第五章 8

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 移民の援助・人権保護のために設けられた移民会館に立てこもり不当な要求をした三十人の男たちを全員死なすことなく捕縛し、また十五人の人質を無傷のまま救出した立役者として、その年ジェルヴェーズは異例の昇格を果たした。

 十六の時に単身、生まれ故郷のジアイーダからレスト大陸へ渡り、そのまま入団したのが近衛三隊、それだけでも当時はかなりの話題を呼んだものだったが、翌年のシュルツワーゼ会戦、続いてリオリィル会戦で功労を上げたジェルヴェーズは十七で近衛四隊に昇格していた。

 それよりたった二年、十代で親衛隊に昇格を果たし、それがソーン創立以来初の女騎士となれば、彼女を知らない者はいないと言ってよかったろう。

 親衛隊は全部で四隊からなる構成で、当時は四隊すべてで二十五人前後の騎士がいたはずだ。

 覚めたものの見方は当時から変わることはなく、こんな性格だから、親衛隊に昇格してああよかったなとは思いこそすれ、興奮したり嬉しくて嬉しくてしょうがないというそぶりは一切なかった。誇りには思うが過剰な自負とも違う。いつも風のようで氷のように冷静、それがジェルヴェーズであった。が、だからといって他人を馬鹿にするような態度はなく、あくまで相手を尊重した言動や態度に、とっつきにくく愛想のない女ではあるがいい奴らしいというのが、親衛隊での風評であった。

 騎士団の任務は、戦時には戦地に赴いて戦うことから始まり、大司祭の周辺警護、司祭たちの移動時の護衛、城内の見回り、市井での取り締まりと巡邏と幅広い。

 親衛隊といえどそれらの例に漏れることはなく、言ってみれば親衛隊だからこんな仕事はしない、とか、こういう仕事は騎士隊がするもの、などという隔たりが、ソーンには一切ない。

 親衛隊は夜の城内の見回りもすれば、街へ出て市民と触れ合い苦情を聞きもする。この任務はあの任務よりも大切だとか重要だとかの位置付けもなく、極端な話をしてしまうと大司祭の身辺警護も城内の見回りも同じ位重要なものと考えている。

 だからジェルヴェーズも、親衛隊に昇格したからといって街の見回りがなくなるというわけではなく、その日も近衛隊の数名と共に街を見回っているところであった。

「ああ、ジェルヴェーズさん。聞きましたよ、親衛隊に昇格されたとか。おめでとうございます貴女ならやると思っていましたよ」

 と、にこやかに話し掛けてきたのは、髪にぽつぽつ白いものの混じり始めてきた男で、口髭をたくわえ、がっしりとした体格の一見紳士風の男だ。このように何度もあちこちを持ち回って巡回する内に顔見知りとなり、声をかけてくる市民は多くいる。

「シュミットさん。どうも」

 相変わらず無愛想だったが、それでもジェルヴェーズは気を許した態度でこたえた。

 そう言えば彼の家はここから近くだったかな、と、前回の巡邏地区を思い返しながら、ジェルヴェーズは別の者にも挨拶をして立ち去るシュミットの背中を見ながら考えていた。「今の人だろ」

「ああ」

 近衛の者が密かに言うのを、ジェルヴェーズは聞こえていないでもなかった。

 街の名士シュミットの娘は、今から二年前、ちょうどジェルヴェーズが近衛四隊に入って間もなくの頃に殺された。まだ六歳で、茶色の髪をいつも二つにしばり、鞠のようにはねまわる大変かわいらしい子供であった。リッツェという名前だったが、皆にはリジーと呼ばれて可愛がられていた。

 笑い声は明るく、いつもにこにこしていて、ジェルヴェーズも何度も巡回の時に会った事がある。こういう女だから子供を相手に笑顔で接したり他の者のように短い間ではあるが遊んでやったりなどはしなかったが、無愛想なジェルヴェーズの本質を見抜いて、彼女を見つけると喜んで走り寄ってきたりしていたものである。

 シュミットは大した人格者で、自分の近隣の者で貧しくて病気になったり、病気をして突然仕事がなくなってその日の食事もできないような者に薬代を用立ててやったり、仕事を世話したりしてやっている。

