第四章 5

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 其は 我の女神


 其は 我の傀儡


 其は 人の世の希望にして 絶望


 其は この世の果て


 其は 我の闇


「……」

 ルグネツァはゆっくりと瞳を開けて、朝日を浴びた部屋を見回した。なんだろう。また夢を見ていた。

 枕元の紙片を見てみる。そこには、なにも書かれていない。ため息が出た。

 支度をして、階下に降りた。アフォンソが朝食を注文していた。

「よお、起きてきたな」

 そこへ、サラディンもやってきた。彼はアフォンソがいるのを見ると、気まずい顔になった。それはそうだろう。

 他の者がいれは会話もできるが、アフォンソといれば彼と話をせざるを得ない。しかし、アフォンソは父の仇である。なにを話せというのだ。

「よう」

「やあ」

 二人は短く挨拶をして、向かい合って座った。ルグネツァはなにも言わずに、黙ってそれを見ている。

「私、顔を洗ってくる」

「あ、え、ちょっ……」

 サラディンが止める前に、ルグネツァは行ってしまった。

「……」

 サラディンは絶望的な気持ちになってその背中を見送った。

 この男と二人きりか。どうすればいいというのだ。

 アフォンソはしばらく黙っていたが、やがて、

「あんた、めんたまやきか、目玉焼きか、どっちだ」

「――え?」

「めんたまやきって言うか、目玉焼きって言うか、どっちだ」

「な、なんの話だ」

「卵だよ。割って、焼くだろ。どっちだ」

「め、目玉焼き」

「ふん、東流か」

 アフォンソは呟くと、あちらを向いてしまった。

 サラディンはなにを言われたのかわからなくて、益々そこに居づらくなってしまった。 しかし、と思った。

 しかし、悪い男ではなさそうだな。

 アリスウェイドの言葉が、脳裏をよぎる。

 旅を共にして長くはないが、仇と付け狙われるような男ではない。

 では父のあの日の言葉は一体――?

 ぐっと奥歯を噛み締める。

 そして、火山の割れ目に落ちていった、あの男の顔を思い出す。

 憎悪にまみれた、醜い獣じみた顔を。

「――」

 俺も、ああだというのか。この男を見る時の俺も、あんな顔をしているというのか。

 俺はどうすればいいのだ――

 表を見ると、抜けるような青い空が広がっている。

 俺の心は、この空の百分の一程も澄んではいないな。

 唇を噛みしめていると、洗い場の方から悲鳴が聞こえた。

 サラディンはアフォンソと顔を見合わせた。

「ルグネツァだ」

「行こう」

 二人は洗い場へ走っていった。

「アフォンソ……!」

「ルグネツァ!」

 洗い場で、ルグネツァが男に捕らわれていた。手を後ろ手に縛られ、口は今にも塞がれんばかりである。

 男はルグネツァを抱き上げ、窓に足をかけて、そこから出ようとしている真っ最中であった。

「お、お前、そこから出ていったって逃がさないぞ。裏口から取り押さえてやる」

「ふっふっふっ。そう簡単にいくかな」

 男は不敵に笑うと、さっと身を翻して窓から出ていった。アフォンソは窓に駆け寄った。「あっ……」

 アフォンソは空を見上げた。

 空高く、沢山の鳥を縛った籠に入って、男が飛んでいる。

「あの男、魔導師だ。鳥を操る術を使ったんだ」

「くそっ」

 鳥を縛った籠は、見る見る内に小さくなっていき、北の空に消えていった。

 こうしてルグネツァは何者かにさらわれてしまったのである。

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