第五章 5

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 離陸して五分ほどで警戒態勢が解けたのだろう、騎士たちが近寄ってきて、もう大丈夫ですよとベルトをほどいてくれた。そしてその間にさっさとどこかへ行ってしまったジェルヴェーズをよそに、先ほどの赤と青と白の襟章の騎士が艦内の案内をすると言ってくれた。

「わたくしはティウォンと申します」

 騎士はそう名乗った。

 それから一同が一人一人名を名乗ると、その度に強くうなづいて顔をじっと見、名前と顔とを合致させているようだった。以後、騎士ティウォンが彼らの名前を間違えたり忘れたりすることはなかった。

 まずは彼らのいる中央指令室は、長方形の、長さの短い方の片側が半円形になっていて、そこに近づくと階段がありさらにその下に色々な人間がいて機械類を制御している。一番多いのは魔石を監視する者で、時々様子を見ては、石の光り具合が少しでも鈍くなったらただちに誰かに報告して指示を仰いでいるのが印象的だった。

「なるほどな」

 アリスウェイドが廊下を歩きながら小さく言った。

「これだけの大きな艦であれば相当強力な魔石がいる。そんなものはなかなか手に入らないものだが――こうして計器ごとに魔石を置けば大きな魔石一つに頼らずともいい。一つに頼ることがないから危険も少ない。なにより経費もかからないで済む」

 サラディンが、なにやらもじもじとしてアリスウェイドを見ている。

「なんだね」

「……あんた……あの女が騎士だってこと、知ってたのか」

 今までの彼の言動から看て、ジェルヴェーズがこうするようけしかけたのは彼だとしか他に考えようがない。だからこそ彼女は姿を消し、また戻ってきてこうして艦を呼びつけたに違いないのだ。

「まあね」

 アリスウェイドはなんでもないように言った。

「もっとも七隻もの艦が迎えにくるほどの騎士だというのは、来るまではわからなかったが」

 それからアリスウェイドは、ジェルヴェーズが言いたくもなかった過去を、彼女自らの手で暴くような真似をさせるつもりはなかったとも言った。恐らく、こんなことがなければジェルヴェーズの前身は、アリスウェイド一人の胸の中にしまっておいたままになっていただろう。

 食堂に案内され、その後各自の寝室に案内するというので長い廊下を歩いていると、窓から見える雲海はこれまで見たこともないような美しさで広がりを見せている。

 ふと見上げて、アールは艦の端につけられた強くはためく旗を窓から見ることができた。

 白地に、染めぬいたようなあざやかな緋色の車輪。それは定間隔に火を吹いていて、この車輪が太陽の環だということを容易に想像させる。そして、その環を乗り越えるようにして中央に双頭の鷲。

 向かって左側の鷲は力を示す剣を持ち、右側の鷲は智恵を示すにぶい金色の宝玉を持っている。

 太陽の環の上の方には冠が置かれていたが、それはアールが今まで見たこともないような形をした冠だった。どこの国の紋章にもあるような金属の型に宝石などがうまっているものではなく、形も小さめで、全体に天鵞絨≪びろうど≫を思わせるなめらかな臙脂色の布が主な骨組みだ。そのてっぺんには、やはり鷲が持っている宝玉のそれのように手六本の十字架がついていて、冠の周囲は白と黄緑の蔦の若葉が取り巻いている。

 旗の四隅にはそれぞれ林檎、葡萄、無花果、柘榴の木がそれぞれの実を成らせ生い茂っており、旗の縁は金糸で縫い取られている。

 これまで色々な国を訪ねてきたアールであったが、このように立派で美しい紋章を見たのはこれが初めてでった。

 部屋ら案内されて、サラディンは騎士ティウォンにおずおずと尋ねた。

「あ、あの……」

「はい?」

「あの……卿って……あなたも?」

 騎士ティウォンはちょっと意外そうな顔になり、それからすぐに口元に笑顔を浮かべてこたえた。

「いいえ。わたくしは、まだそのような立場にいることを許されていません。卿≪ロード≫の呼び名が許されるのは、わが国では親衛隊のみとなっております」

 では、と、騎士ティウォンは胸に手をあてて恭しく一礼すると、サラディンが止める隙すら見せず、廊下の向こうへと消えてしまった。

 サラディンはため息をつき、部屋を見渡した。

 扉から見て左側にベッド、その側に窓。右側には簡易机と椅子、ベットの枕元には小さなテーブルがあって、燭台を置くスペースと小さな引き出しがある。衣類を入れるための箪笥があると思っていたがそういったものはなく、代わりにクローゼットがあって引き出しもいくつかついている。

 考えてみれば、離着陸の際身体を固定していなければならないような艦の中で箪笥などがあったら危険極まりないだろう。

 サラディンは旅装を解き、靴を脱いで剣を枕元に立てかけ、ベッドに座ってふう、とため息をついた。

 窓を見ると、もう日が暮れようとしていた。



 二昼夜を飛び続け、艦はようやくのことで見え始めた大陸の上を通り、尖塔の見える城の側まで来ると、その東側の平らな場所を目指してゆっくりゆっくりと速度を落とし、その場所の真上まで来ると、静かに垂直に下降して行った。

 一行は朝言われていた通りに旅支度をし、部屋の中で待機して、何度かの振動の後窓から見て完全に着陸したなと表を窺っている頃、騎士ティウォンが迎えにやってきて表に出た。

