第五章 4


 丸二日、ジェルヴェーズは昏々と眠りつづけた。そして三日目の朝にようやく起き出してくるとアリスウェイドに確信に満ちた目でうなづき、自分は湯屋に行ってくると言って小一時間帰ってこなかった。

 彼女が帰ってきた時、一同はすっかり旅立ちの準備が出来上がっていて、ジェルヴェーズは二階に行き荷物を取って来て、準備はいいよ、と言った。

 宿の精算を済ませ、厳重な警備の城門を出るのに係の者といくらかのやりとりをした後、なんとかイウェルを出発した彼らは、日頃絶対に列の後ろにいるジェルヴェーズを先頭に黙々と歩き出した。

 長い間降りつづけていた雨はしばらく歩く内に雲が薄くなり、フードを取ってもほとんど濡れないほどにまでなってきた。

 前方を見ると、海を臨むことができる崖が人差し指の大きさ程度に近づいてきて、そちらはもう雲が晴れて雲間から光が差し込んでいる。

 ジェルヴェーズがなにを目指しているのか、仲間たちは聞き出せないままに、妙に確信に満ちた足取りで海の見える方向へと歩いている彼女の後に黙ってついて行っている。  そして海があと少しで見えてくるというところまでに近づいたとき、ふと彼方の空を見たジェルヴェーズがいきなり立ち止まった。

 その視線は、空の彼方に釘付けのまま離れることはない。

「?」

 仲間たちは不思議に思ってなにを見て立ち止まってしまったのかと同じ方向を見たが、そこは黄色く光る空と雲間から幾重にも差す光のみでなにも見えない。

「なんだ?」

 サラディンがジェルヴェーズを顧み、その微動だにしない視線に怯んでもう一度空に目を馳せ、彼はその目を驚愕で見開いていた。

 空の向こうに、ごま粒のような点がいくつか見える。それは、一瞬前にはそこにはなかったものだ。それは段々と凄まじい速さで大きくなって行き、とうとうそれが艦隊だということがわかって彼らは唖然とした。

 ゴ……ォォォ……

 ゴ……

 ゴォォォォォォォォォ……

 中央に大きな艦が一隻、その両脇にそれよりは比較的小さな艦が一隻ずつ、そしてその三隻の周囲を守るようにして四隻。合計七隻の艦が、見る見る内に大きくなって上空を飛んでいる。一行は最初アドヴィエスの艦隊かとも思ったが、地上から見る艦の腹に描かれたはためく旗の紋章を見てアドヴィエスのものではないということだけはわかった。

 それはそのまま行き過ぎると思ったら、中央にあったひときわ大きな艦が突然前方五十メートルほどの場所で止まり、しばらくそのまま上空にいたかと思うと、凄まじい風と唸り声を上げてゆっくりと垂直に下り始めた。

 ゴゴゴゴ……

 ゴォォ……オオ……ンンン

「な……なんだなんだ!?」

 息もできないような風に舞い上がる服と髪を必死になって押さえながら、仲間たちはなんとか開けていられる目の隙間から艦隊がゆっくりと地上に降りてくるのを見た。

 そして凄まじいまでの風が辺りの草を撒き散らし、なぎ倒す中、ゆっくりと扉が開き通路が広げられ、なかから誰かが出てくるのを見た。

 艦隊の動力が巻き起こす強い風をものともせず、五人ほどの人間がこちらに歩み寄ってくる。今やジェルヴェーズの待っていたものこそこれだと理解した仲間たちは、未知なる存在へ警戒の色を見せようともせぬ。

 五人は、一人を先頭にしてあとは二人ずつが左右に並んで後ろに並び、純白のマントを纏い銀の鎧を身に着けていた。襟止めには、なにやら盾の形をした紋章を使っており、その盾の色は五人とも違っていたが、先頭の男のそれは下部分が赤、上部分は右側が青で左側が白というものであった。

 騎士だ。

 誰もがその出で立ちで直感した。

 しかし一行がもっと度肝を抜かれたのが、そんな立派な身なりの堂々とした騎士たちが、先頭のジェルヴェーズに向かって恭しく膝を折り、頭を下げて敬意を表したことであった。

「お待たせを致しました、ダヴランシュ卿」

「卿?」

 サラディンが素っ頓狂な声を上げた。ジェルヴェーズは騎士たちを微かに目を細めて見、

「膝を上げよ。今の私はソーンの騎士ではない」

「猊下はそのおつもりはないようで……貴方様のお名前は、まだ騎士団の礎面に刻まれております」

 言われた通りに立ち上がりながらも、五人はジェルヴェーズに対する敬意の態度をあくまでも絶やさない。

「――私の知ったことではないな」

 低く言い、ジェルヴェーズはザッ、と道を明けた騎士たちに、

「仲間だ」

 と言い、さっさと艦を目指して歩き始めた。

「それではご案内いたします」

 先頭にいた赤と青と白の紋章騎士が恭しく彼らに頭を下げて言い、一行の返事も聞かずに背を向けて歩き出した。仕方なく彼らはその騎士の後についていったわけだが、両脇には四人の騎士たちが彼らを守るようにして付き添っていた。

「な、なんなんだこの人たち」

 アフォンソがその騎士の一人を見ながら動揺を隠せないように呟いた。

「さあな……」

 サラディンも先頭を行く騎士の背中を見ながら答える。

「わかっているのは、俺達はアリスウェイドの他にもとんでもない女を仲間にしていたってことだ」

 アールも、かなり前を行くジェルヴェーズと、先ほどの騎士とのやりとりを聞いて混乱している。

「卿……卿って」

 それにソーンの騎士、と言った。

 それがサラディンの知っているソーンの騎士ならば、自分の仲間はとんでもない人間だったということになる。

 一行が艦に入り、その通路が仕舞われ扉が閉じてしまうと、たちまち凄まじい地鳴りと地響きをたてて、艦が揺れ始めた。

 それまでに彼らは中央指令室と書かれた扉の向こうに案内され、逆Vの字の形をした部屋の正面に、大きなガラス張りの向こうの海の景色を茫然と見つめているのみであった。 広い部屋のあちこちには、彼らの見たこともないような計器類が見られ、その隅にいくつもの魔石が嵌め込まれているのが見てとれた。それらは揺れが激しくなり、響きが大きくなるのにつれてどんどん輝いていき、やがては金色の光に包まれて見えなくなるほどであった。

 それくらいになると、急に部屋のなかや外が慌ただしい空気に包まれ、大勢の人間が走り回る音、カチリカチリという音がさかんに聞こえてきた。

 一行のいる部屋でも、次々に壁に埋め込んであった簡易椅子を引っ張り出してそこにあったベルトで身体を固定している。

「さあどうぞ」

 騎士たちに促され、手伝ってもらいながらようやくのことで彼らはベルトをはめることができた。ジェルヴェーズなどは慣れた手つきでさっさと自分の始末をしてしまった。

 このままどうなるのだろうというサラディンの不安などよそに、艦はごおんごおんという轟音と共に飛び立っていった。

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