の動きを見、その厳しかった瞳を見た。父と戦い、剣を交えたアフォンソは、父の言いたいことを代弁し無言で伝えるために彼と戦ったのだ。

 サラディンが戦っていたひとしきり、相手はアフォンソ・クラウディオではなく彼の父そのものだった。

 そして剣の一太刀一太刀は彼にこう告げた――

 サラディン、世界はお前が思っているほど狭くはない。空はお前が思っているほど低くはなく、お前が思っているよりもずっと青い。

 目を見開いて世界を見ろ――二つの目だけではなくその心の目をも見開いて。

 私は父としてそれをお前に言いたかった――

 彼はそっと目を閉じた。

 そうだ――空はもっと高い。もっと青い。まだまだ世界には、色々な人々がいて色々なことがある。俺は、まだその半分も見ていない筈だ。

 ――心を解き放て。そうすれば、狭い肉体を越えて魂までもが自由になれる。

 空を見つめるサラディンの目の前を、ぬっとジェルヴェーズが覗き込んだ。

「わっ」

 彼は慌てて起き上がった。

「な、なんだ。いきなり」

「そろそろ戻っておいでよ」

「なんのことだ」

「さっき、打たれたろ。肩」

「え、あ、う」

「痛いのも、そろそろ治まったろ。だから、戻っておいで」

「……負けた身で、今更どうやって戻れというんだ」

「俺は負けましたという顔で戻ればいいんだ」

「ひどいなあ」

「ほら」

 ジェルヴェーズに促されて、サラディンは渋々立ち上がった。そして前を行く彼女を追いかけた。

 そんな彼のことなど知らぬ顔で、仲間たちは食事を続けていた。

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