 そこは多分、艦隊の発着場なのだろう。だだっ広い平らな場所だが、遠くのほうには屋根やその下の艦などが見え、離着陸の誘導をしているらしき者も多数見える。

「こちらへ」

 一行はまた騎士ティウォンの後について行ったが、今度はジェルヴェーズは率先して歩くようなことはなく、知らん顔をして最後尾を歩いている。

 そしてそのだだっ広い場所を延々と歩き続け、尖塔のある建物のすぐ側まで来ると、今度は襟章の色が四色の騎士が六人、出迎えに来ていた。

「お待ち申し上げておりました、ダヴランシュ卿」

「どうぞこちらへ」

 話し掛けられても、ジェルヴェーズはまったく別の人間がそう言われたかのようにしれっとしている。

 城内は明るく、壁や床は磨き上げられたようにぴかぴかであった。廊下の中央には歩道を示す赤い絨毯が敷かれていたが、サラディンが十字路に差し掛かった際ちらりと横の通路を見ると、そちらには深緑の絨毯が敷かれていた。絨毯の色で場所を区別するのだな、とサラディンは一人で感心していた。

「まずはお部屋へご案内致します。ご夕食の前に、猊下が謁見なされます。それまでごゆるりとお過ごしください」

 各自が通された部屋は、上等な客間と思われた。

 広い部屋で、床はなめらかな光沢を放つ板張りである。向かって左側には二人分くらいのベッドがあり、その周りのみに薄い絨毯が敷かれている。簡単なものだが天蓋もついている。その向かいには暖炉があり、その暖炉の上に置かれた置物も趣味が良い。

 部屋の隅に置かれた植物はよく手入れされていて、調度品の拵えも古くて味のあるものばかりだ。

 驚いたのは次の間に浴室があることで、それは例えて言うなら、街の湯屋やこの城の浴場などと比べてしまうと小さいが、客間についている浴室としては広いものであった。

 アールは窓辺に寄って、カーテンを開けた。

「うわあ……」

 色とりどりの屋根。白もあれば赤もあり、青や黄色、緑、様々な色が混じり合って喧嘩することなく融合している。家屋の色は白が多く、その他はベージュや薄い茶色などがある。整然と碁盤目になった道、街中だというのに豊かな緑、国の豊かさが日の光を受けてきらきらと光るように見え、聞こえてくるはずもない歓声が聞こえてくるような気がした。

 レスト大陸ハースヴォン法国――レスト大陸の半分に相当する北半球を支配するディリスティル王国と双璧なす同大陸西部の法治国家である。

 気候に恵まれ温暖で、治安の行き届いた住みよい国で移住者も多い。国を治める法大院は厳しい修行を収めた司祭たちが制御している。

 司祭というとどうしても宗教を思い起こしてしまうが、この国の場合は国を神とし民を神とするという昔からの伝統に則っているためで、だからこそ国≪神≫に仕える者たちを司祭と呼び、彼らを統率する大司祭は陛下ではなく猊下と呼ばれている。

 ハースヴォンには世界に名だたるソーンの騎士団がおり、戦時には彼らが兵士を統率して戦場を走り回る。恐らくソーンの騎士一人とそこらを放浪する戦士二十人が手合わせをしても、最後に息を乱さず立っているのはソーンの騎士だろうと言われるほど、彼らの剣の技量は定評がある。

 剣の技量や人格は無論のこと、視力や聴力、足の速さや跳躍力なども入団に際して厳しく試験され、規律と伝統を重んじる一方で一人一人の個性を尊重し融通するだけの遊び心も持ち合わせた騎士団だが、そのレベルの高さはあらゆる大陸に轟き、恐らくは世界一入隊審査の難しい騎士団と言われている。

 騎士団は国内の巡邏、取り締まりを含め、一部の上級隊は執政への参加も認められている。なんとなれば、市井に触れる者の意見こそが執政においては一番重要なことだからだ。 だからこそ半司祭半騎士の彼らは国民の最も厚い信頼を受けている。また、このような集団にはありがちな権力争いは今まで起こったことがなく、なぜかと聞かれればそれは入団時の人選に一番の重きを置いているからといえる。彼らは互いを尊敬し、切磋琢磨しこそすれいがみ合うということはまずない。

 それは、翻せば日々の職務の重さや大変な訓練を共に過ごして来た連帯感から生まれてくると言えよう。情報漏洩のための贈賄も、ソーンの騎士は破格の給料をもらっているのでそれも通用しない。

 ソーンの騎士は、世界中の騎士の憧れ。鎧を纏った忠心、歩く誠意と呼ばれている。

 そのソーンに、ジェルヴェーズは籍を置いていたということになる。

 卿とまで呼ばれる立場に上り詰めたというのに、一体なぜ?

 突然扉がノックされ、アールはハッとして顔を上げた。返事をすると、旅装を解いたサラディンが入って来て、

「あっちで話し合いだって」

 と告げた。アールは慌てて出口まで行き、サラディンと共にアリスウェイドの部屋へと向かった。

「大司祭との謁見が日暮れには控えている」

 アリスウェイドは久し振りにくつろいだ格好をして窓にもたれかけながら言った。

「ハースヴォン≪ここ≫を拠点にするならばこれからの動き方も話し合わなければなるまい」

「私は行かない。今更そんなことしたって黙ってつっ立ってるだけだ。だったら部屋で休ませてもらうよ」

 ジェルヴェーズがまず言うと、

「だったら俺なんかいなくたって同じだと思う。俺も抜ける」

 サラディンも言う。

「そうだな。全員が会わずともよかろう。なにしろ大勢だから」

 アリスウェイドはちらりとアフォンソを見、君も来なさい、とうなづいた。

「俺は行く」

 アールが手を挙げた。

「ルグネツァのことなら、俺は話を聞きたい。俺は行きたい」

「いいだろう」

 間もなく従者の格好をした者が訪れ、猊下が謁見なされます、と告げた。

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