第五章 2
1
「ルグネツァが目の前でさらわれるのを、指を咥えて見てたっていうのか」
アールはアフォンソに掴みかからんばかりの勢いで食ってかかった。
「そう言うなよ。相手は魔導師だった。飛んでいかれたら手も足も出ない」
「そうだアール。まずは、落ち着くことだ。相手の目的はなんなのか、それを見極めなければ」
「それに、誰がさらっていったかを知るのも重要だよ。あの子を連れて行ったのは、一体誰なのか。そこんところがわからないと、連れ戻せない」
アリスウェイドとジェルヴェーズに言われて、アールははっとした顔になった。
「誰がやったのか、わかんないのか……」
そう。
どこの誰がルグネツァをさらっていったのかがわからない限り、手立てはないのだ。
アールは絶望的な思いで、ルグネツァがさらわれていった北の空を見上げた。
世の中も暗澹としている。
ジェルヴェーズはため息をついて、ルグネツァがさらわれていったという洗い場を見回しながら、これからどうするかを見極めようと思い、ひとり佇んでいた。
薔薇の月の空が、青い。
ナタリー、私はどうすればいいんだろうな。
今は亡き友に呼びかけると、虚しさだけがこみ上げる。
その時、窓辺でなにかがきらりと光った。最初は、なにかの反射かと思い、気にもしなかった。しかし、もう一度それがきらりと光ると、気になってそちらへ歩み寄った。そして屈みこんで、それを見た。
「――」
それは、小さなボタンだった。
国章のついたボタン。
しかし、ジェルヴェーズはそれに見覚えがあった。
ジェルヴェーズはそのボタンを握りしめて声を張り上げた。
「アリスウェイド」
「アドヴィエスの国章だと……?」
「確かなのか」
ジェルヴェーズはこくりとうなづいた。
「双頭の蛇に冠。世界広しといえどこんな国章を持つ国はあの国だけだ」
「だとしたら、ルグネツァをさらっていったのはアドヴィエスだということになるな」
「一体どういうことだ」
「それは簡単だ」
アリスウェイドは腕を組みながら、
「ルグネツァは詠唱を唱えずに魔導を行える。それは、魔導を学ぶ者にとっては時に脅威だ。充分に武器となり得るものだよ」
「じゃあ、今日夜各国を攻撃しているのは……」
「なんらかの方法で、恐らく薬かなにかでルグネツァを操って、アドヴィエスが彼女にさせていることだろう」
「くそっ」
アールが机を蹴り飛ばした。
「なんとかならないのか」
「なあ、あんた、王様とかに知り合いいるだろ」
アフォンソがアリスウェイドを見上げた。
「なんとかしてもらえないのかな」
「そうだなあ」
アリスウェイドは顎に手をやった。
「まあ、確かに各国の国王に知り合いは多いが、……時間がかかるな」
「どれくらい?」
「非常事態だし、皆警戒しているだろうから……」」
「うんうん」
「少なく見積もって、二、三か月といったところだろう」
「それじゃあだめだ」
アフォンソはがっくりとうなだれた。
「彼女にそんなに長い間そんなことはさせられない。すぐに行動を起こさなければ」
「……しかし、だ」
「なんか方法があんのか」
「一国の騎士が、自分の主君に提言するというのなら話は別だ」
誰に言うでもなく言ったその言葉は、仲間たちにとっては意味不明そのものであった。 誰もが互いに顔を見合わせ、誰もがその後にアリスウェイドが説明してくれるのを期待していた。
今までも、要点を先に言ってから理由を説明して仲間たちに効率的に納得させる彼のやり方を、仲間たちはよくわかっていたから。
しかしどれだけ待ってもアリスウェイドは口を開かなかった。仲間たちの訝しげな様子などどこ吹く風で、しれっと酒を飲んでいる。
今まで対処の方法を考えこそすれ、元来が無口なジェルヴェーズは、明らかな対処の方法が出るまではなにも口出しをすまいと沈思を続けていたが、
「――」
アリスウェイドの言葉で身を固くした。
「次の移動場所だが……」
アリスウェイドが窓の外を見守りながら呟くように言った。
「イウェルという街が北の方にあるはずだ。そこに逗留しよう」
仲間たちはまたもや顔を見合わせた。
アリスウェイドは一体何を言いたいのだ?
しかし結局彼らの期待する言葉はアリスウェイドから得ることはできず、仲間たちの疑問は、そのまま辺りを漂ってふわふわと浮き空気に融けていくに過ぎなかった。
ものものしい鎧を纏った兵士が五、六人、慌ただしくなにかを叫びながら目の前の道を走っていくのが見えた。
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