第五章 7
サラディンは昼寝にも飽きて、性懲りもなく城内を歩いてみようという気になった。
あちこちを歩いて絨毯の色がどうなったら変わるのか、赤はなにで緑はなんなのか、青を辿っていくとどうなるのかとうろうろしていく内、サラディンは自分がどうやってここまで来たかわからなくなってしまった。
「あちゃー困ったなあ」
と、きょろきょろしていた調度その声を聞きつけて、側の廊下を歩いていた騎士が立ち止まって戻ってきた。
「いかがなさいましたかな」
その騎士は、襟章をつけていた。サラディンの目は思わずそれに釘付けになった。
「――お客人?」
「あ、いえ、あの、えと、あの……ま、迷っちゃって」
騎士は溶けいるような笑顔になった。既に、七隻もの艦で迎えに行った客人の話は聞いているはずだ。
「それではご案内致しましょう」
と、用があってどこかに行くはずであったにも関わらず、サラディンと並んで歩き出した。背が高く、がっしりとした体格をしているが、太っているというわけでもない。鍛えてあるのだろう。
横を歩いていて、サラディンは騎士というのはみんなこういうものなのかなと思っていた。道中いかがでしたかとか、足りないものがあれば持ってこさせましょうとか、実に如才ない。
ちらり、と見ると、騎士の襟章が嫌でも目に入る。ちょうどサラディンの目と同じ高さにあるからだ。
「どうか?」
「あ、いえ、いや……あの、ジェルヴェーズはどんなんだったのかな、って……」
ははははは、と後は笑ってごまかしたつもりだったが、騎士は幾分真顔になってサラディンを見た。
「……テイウォンの言っていた方とはあなた方でしたか……」
「え、え、言ってたって……」
「……」
騎士は立ち止まり、窓から中庭を見下ろしてしばらく黙っていた。
「ティウォンは、多分あなた方はジェルヴェーズとずっと旅をしていたのだろうと申しておりましたが……」
「はあ……その通りです。すごい観察力」
サラディンは困ったように言った。なんで襟章の話をしただけなのに、こんなに深刻な雰囲気になってしまったのだろう。俺は悪くない、俺は悪くないとサラディンは騎士が沈黙を守っている間中心の中で呟いていた。
「お時間はよろしいでしょうか? お見せしたいものがあります」
「あ、え、はあ……」
騎士はサラディンを先導して歩き始め、名をレイダンと名乗った。
何度か角を曲がり、中庭を突っ切り、彼は塀のすぐ側の花壇のある場所までサラディンを連れてきた。樹が茂り、なんだかほのかにいい香りがする。そしてそのすぐ側に、騎士レイダンの見せたいというものがあった。
見上げんばかりの高さの、オベリスク。断面は方形、上方になるほど細く、頂上だけがピラミッドの型をした礎。黒光りする、つるつるの石を彫ったようだ。月の光を受けてそこだけ白く光っている。
「あれをご覧下さい」
騎士レイダンはその一面の上部を見上げた。サラディンはちらりと彼を見、その視線をたどって自分もその辺りを見上げた。
しばらく視線が定まらず、泳いでいたまま彷徨い、彼の視線はある一点で止まった。
ジェルヴェーズ・ダヴランシュの名が刻まれている。
こういうものは普通一行ずつに名前が彫られているものなのに、こればかりはまるで一つの文のようにただ連綿と名前が彫られていて、名前と名前の間にそれらを区別する隙間すらない。サラディンが見つけるべき名前をなかなか見つけられない理由はそこであった。 そしてその面の最上部には、盾の形が彫り込まれていて、線だけで六つに区切られている。
「親衛隊の徴です」
騎士レイダンはその盾を見ながら言った。
「ジェルヴェーズも親衛隊の一人でした。私とは隊が違っていましたが、彼女の評判はそのつもりがなくとも聞こえてきたほどでした」
「無愛想だから?」
サラディンは真剣に聞いたつもりだったが、騎士レイダンは破顔して返した。
「まあ、それもあります。騎士の使命を負い、市民と接していると、どうしても向こうに緊張感を与えないようにと腰を低くする者が多くいる中、彼女だけは変わらず無愛想でしたね」
その辺は変わってないけど、とサラディンは思ったが、言うのはやめておいた。
「ジェルヴェーズは、ソーン創設以来の初めての女性騎士でした。他国では女性騎士というのはそうは珍しくないようですが、ソーンは入団時の試験が厳しく、その年の合格者がいないというのも日常茶飯事です」
