第五章 6

 何度も廊下を曲がり、その度に変わる絨毯の色の変化の規則性がわからないまま、部屋に着き、椅子を勧められた。えらく座り心地のよい椅子だ。

 アリスウェイド曰く、ハースヴォンの政を統治するのが司祭と呼ばれているのには、無論のこと国と民とを神とするというならわしもあるが、彼らは唯一絶対のものを信じているという、そこから来てもいるという。

「唯一絶対のもの……」

 アールは不思議そうに問い返す。

「なんだそれは。たとえば、神とかか」

「いや、もっと即物的なものだ。例えば人の気持ち。愛や憎しみや悲しみ……そういったものすらも、絶対のものといえる」

「しかし一人の人間をずっと愛しつづけるとは限らないぞ。それは絶対ではないだろう」

「それこそが愛の絶対性なのだ」

 アリスウェイドがさらりと言い、絶句するアールを尻目に、近づいてきた足音に顔を向けた。

「お待たせ致しました。猊下がなかでお待ちでございます」

 二人は立ち上がった。

 アールは考えていた、唯一絶対のものを信じ、また国と民とを神とするならば、彼らは半分は聖職者ではないかと。

 と、思っていた矢先に扉が開き、なかからまぶしい光が漏れてきた。アールが思わず目を細めるのと同時に、その声は聞こえてきた。

「お待たせしたそうで――申し訳ない」

 柔和な声であった。光を背にこちらを見ているのは、六十を半ばほどまで行っているであろう老人で、白いローブを羽織っている。

 アールはてっきり玉座のようなものを想像していたのだが、そこには絨毯もなければ数段にわたる階段もなく、玉座も近衛の兵士もいなかった。あるのは正方形に近い部屋の中、入って正面に大きな机があるのみである。

 その背後から射しこむ光は、大きな大きな窓から入って来ているのだろう、ここからでも窓の向こうの街並みがはっきりと見てとれた。

「さあこちらへ」

 大司祭ディルドレイクⅦ世は意外にもにこやかな笑みを浮かべ、側にあった椅子に座るよう手で示した。

 なんだかふつうのおじいちゃんみたいだなあ、というのが、アールの第一印象であった。 背は、アールよりどうかと聞かれれば、アールよりは低い。ふっくらした顔にはにこにこと笑顔が浮かんでおり、椅子を示した手も柔らかそうである。もっと厳格で威圧するような人物を描いていただけに、アールは緊張がすぐにほぐれるのを感じた。

 大司祭自らが香茶を淹れ、その香りを楽しみながらアリスウェイドはしかし、単刀直入にルグネツァのことを切り出した。

 司祭の顔からはさすがに笑顔が消えていたが、だからといって柔和な雰囲気までもが去っていったというわけではないようだった。

 主にアリスウェイドと大司祭の会話で、話は進んで行った。

「かの国の侵略は、我々が思っているよりもずっと速く、凄惨なものです」

 びく、とアールの肩が震えた。

「どうすればあのような暗躍を続けることができるのか……あれだけの母艦を動かすことのできる魔石があれば、必ず我々のような者の耳に届きます。しかしもしあったとしても、昼夜これだけ休みなく使うというのには無理がある。が、だからといって数百個にも渡る魔石を集めるだけの国力が、あの国にあるかと聞かれれば答えは否です」

「数百個……そんなに必要なんですか」

 アールがうすい声で尋ねた。大司祭はうなづき、

「わが国の艦をご覧になったでしょう。あちこちに魔石があるのが見えたはずです」

「確かに……計器ごとにいくつか」

 大司祭はうなづいた。

「艦すべての動力を一つの魔石で負担するより、そうした方が負担も少なく魔石の寿命も格段に違います。しかし、それだけの技術がアドヴィエスにはない」

 アールは艦内でのアリスウェイドの言葉を思い出した。まったく、今の大司祭の言葉と違いはない。

 アールはちらりとアリスウェイドを見た。

「ルグネツァを悪用されたくない、というのが、仲間としての気持ちなのです」

「……」

 大司祭は沈思している。

 しばし、沈黙が室内を覆った。

「いいでしょう」

 どこかで、時を告げる鐘の音が鳴った。

 それが鳴り終わって、大司祭が顔を上げた。

「よろしい」

 大司祭は顔を上げた。

「国王会議を開催します。議長国はアドヴィエスということで呼びかけるのです」

「えっ……」

 アールは彼がなにを言っているのかわからなくて、思わず声を上げた。

「そうすれば、アドヴィエスは我々を招待せざるを得なくなります。あなた方はその隙にかの国に乗り込んで、お仲間を助けに行けばよろしい。そうなれば、脅威もなくなるのでしょう。一石二鳥というわけです」

「よろしいのですか」

「他に手はありません」

 大司祭はきっぱりと言った。

 アールは驚いて目の前の老人を見た。柔和な顔に、一つの決意が表れている。とてもではないが、それほどのことを成しえるとは思えない柔らかな表情である。

「事態はそれほど切羽詰まっているのです。我が国ができることといえば、その程度です。 逆にいえば、それれくらいのことで戦が終わるのであれば、お安いご用というものです」

 大司祭は手を叩いて侍女を呼び、冷めた香茶を片付けて新しいものを持ってくるように言った。

 新しい香茶は、すぐにきた。

 その間、一同は取り留めのないことを話した。多くは、アリスウェイドとの旅の話であったり、アールとアフォンソの宝石を探す旅の話であったりした。

「ところで」

 大司祭はちょっと姿勢を正しておもむろに言った。

「ジェルヴェーズは、達者でおりますかな」

 一同は虚を突かれて一瞬黙りこくった。ある程度、そういったこちらの反応はわかっていたのだろう、大司祭はアリスウェイドの元気ですよ、という言葉にうなづいた。アリスウェイドはさらに言った。

「今度のことは、彼女に感謝しています」

 しかし大司祭は沈痛な面持ちでため息をついた。

「彼女≪あれ≫から書簡が届いたときは、私は無論のこと騎士団の者たちもとても驚いていました」

 立ち上がり、机の側まで歩み寄って、大司祭は窓の外を見たまま続けた。

「なぜジェルヴェーズが騎士だったと?」

「太刀筋を見ましてな。覚えがありましたので」

 左様か、とうなづき、大司祭はアリスウェイドを見た。

「なにがあったかまでは、私の口からは言えません。ただジェルヴェーズがここを去る時のやるせない気持ちは、忘れられないでしょう。誰が悪いというわけでもなく、彼女が悪いというわけでもなかった」

 ただジェルヴェーズは、あまりにも騎士でありすぎたと、大司祭は低く言った。

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