 いつも笑顔が絶えず、柔らかな物腰と紳士的な態度は、男女を問わず好かれるはずであった。そのシュミットの娘がいなくなったと聞いて、地元の人間は夜を徹してあちこちを探してくれたほどであった。

 リジーが殺されたと聞いたとき、さすがのジェルヴェーズも随分と衝撃を受けた。

 ある日突然行方不明になり、三日後に城下の港に浮いていた。

 捜索願いを受けて、騎士団はリジーを探し回った。たまたま当時その地区の担当であったジェルヴェーズも、部下や同僚たちと共に必死に探し回った。そしてリジーの死体を発見したのもジェルヴェーズの班であった。

 いまだに忘れられない、うつぶせになってぷかぷかと浮かぶ、浮腫んだ子供の死体。見覚えのある服、見覚えのある髪。あちこちが傷だらけで、見るに耐えない有り様であった。 身体の震えがとまらず、顔面が蒼白になっている近衛三隊の者の代わりに、自分が死体を引き上げた記憶はまだ新しい。

 そのリジーを失って、シュミットの悲しみようは一通りのものではなかった。死体に縋りつき、辺りを憚らず大声で泣き、涙は止まるところを知らないようだった。妻を早くに亡くし、その妻と同じ髪の色をした娘を、文字通り溺愛していたシュミットであった。犯人は、まだ捕まらない。

 ハースヴォンは治安がいいというのがこの国の謳い文句である。特に性犯罪や殺人に関しては厳しい対処をしているが、増えない代わりに減るというものでもない。その証拠に、昨日も若い男と中年の男性が別々の地区で殺され、前者は刺殺で後者は絞殺だそうだ。

 本部に戻り、打ちあわせが始まった。

 ここの地区は最近空気が荒れている感じだとか、あそこの地区は学校に進学した子供が多いから一定の時間帯は注意が必要など各受け持ちの地区のことを言い合い、班長はそれを記録しておいて班の次の受け持ちに渡す。

 四か月に一度、巡邏の係は回ってくるが、あちこちの地区を交代でやっているとそうでもしないと受け持ちの地区の事情がわからなくなってしまう。

 間もなくジェルヴェーズは巡邏から城内の受け持ちとなり、しばらく城下の話を聞くこともなく、それなりの毎日が続いていた。

 そしてその四か月後、ジェルヴェーズが城下の巡邏になった時、記録帳を見てジェルヴェーズは眉を寄せた。

 自分が次の勤務にまわってすぐ、若い女性が殺されている。海に放り込まれて死んだらしいが、ジェルヴェーズが不可解に思ったのは、被害者の恋人の申し立てだ。

「あいつらにやられたんだ」

 記録帳にはそう書かれていた。

 ――あいつら?

 ジェルヴェーズは記録をつけた本人の署名を見て昼食の時に彼をつかまえ、どういう話なのかを聞いた。

「あれか」

 聞いた途端、同僚は顔を顰めた。同僚と言っても、相手は十二歳も年上の親衛隊だ。「ひどい事件だった。被害者の恋人というのが、被害者がいなくなる直前ある女と一緒なのを見たと言ってな」

「女?」

「その女は、まあ盛り場の品のよろしくない連中としょっちゅういることくらいは知られている奴でな。――被害者の女性は、……痣がたくさんあったんだよ」

「強姦か」

 無表情にいつもの口調で言ったその言葉を聞いて、側にいた近衛の者がぶっ、と飲んでいた水を吹きだした。食事中である。

「それが……厄介でな。死体は港で見つかった。あの辺は小さな船も頻繁に出入りする。 そもそも見つかった死体がその船の推進装置に巻き込まれていたからなんだ」

「そうか……」

 ジェルヴェーズは言葉を飲み込んだ。強姦ならば、検死で死体を調べればすぐにわかる。 が、推進装置に巻き込まれていたというのなら、その傷が無数に身体につく。推進装置でついた傷なのか強姦でやられた傷なのか、検死官は判断できなかったということだ。

「被害者の恋人は何度も連中を調べてくれと言ったらしいが、どれだけ黒に近くても証拠がないだろう。死亡推定時刻は幅があったし、連中にはアリバイもあった。証拠がない以上は、無理だった」