それはそうだろう。世界一格の高い騎士団だ。世間知らずのサラディンでさえ知っているほどなのだから。
「彼女は入団して以来、めざましい活躍を遂げてきました。当初は近衛三隊から始まったのですが、それを考えるとやはり素晴らしい実力を備えていたのでしょう」
ふつうは最初から近衛隊に入ることはなく、まずは騎士隊からがほとんどだと、騎士レイダンは言った。なんでもソーン騎士団は、まず襟章を許されない騎士隊から始まり近衛ニ隊、近衛三隊、近衛四隊、そして親衛隊と昇格していくらしい。
が、騎士隊からどれだけ頑張って昇格しても、せいぜい近衛三隊が関の山だというのが通例のようだ。その近衛三隊から始まったというのなら、確かにジェルヴェーズの実力は大したものだ。
「先ほど、ジェルヴェーズの襟章はどんなものだったのかと、そうおっしゃられましたね」
ナタリアは騎士レイダンの襟章をちらりと見た。長方形が、下に向かって丸くなった形。 それを、まず曲線になる寸前のところで横に線が入り、さらに縦に垂直に線が入る。これで、盾の中に十字架が出来上がる。そしてその縦の線を中心に上部の正方形をさらに斜めに二分して、全部で六つの場所が出来上がるわけだ。
騎士レイダンの襟章は上の四つの小部屋が左から青、黄緑、茶、黄、そして全体の三分の二を占める下の二つの色は、左が白で右が赤であった。
「正式な礎は、城内にあります。後で行かれれば、恐らくどういうものかわかるでしょう。 ――ジェルヴェーズは……」
騎士レイダンはそこで言葉に詰まった。
黙って言葉を待つサラディンに背を向け、騎士レイダンはなんと言っていいのか、自分でも言葉が見つからずに困っているようだった。そしてようやくそれが見つかった時には、側で鳴いていた虫の声も聞こえなくなっていた。
「ジェルヴェーズは、末は一個師団を率いることができるほどの者でした。だからあの事件は、本当に残念でならない――そう思いながらも、結局我々は彼女を止めることができなかった――彼女の辛さがよくわかったから、自分も同じ立場だったらどうするかと考え、止めることはできませんでした――」
そして振り向き、――サラディンを見て静かに言った。
「あなたにだけは、話しておきましょう、どうしてジェルヴェーズが騎士団を、ソーンを去ったかを。彼女の口からあのことを言わせるのは、あまりにもむごすぎる。ジェルヴェーズは言うことはできないでしょう」
そう言って騎士レイダンは話し始めた。
「もう五年も前のことになります――」
そしてちょうど同じ頃、ジェルヴェーズは正にその騎士の名を連ねる正式な礎のある部屋まで来ていた。黒くぴかぴかした石の上に彫られた、ソーンの騎士のすべての名前。
騎士隊も親衛隊も、ソーンに籍を置いた者の名はすべて刻まれ、引退した後も残り、翻っなん何らかの失態で追放された者の名前は削られていく。
ジェルヴェーズは隅の方に歩いていき、見覚えのある盾の紋章の前で止まった。
上方四つの小部屋は左から緑、黄緑、青、茶。下部は左が紫、右が白。
そしてその盾の下を辿っていくと、知った名前ばかりの中に彫られた名前を見つけた。
LORD Gerverz Davlansche, The Knight of THORN.
ジェルヴェーズは削られることなく彫り込まれた自分の名前の、そのくぼみにそっと触れた。
(……)
ジェルヴェーズは、迷っている。
きっかけがなければ、別段話さなければならないといことはなかっただろう。しかし旅の最中に黙っていなくなり、突然艦に迎えに来させ、ソーンの騎士だったということ仲間たちにわかれば、それはやはり、筋くらいは通すべきものであろう。
それが、旅を共にし、生死をも共にする者同士の礼儀というものだ。わかっている、わかっているが、ジェルヴェーズには決心がつかない。話す覚悟はできていたはずなのに、あの日のことを思い出してジェルヴェーズの口は途端に重くなった。
自分の中では、まだ定着すらしていないむごい話。
自分は、まだあの日のことを消化できていないのか――。
ソーンを去るそもそものきっかけとなったあの事件、あの日のことを、ジェルヴェーズは思い出していた。
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