第五章 3
ジェルヴェーズが帰ってこなくなったのは、その夜からであった。
ジェルヴェーズという女は、不思議な魅力を持っている。
普段は無愛想の極みで無駄口一つ叩かず、お世辞にも人当たりがいいとは言えないが、だからと言っていつも不機嫌だとか、陰気だとかそういうわけではない。
話しかけられれば答えもするし、言いたいことや意見のある時にははっきりと言うが、無意味な議論を嫌う。
自分から話し掛けることなどまずないが、だから側にいると安心することもある。自分勝手を嫌う方だから、何日も連絡がないはずがない。
「どうしちゃったんだろ……」
アフォンソは心配そうだが、アリスウェイドだけはその様子すらも見えない。地図を広げ、ここからイウェルまでの道のりと距離をだいたい計算して、いつ出発すればいいかを考えているようだ。
「今日中にでも出発しよう」
「なんでだよ」
アフォンソはアリスウェイドの意見に反発した。
「置いてくのか?」
無口な女だが、ここぞという時には頼りになる女だった。話しかければ、ぽつりぽつりとではあるが話してくれる彼女を、アフォンソは好いていた。
「次の逗留先は言ってある。君たちも聞いたはずだ」
「あ……」
「それにもうあちこちを探したんだろう。君がそれだけ必死になって探していないのなら、彼女はもうこの街にはいないだろう。我々は我々で先を急がねば」
「そんな……」
「ジェルヴェーズがなにも言わずに帰って来ないような女ではないのは、皆が一番よく知っているはずだ」
「……」
あらゆる場所を探し、あらゆる人に聞いたが、ジェルヴェーズの姿どころか影すらも見当たらない。では、もうこの街にいないのだろうか?
「なにも言わずに行ったのはなにか理由があるとして、帰ってこないはずはない。我々から離脱して一人で旅をしたければはっきりと言ってから離脱するだろう。そういう性格だ」
――その通りだ。
「ならば帰ってくる。帰ってはくるが、恐らくこの街には帰ってこないだろう」
「どうしてそんなに確信に満ちて言うんだ?」
サラディンが我慢できなくなって言った。
アリスウェイドは、ちょっといたずらっぽく笑ってこう言ったのみだった。
「今にわかるさ」
ここは城下町だからね、とだけ言うと、もうそれきり、なにを聞いても答えてくれそうにもなかった。
ジェルヴェーズが突然いなくなって四日目の朝、アリスウェイドの言葉通り一行は出発した。皆一様に、彼がなぜそんなことをするのかいまいちよくわからかったけれども、彼のすることに今まで間違いはなかった上、なにか確信に満ちた表情をしているので、裏には必ずなにかある、ジェルヴェーズがこの街には戻らないが我々の元へ戻ってくるというのなら、そうに違いないと暗黙のうちに了解してしまっていた。
四日後、彼らは無事にイウェルの街に辿り着いた。
世界でも数少ない永世中立の独立自治都市である。あらゆる国の干渉を受けず、また干渉もせぬ。代わりに自分たちで自分たちを守り、軍隊の代わりに二年の徴兵制を設けている。
「それで、どうすんの?」
宿を取って食事をし、食後の酒を飲んでいても尚、黙っているアリスウェイドを見て、とうとう痺れを切らしてアフォンソが彼に尋ねた。
「あの街を発って何日になる?」
仲間たちは虚を突かれて、すぐには答えられなかった。ようやくのことでサラディンが、「よ、四日」
と答えると、アリスウェイドはそこからちらりと表を見、それから空へと視線を移した。 仲間もつられて外を見る。
昼下がりの街はにぎやかだが、どことなく殺気立っている。いつもならこの時間であれば子供たちのにぎやかな遊び声が聞こえてきたり、花売りが歩いていたり、あちこちの屋台の呼び声も華やかに、色々な匂いがするはずだ。
戦時下の緊張にある今に到っては、そういった賑々しいものとは程遠い。武器を持った男があちこちに見え、どことなく埃っぽい空気に感じられる。
「四日か……」
ならばもうすぐだなとこたえ、アリスウェイドは中断していたまた酒を飲み始めた。
次の日も、その次の日も、ジェルヴェーズが戻ってくる気配はなかった。
雨季である。
イウェルに到着して三日目、表は薄暗く雲が立ち込めていて、降ってくるかなと思った途端にさあっと音をたてて雨が落ちてきた。
雨は三日経っても止む気配を見せなかった。
「よく降るな」
退屈を持て余し、身体に黴でも生えてしまいそうで、アフォンソはベッドで巨体をもぞもぞとさせる。
この七日間でイウェルにいる間、アドヴィエスの諸国に対する攻撃は一段と激しさを増していった。
レイリン大陸のオロン王国は、艦を今しも出動させようとしている時に上空から攻撃され、約一万人の兵士と三隻の艦を同時に失った。
ジアイーダ大陸のあちこちでは、早くも四大都市の責任者たちによって緊急の委員会が結成され、四都市それぞれに所属する軍隊はものものしい有り様で戦いの準備を整えているという。それは、同大陸のレルッテ王国が無抵抗絶対服従の意志を伝えたにも関わらず、アドヴィエスが砂が燃えるまで同国を攻撃し続け、ついには滅亡させてしまったという報せを聞いたからであった。
そういった話を聞くたび、アールの沈痛な面持ちは一層その襞を深くしていった。
酒場に食事に来た者たちが噂をすることもあるし、街で義勇兵がこれこれこういうことがあったから各自気をつけるように、というお触れを出したりもしている。
ルグネツァ、これは、本当に君がやっていることなのか。こんな恐ろしいこと、君が望んでやるわけがない。
そしてそんなアールの暗澹たる思いを受け止めるかのように、その翌日、ジェルヴェーズは突然姿を現わした。
その時には外はもう夜で、暗い空から相変わらず雨が降り続いていた。
全身にその雨の滴を滴らせながら、ジェルヴェーズは息を切らして酒場に入ってきた。「ジェルヴェーズ……!」
フードをとったその髪すら、しっとりと濡れている。さながらそれは、雨が降っているにも関わらず月の出ている晩の、湖の反射のような髪の光であった。
「どこに……」
「遅くなってごめん」
仲間たちの質問より先に、彼女は低くこう言った。そして食事をカウンターに向かって頼み、外套を脱いで旅の支度をすっかり解いてから、目の前に座っているアリスウェイドを見下ろして静かに言った。
「本国に書簡を送った。じき迎えに来る」
アリスウェイドは黙ってうなづき、目でそこに座るように示した。
「もう少し早めに帰ってくるつもりだったんだけど……あちこち封鎖されてたりして警戒が強い上雨で足止めされて」
いつものように必要なことだけを手短にまとめて言う彼女に、アリスウェイドはうなづいて言った。
「こちらの都合で申し訳ないことをした」
ジェルヴェーズはちらりとアリスウェイドを見上げた。
「いいよ。……あんたに言われなかったら私が自分で行ってた」
そう言ってもらうと助かるよ、とアリスウェイドは言い、ジェルヴェーズはふんと鼻を鳴らした。食事が運ばれてきて、ジェルヴェーズは何も言わずに凄い早さで食べ始めた。 この雨の中を、ほとんど休まずに強行してきたのであろう。
一同はアリスウェイドとの会話の意味はなんなのか、それを聞きたくてたまらず、しかしジェルヴェーズのあまりに疲労の濃い顔を見て、彼女が早々と二階に上がっていこうとするのをとうとう止めることができなかった。
「さてそろそろだぞ」
酒を飲み干してアリスウェイドが静かに言った。
「全員支度をしておくように」
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