 やりきれなかったよ、と同僚は言った。ジェルヴェーズも同じ思いだった。話を聞いただけでも痛々しいのに、実際に当番だったらもっと嫌な思いをしていただろう。

 ため息をついてジェルヴェーズは食事を終え、静かに立ち上がって食堂を後にした。

 それから数か月、ジェルヴェーズは城下巡邏の任務から外れていた。

 なんのことはない、騎士団は多くの任務を受け持っているため、それらが煩雑になってくると当然のこと受け持つはずの四か月の間隔は広くなっていく。激務に追われ、ジェルヴェーズは市井のことなどとんと忘れて仕事に励んでいた。

 戦があったこともあった。また、近くの森に巣食う百人規模からの盗賊たちを一掃したこともあった。この任務は半年近くもかかる大仕事だったと記憶している。

 親衛隊に昇格して二年、ジェルヴェーズは二十一歳になっていた。

 国外での任務も多かったため、ジェルヴェーズが帰国して久し振りの食堂の食事をしていた時、顔見知りが隣の席でため息をついているのを、彼女は偶然聞いてしまった。顔を上げると、すまんなと彼は言い、ジェルヴェーズはなにかあったのかと聞いた。

「一件殺人があった」

 どうやら彼は現在巡邏の任務についているらしい。

 班長は重々しい口調で渋い顔のまま言った。殺人は、総合的に見れば多く聞こえるかもしれないが、滅多に起こることはない。

「どんな?」

「被害者は盛り場で女を食い物にしているような男でな。目撃者がいる」

「なんで捕まえなかった」

「目撃された時間、容疑者は酒場で知り合いと食事をしていた。証人も大勢いる」

 記録帳をちらりと見た。目撃されたという容疑者は、数か月前強姦の疑いのある死体で発見された女性の、恋人だった男だ。

「――」

「どう思う」

 復讐ではないか、ちらりと考えた。恋人が強姦されたかもしれず、しかも殺されている。 が、男が殺されたと推定される時間には、この容疑者はまったく離れた場所にいて食事をしている。それは大勢が見ていたことだ。

「あちこちに復讐されるようなことしてたんじゃないの」

 ジェルヴェーズは言った。ヒモのような生活をしていたのなら、恨みをかうことなど日常茶飯事のはずだ。

「やっぱりそう思うか。厄介なんだよな」

 殺された人間がそういう類である為、騎士団としてもあまり捜査に積極的ではない。なにしろ、殺されたディランという男が出入りしていたあちこちの酒場に話を聞きに行くと、昨夜の厚化粧もそのままの女たちが、口を揃えてあんな奴は死んだほうがよかったと言っているそうだ。

「すごいね。商売女に言われるって」

「犯人が見つかったら自分たちが褒賞をやりたいくらいだと言われた。こんなのは初めてだよ」

 班長はため息まじりでそう言った。結局、数か月足らずでその捜査は終わりになったらしい。犯人を探してほしいとの訴えもなかったし、人の役に立つどころか正反対の男を殺した犯人を探すためだけに人数と時間を割くほど、騎士団は暇ではない。

 当時ハースヴォンの領地一帯には、海では海賊、陸では盗賊の横行が目立っており、騎士団はもっぱらそちらの対処に追われていた。

 治安が良いはずのハースヴォン周辺にそういった輩が増えたのには、一つは領地と一口に言っても広大で、王国内の治安は騎士団の名の下に保たれているが、その外までは騎士団の範疇でないこと、もう一つは隣国で勃発した戦の影響ということが上げられる。

 戦そのものはすでに終わっているはずだが、放っておかれたままの死人から持ち物を剥ぎ取ったり、又は敗残兵となった方の下級兵士などがそのまま盗賊に身を落とすことが多い。

 やれやれ、とジェルヴェーズは思った。これではなかなか国内の任務につくことができない。親衛隊などは、もっぱら大司祭の周辺の仕事だけだと思っていたのだが。

 それから数か月が経ち、ジェルヴェーズにまた巡邏の番がまわって来た。その途端に、おかしな事件があったという報告があった。

 女が一人、頭を殴られて担ぎ込まれたという。殺人未遂だ。

 ハースヴォンの外ならばともかく、騎士団の厳戒な管理体制の下そもそも殺人が起こる事そのものが珍しい。しかも、自分の担当した月で起こる事も稀だ。

「班長、ちょっと来てもらえませんか」

 班の若い騎士が入ってきた。ジェルヴェーズが身体を乗り出すと、

「ちょっと複雑でして」

 困った顔をしている。

 その女のいるという部屋へ案内される道すがら、ジェルヴェーズは彼の言った複雑なものの説明をさせた。

 まず、担ぎ込まれた女の名はリル。お世辞にも品のいい女とはいえず、仕事もなにをしているのか見当がつかない。恐らくたまにカモを見つけては身体を売ったり、誰か男と組んで美人局つつもたせのようなことをしているのだろうとその騎士は言った。

「ここからが複雑なんです」

 リルがしょっちゅうつるんでいるという男は、数か月前殺されたディランという名前の男らしい。記録帳を見るまで気がつかなかったが、いつぞや食堂で聞いた男のことだ。そして、リルははっきりとではないが自分の頭を鈍器で殴りつけた男を見ている。

 その男というのが、恋人を強姦され殺され、怪しい奴らがいるから調べてくれと言ったあの男だというのである。

「……はあ」

「その男の名前はレネルというそうです」

「つまり、こういうわけ」

 ジェルヴェーズはこんがらがる頭の中を整理しながら言った。

「一、レネルの恋人は強姦されていた傾向があり、殺された。レネルはあいつらがやったんだ、と言った。それらしき女と殺された恋人が一緒だったとも言った。

 二、それらしき女というのが今日運ばれたリルという女で、リルはレネルらしき男に殴られたと言っている。

 三、リルは数か月前殺されたディランとつるんでいた。

 とまあ、こういうこと?」

「お見事です」

 騎士は大真面目な顔をして言い、さらにディランの相棒だった男も一年ほど前に殺されているという。殺人は頻繁にあるわけではないから記録帳から探すのもそう苦労はなく、すぐに確認できたとも彼は言った。

「レネルという男は既に騎士隊の者が監視をしています」

 ジェルヴェーズはうなづいた。ちょうどその時部屋に着き、騎士が開けた扉の向こうに入った途端、ジェルヴェーズは一瞬眉を寄せた。

 振り撒いたかのような香水の匂いが立ち込めている。しかも、頭痛がしてくるほどに安い香水だ。

 診察室には顔見知りの年老いた医師がうんざりした顔でカーテンの向こうに向かって適当にうなづいている。班の者が二人、側に立っているが、同じような辟易顔だ。そして、カーテンの向こうで先程からえらい勢いでがなりまくっているのが、恐らくはリルという女であろう。

「いいから早くあの男を捕まえなさいよ! あたしは被害者なのよ!? 騎士団騎士団ってえっらそうにしてて肝腎のことはなんにもできないじゃない!」

「班長」

 ジェルヴェーズに気づいた騎士が思わずそちらを見る。ご苦労、と小さく言い、ジェルヴェーズはカーテンをひいた。香水の匂いが一段と強くなり、わからぬ程度に顔を顰める。 あら、という女の声がする。

「被害者の方ですね。月番巡邏班班長のジェルヴェーズです。お話を聞きましょう」

 リルという女は事情を話し始めた。だいたいは道すがら騎士に聞いたのと同じ話で、後は仕事の愚痴や稼ぎの悪さを嘆く話だ。ジェルヴェーズは聞くふりをしてリルを観察してみた。

 三十少し前だろう。しかし肌はぼろぼろに荒れていて、それを隠そうとして化粧の上塗りをしているのでとてもとても直視できない。ぼってりとした唇に、親の仇のような赤い口紅。病気ですか? と思わず聞きたくなってしまうほど真っ青な瞼。裏通りの娼婦のほうが、まだおとなしい化粧をしようというものだ。

 服装はどぎつい赤の上着に紫のスカート。どこをどうやったらこんな色を組み合わせられるんだ、とジェルヴェーズは心中で毒づいた。髪は今酒場の女たちの間で流行っている髪形で、髪を何本も細かく細かく編んでしばらく癖をつけ、それを一週間ほどやっておいてほどくというものだ。それをすると、まるで天然の巻き毛のように派手やかに華やかになるのだ。

 裏通りに居つづけて相当になるな、とジェルヴェーズは見当をつけた。

「なにか心当たりは?」

 聞かれて、リルは鉛の棒を飲み込んだような顔になった。あるんだな、とジェルヴェーズは思った。

「な、ないわよ。あるわけないでしょ!」

 じゃあどうして殺されかれたりするんですと別の騎士が言い、またなにやら喚きちらしている。あまりにもうるさくてうんざりしてきたジェルヴェーズは、部下には悪いが、班長の特権で後は頼むと言ってそそくさと出て行ってしまった。

 数日後、リルが護衛の依頼をしたというので、班長会議で詮議をした後、ジェルヴェーズの班から数人が護衛に当たることになった。その時の班の者の、口には出せないがはっきりと嫌だという表情を、ジェルヴェーズは忘れることができない。

「私だって嫌だけどね」

 ぽつりと言い、ジェルヴェーズはこれも仕事だよと班員に言った。

 彼女はいつも独り言を言うくらいの声で話すし、どんな時も声を荒げることはなく淡々と話すので、班員たちは全身全霊で彼女の話を聞いている。下手をすると聞き逃すからだ。

 騎士の務めとは何かと聞かれれば、弱き市民の代わりに戦い、彼らを守り、その生活の最低限の安全を保障することにある。たとえそれが、どんな人間でもだ。

 弱い者を守るべき立場にいる者が、相手の選り好みをしているようでは弱い人間を守ることにはならない。

 で、無論のことジェルヴェーズもリルの警護にあたることになった。殺人未遂で怪我などをして身の危険を感じた場合、市民は市井の治安を預かる騎士団に護衛を要請する権利を持っている。

「あらあ、あんたなの」

 髪を弄びながらリルは彼女を迎えた。

「この間は気がつかなかったけど、あんた騎士団で女ひとりなんだってえ?」

 ジェルヴェーズは無表情のまま彼女に近づき、側に立った。リルは侮蔑に満ちた笑みを口元に浮かべ、どこかで買ってきた駄菓子を口の中で転がしている。

「毎晩の相手に事欠かなくていいわねえ。おまけに小銭も稼げるじゃん」

 注意しようとした騎士を止め、ジェルヴェーズは小さく首を振って見せた。

「それに噂じゃああんた大司祭と寝て騎士団に入ったらしいじゃん。そうよねーでなかったらそんなに若いのに親衛隊なんか入れないもん。やるう」

「……」

 ジェルヴェーズはとうとう一言も話さず、表情を乱すことなく彼女の話を聞いていた。 リルは初めこそ面白がっていたが、やがてやりがいがなくなったらしく不機嫌な顔になってそっぽをむいてしまった。不愉快な女だ。ジェルヴェーズは口に出さずにそう思った。

 その不愉快な女の警護は長く続いた。監視下にある生活はリルを苛立たせ、いつ襲われるかわからないという不安も募って彼女は騎士団に八つ当たりを繰り返した。

「どうなってんのよ! 早く捕まえなさいよあのクズ男を!」

 そう言われて思い出した、恋人を殺されたレネルという男のことを。報告では、怪しい素振りは見られないという。ジェルヴェーズは直感した。

 この女は、レネルの恋人の死と関わりを持っている。でなければレネルに狙われるはずがない。殺されたディランという男とリルは悪事を働く時に必ずつるんでいたと言うし、去年殺された男もこの二人とは頻繁に手を組んでいる。

 あちこちに散らばって一見関係のないように見える事件の糸が、段々と繋がってきた。 恐らくリルを襲い、二人の男を殺したのもレネルであろう。なぜというなら、恋人が殺される直前にリルと恋人がいたのを見ている、それだけで充分すぎるほどだ。

 ジェルヴェーズは単独で彼女の護衛のみに集中した。

 一か月もすると、日中どころか夜住まいにまでついて来るジェルヴェーズを、リルの方がうるさがるようになってきた。

「あんたさあ」

 うんざりした態で、昼食の手を止め身を乗り出してリルは言った。

「ちょっとうっとうしいのよね。なんでもかんでもついてくりゃいいってもんじゃないのよ。厠くらい一人で行かせてくれたって」

「任務ですので」

「ばっかじゃないの? そんなとこにまで来て誰が殺そうなんて考えるっていうのさ。馬鹿の一つ覚えで側にいればいいってもんじゃないのよ。いいから早くあの男を捕まえなさいよ」

 いつもは暖簾に腕押しで黙っているジェルヴェーズが、なにを思ったかじろりとリルを見た。

「な、なによ」

「善良な市民に殺される覚えでもおありですか。どんな覚えなのか、聞きたいものです」

「――」

 いつもは黙って聞き流すジェルヴェーズの思わぬ反撃に、リルはなんともいえない顔となり、口の中でぶつぶつ言ってはいたが、その内に黙ってしまった。

 これだけの長期間一人の人間を警護していると、大抵は情が移るものだ。それはジェルヴェーズといえど例外ではなかったが、今回だけは違った。

 リルは、一緒にいればいるほど嫌になっていく女だった。そわそわとして落ち着きがなく、話すことといえば下品な話題ばかりで、男と寝ること以外なにも考えていない。

 ある日郵便受けから手紙を取って中身を読んだリルは、ちょっと顔色を変えて周囲を見渡し、手紙を側の蝋燭の火にくべてしまうとショールを羽織った。

「どちらへ」

「ちょっと知り合いと会いたいのよ。二人で会いたいの。あんたは来なくていいから」

「そういうわけにはいきません」

 嫌がるリルの後ろから、ジェルヴェーズは無理矢理ついていった。護衛が続いて二か月――犯人が、レネルが動くとしたらそろそろ今ごろが我慢の限界だろう。

 何度も何度も彼女を撒こうとして失敗したリルは、うろうろとあちこちの街路を意味もなく歩き回りつづけ、とうとう痺れを切らし、突然走り始めた。

 ジェルヴェーズの油断と言われれば、まったくその通りになる。

 とにかくジェルヴェーズは街路を何度も何度も曲がってリルを追い、走りながらふところから出した笛を呼び鳴らした。これを聞いた班の者が、異変を察知して集まってくるはずだ。別の地区の者も、手隙があれば応援に来てくれるかもしれない。

 そして完全にリルを見失い、煉瓦の壁に囲まれた狭い十字路でどうしようか迷った時、向こうの方からリルの悲鳴が聞こえた。

 するどく舌打ちをし、ジェルヴェーズはその声の方へ一目散で走った。潮の香りがきつくなってきた。港に近い。

「ぎゃああああ! たたたたすけてえっ!」

 案の定、港に山積みされた木箱の側で、リルは追い詰められていた。彼女が硬直して見ている方向はちょうど建物の影で、ここからは誰だかはわからない。

 間に合ったか、とジェルヴェーズは抜刀しながらどこかで安心していた。

 リルの前に立ちはだかり、建物の影からゆっくり歩いてくる人影と対峙する。月光で、その人影が持っている鋭いナイフの刃がキラリと光った。レネルだな、とジェルヴェーズが思った瞬間、建物の影から出てきた人物の顔が月の光にくっきりと照らされて見えた。

 ジェルヴェーズは硬直した。

「――」

 そこに立っていたのは、シュミットだった。

「嘘だ!」

 ジェルヴェーズは思わず叫んだ。どうしてシュミットがこの女を?

 身体が動かない。手がカタカタと震えている。初めて戦場に行った時にも震えなかったこの自分の身体が、まるで自分自身ではないかのように震えている。

「シュミットさん……どうしてあなたが」

「ジェルヴェーズ……そこをどくんだ」

 ぞっとするほど冷たい声。ジェルヴェーズは足が竦むのを感じた。遠くの方で、部下たちが自分を呼ぶ声がする。

「どくんだ!」

「だめだ!」

 ジェルヴェーズは自分に喝を入れるように叫んだ。その声で、部下たちが聞こえたかと互いに叫び合っている。今のは班長の声だ。

「ど……どうしてあなたが? この女とは何の関係も」

「娘を殺したんだ」

 シュミットは血の出るような叫びを発した。ジェルヴェーズの知っている彼ではなかった。

「む……娘って……リジー? どうして」

 声が震えている。自分の知らない、知るはずのない無残な現実が明るみに出ようとしている。

「この女はあいつらに言われて娘を連れて行き、そのせいで娘は殺された。あの若者の恋人もそうだ! あいつらは目をつけた人間を片っ端からこの女に連れてこさせて犯し、その後に殺したんだ!」

 リルは怯えて頭を抱えこんでいる。

「そん……リジーまでそんなことは」

「あったんだ! 娘は強姦されたんだ。まだ六つだったのに。その女はあいつらに金を掴まされて娘をあいつらの所まで連れて行ったんだ!」

「知らなかったのよぉ!」

 リルは激昂するシュミットの怒鳴り声に耐え切れなくなったように叫んだ。

「な……?」

「あいつらは最初あの子をさらって金を取ろうって言ったのよ! でも連れて行ったらディランの方が妙な気を起こして……ま、まさかあんなひどいことするとは思わなかったの! 本当よ信じて!」

「あの若者の恋人にも同じ事をしたな! わざといい服を着て安心させ連れて行ったんだろう!」

「殺すなんて思わなかったのよ! ただちょっと可愛がってやりたいからって言われ

て……殺すなんて思ってなかったの!」

 二人のやりとりの間、ジェルヴェーズは顔面蒼白になってかたかたと震え、剣を構えたまま硬直していた。その騒ぎを聞きつけて巡邏の者がぞくぞくと集まって来、三人は騎士団の者に囲まれた。

「班長……!」

「来るな!」

 シュミットは怒鳴った。その間にも、騎士団の人間はジェルヴェーズのすぐ側まで近づいてきている。剣を振り下ろせば斬れる距離だ。

「さあジェルヴェーズ……聞いただろう。この女のせいで娘も、それからあの若者の恋人も殺されたんだ。ただ殺されたんじゃない……何度も何度も代わる代わる交代で犯したんだ。娘はまだ六つだった……さあどいてくれ。仇を討つ」

「だめだ」

 ジェルヴェーズはやっとのことで言った。周囲は騎士団が囲み、固唾を飲んで成り行きを見守っている。誰かがジェルヴェーズの名を叫んだが、彼女は来るなと怒鳴った。

「ジェルヴェーズ! どくんだ!」

 シュミットの顔に焦りが見え始めた。どかなければ、彼は親しくしていたジェルヴェーズすらその刃にかけるだろう。そしてそうしてしまえば、リルには手出しはできなくなる。

「嫌だ」

「どいてくれ!」

 悲痛な叫びであった。ジェルヴェーズはいつの間にか涙を流しながら、必死でどくまいとシュミットを睨んでいた。背後で彼に怯え、慄いているのは、罪人かもしれないが市民でもあった。

 この女が嫌いだった。下品で、落ち着きがなくて、いつも人を馬鹿にすることで自分の存在を確かめようとする嫌な女であった。しかし嫌いだからといって、不当に命を狙われているこの女を差し出そうとするのは間違いだ。

 騎士は弱い者を守るもの。弱い者を守るべき立場にいる者が、相手の選り好みをしているようでは弱い人間を守ることにはならない。

「どくんだ!」

「駄目だ!」

 ジェルヴェーズはしぼり出すように叫んだ。

「今どいたら、私は騎士でなくなる。シュミット、確かにこの女は悪いかもしれない。リジーが殺される原因になったかもしれない。でもあんたの手で殺しちゃだめだ。それは間違ったことだ。後ろ向きなことだ。頼むから……それをしまって。この女はきっと裁かれるから」

「いやだ。娘に誓ったんだ。必ず復讐すると。あの二人とこの女、そして残る二人を血祭りにあげると誓ったんだ!」

 あの二人まで……。

 ジェルヴェーズは絶望にくれながら、しかし剣を降ろそうとしなかった。リルがどのような悪事をしたとはいえ、目の前に彼女を殺そうとしている人間がいる以上は、彼女を守らねばならない。なぜなら自分は騎士だから。

「頼むからどいてくれ……」

 しかしシュミットは、ジェルヴェーズを刺せる位置まで近づいていながらその場に崩れた。待ちかねたように騎士団の者が走り寄ってナイフを取り上げる。リルの泣き叫ぶ声。

 ジェルヴェーズはへなへなとそこへ座り込んでしまった。



 結局、ディランと前の年に殺された彼の相棒はシュミットが殺したということがわかった。彼の娘のリジーも、そしてレネルの恋人も、ディランとその仲間によって強姦され殺されていた。

 彼は地元の名士としての人脈を使って真相を暴き出し、証拠がない上はと自分で彼らを裁くことにしたのだという。

 殺された二人の他に強姦に加わった者は二人おり、これはシュミットの話を聞いた騎士団の者によって既に捕縛されている。

 リルは、犯行には加わってはいないものの、リジーとレネルの恋人を安心させ連れて行くという役目を引き受けた科≪とが≫で投獄された。彼女の頭の傷だが、鈍器で殴打したのはレネルらしい。偶然街で見かけて、ふらふらとついていきカッとなってやってしまったという。

 彼のアリバイの証言に関しては、酒場という煩雑な場所ということもあり、人々は明らかにこの時間にいた、という風には断言できず、しかし馴染みのレネルがなにか困ったことになっているらしいので助けるつもりになったようだ。

 彼をよく知る者たちは、彼の境遇に皆一様に同情している。レネルは傷害でリルに訴えられてもおかしくなかったが、リルは彼を訴えないと言った。自分はいいから、彼の罪をなるべく減らしてほしいとも言ったという。

 起訴する者がいなかったので、レネルは傷害に関しては厳重な注意を受けただけで済んだ。

 ハースヴォン始まって以来の痛ましい事件は人々の知るところとなり、その悲惨さに誰もが眉を寄せたという。人情家で慈善家のシュミットの嘆き、それを知っていながらリルを守るしかなかったジェルヴェーズにも、人々の悲哀は寄せられた。シュミットは投獄された。ジェルヴェーズは。

 ジェルヴェーズは、騎士団を辞めた。

 騎士であることの意味が、わからなくなったという。



「……」

「ジェルヴェーズは、あなた方に言いたくてもどうしても言えないでしょう。痛々しい、むごい事件でした。ソーンを、ハースヴォンを去るという彼女を、我々は止めることができなかった。それほどひどい事件だったのです」

 すべてを聞いた大司祭は痛ましげに眉を寄せ、深いため息をひとつついただけであったという。

「消息は、一切知られませんでした。ジェルヴェーズにとってこの地は未だ痛みを訴える傷のある地。彼女は二度と、この地を訪れることはないだろうと思っていました」

 しかし今、アドヴィエスの暗躍と仲間が関係があるらしく、その為に心を痛めた仲間の為にジェルヴェーズは自らの傷口を両手で押し開こうとしているという。

「あなた方が羨ましい気がします」

 騎士レイダンはサラディンを見た。

「あなた方と一緒に旅をしていたからこそ、ジェルヴェーズはそこまで変わることができたのでしょう」

 騎士は胸に手を置き、それこそが我々の目指す仲間同士の在り方というものですと言った。

 サラディンはため息をついて騎士と別れ、部屋に戻った。そしてしばらく一人になってものを考えていたが、アールたちが戻ってくると、騎士に聞いた話を彼らにそっと話して聞かせた。

「そうか。そんなことが……」

 アリスウェイドは痛まし気に眉を寄せた。

「知らないとはいえ、むごいことをさせてしまったな」

「ただの不愛想な強い姉ちゃんだと思ってた」

 アフォンソはぼそりとそんなことを呟くと、夕闇がせまる街並みに目を向けた。

「それもそうだけど、これからのこと、どうするんだ」

 アールが言う。

「王様会議に乗じて、ルグネツァを救出するんだろ」

「そうだったな」

 大司祭の行動は早く、声明は一週間後に出された。

 大国の発表に、世界は驚いた。そして各国はそれを呑み、小国アドヴィエスは、それに逆らうことができなかったのである。

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